Weber,Max 1919→1980 『職業としての政治』
マックス・ウェーバー 1919→1980 『職業としての政治』
【政治】
「政治とは何か。これは非常に広い概念で、およそ自主的に行われる指導行為なら、すべてその中に含まれる。[…]今日ここで政治という場合、政治団体――現在でいえば国家――の指導、またはその指導に影響を与えようとする行為、これだけを考えるとする。」p.8
【国家】
「国家とは、ある一定の領域の内部で――この「領域」という点が特徴なのだが――正当な物理的暴力行使の独占を要求する人間共同体である、と国家以外のすべての団体や個人に対しては、国家の側で許容した範囲内でしか、物理的暴力行使の権利が認められないということ、つまり国家が暴力行使への「権利」の唯一の源泉だと見なされているということ、これは確かに現代に特有な現象である。」pp.18-19
【支配の正当性の根拠】
①伝統的支配……昔から続く習俗を守り続けようとする態度が習慣的にとられることで成立する。家父長制や家産領主の支配など。
②カリスマ的支配……ある個人に備わった天賦の資質によるもので、その人格的な帰依と信頼に基づく支配。「「天職」という考え方が最も鮮明な形で根を下ろしている」p.12
③合法的支配……制定法規など合理的につくられた規則に依拠した客観的な「権限」に基づく支配。服従は義務の履行として行われる。
【近代国家】
「近代国家とは、ある領域の内部で、支配手段としての正当な物理的暴力の独占に成功したアンシュタルト的な支配団体であるということ。そしてこの独占の目的を達成するため、そこでの物的な運営手段は国家の指導者の手に集められ、その反面、かつてこれらの手段を固有の権科として掌握していた自律的で身分的な役職者は根こそぎ収奪され、後者に代わって国家みずからが、その頂点に位置するようになった」p.18
【職業政治家のパターン】
①「臨時」の政治家……投票、拍手、講義など政治的活動をする我々。
②「副業的」政治家……政治団体の世話役や幹事など、やむをえない場合にだけ政治活動をする人々。
③「本職」の政治家
[a]政治「によって」生きる者……政治を恒常的な収入源にする人。
[b]政治「のために」生きる者……不労所得などで生活に余裕があり、政治に打ち込める人
→政治のために生きる者(つまり富裕層)による政治は、政治的指導者層の人的補充が「金権制的」に行われるようになる。「金持ちの職業政治家だと、自分の政治上の仕事に対する報酬を直接求めなくてすむが、財産がないと否が応でも報酬を求めざるをえない」p.24
「政治関係者、つまり指導者とその部下が、金権制的でない方法で補充されるためには、政治の仕事に携わることによってその人に定期的かつ確実な収入が得られるという、自明の前提が必要」p.25
【官吏】
〇政治的関係者への収入の保証という傾向と対立しているのが近代的な官吏制度。
「長期間にわたる準備教育によってエキスパートとして専門的に鍛えられ、高度に精神労働者になった近代的官吏は、他方で、みずからの廉直の証しとして培われた高い身分的な誇りをもっている。」pp.27-28
→政治的官吏は通常「彼らの移動、罷免、「休職」がいつでもおこなわれ、任意に行われるという点で外から見分けがつく。」p.33
【職業政治家のタイプ】
「等族に対抗する上で君主が頼みとしたのは、政治的に利用できる階層――身分制秩序に縛られることの少ない特殊の階層である。」p.35
①聖職者、②文人(読書家)、③宮廷貴族、④都市貴族、⑤法律家
〇政治家である以上、闘争を不断かつ必然的に行うが、官吏はこれに巻き込まれてはならない。
「党派性、闘争、劇場――つまり憤りと偏見――は政治家の、そしてとりわけ政治的指導者の本領だからである。政治指導者の行為は官吏とは全く別の、それこそ正反対の責任の原則の下に立っている。」p.41
→官吏はこの逆に政治的な意味で無責任な人間のことである。「こうした人間が――残念ながらわがドイツのように――指導的地位についていつまでも跡を絶たない状態、これが「官僚政治」と呼ばれているものである。」p.42
【政党の組織強化】
〇政党の地方支部のネットワークが広がったことによる名望家集団と代議士による組織強化と対照されるのは次のような近代政党組織である。
「これを生み出したのは民主制、普通選挙権、大衆獲得と大衆組織の必要、指導における最高度の統一性と極めて厳しい党規律の発達である。名望家支配と代議士による操縦は終わりを告げ、院外の「本職」の政治家が経営を握るようになる。」p.54
→自分の計算と危険において票をかき集める政治上の資本主義起業家である「ボス」や、指導者のために働く政党組織としての「マシーン」など。
「ところでぎりぎりのところ道は二つしかない。「マシーン」を伴う指導者民主主義を選ぶか、それとも指導者なき民主制、つまり天職を欠き、指導者の本質をなす内的・カリスマ的資質を持たぬ「職業政治家」の支配を選ぶかである。」p.74
→後者は「派閥的」と呼ばれる。
【政治家に必要な資質】
①情熱……事柄に即するという意味での情熱、つまり「事柄」への情熱的献身のこと
②責任性……仕事への奉仕
③判断力……政治家の決定的な心理的資質。「すなわち精神を集中して冷静さを失わず、現実をあるがままに受け止める能力、つまり事物と人間に対して距離を置いてみることが必要である。」p.78
→これが失われて、純個人的な自己陶酔が行われるとき、「職業の神聖な精神に対する冒とくが始まる。」「デマゴーグの態度は、本筋に即していないから、本物の権力の代わりに権力の派手な外観を求め、またその態度が無責任だから、内容的な目的を何一つ持たず、ただ権力のために権力を享受することになりやすい。」p.80
【心情倫理と責任倫理】
「まず我々が銘記しなければならないのは、倫理的方向付けられたすべての行為は、根本的に異なった二つの調停しがたく対立した準則の下に立ちうるということ、すなわち「心情倫理的」に方向付けられている場合と、「責任倫理」に方向付けられている場合があるということである。」p.89
「心情倫理」……純粋な心情の炎、たとえば社会秩序の不正に対する抗議の炎を絶やさないことだけに「責任」を感じる。
「責任倫理」……自分の行為が前もって予期できた以上、その責任をだれかに転嫁できないと考える。