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Walzer,Michael 1987→2014 『解釈としての社会批判』

 

序文・日本語版への序文 p.7-12

「社会批判を一つの社会的実践として理解すること。本書のねらいは、その作業を進めるための哲学的枠組みを提供するところにある。社会批判者たちはいったい何を行っているのだろうか。彼らはどのようにして批判に取りかかるのか。社会批判の諸原理はどこから生じてくるのだろうか。自分たちが批判を加える人々や制度に対して、社会批判者たちはどうやって距離をとるのだろうか。社会批判を批判的解釈の営みとして捉えるのが(そうした一連の問いを解明するのに)最善の理解の仕方である。」p.7

→ハーバマスとガタマーの論争を通して、(当時の)批判理論は哲学における係争点の一つになっていたことが背景にある。

○また「批判理論がなくても社会批判は可能か」という問いに関しては、政治と哲学の双方に関係してくるため、次の自著(『批判者たちからなる仲間たち』)まで留保する。

 

「<社会批判(概して、道徳に関る議論も)と特定の生活様式のあいだに切っても切れない結びつきがある」と論じるのが、この本の主要なねらいだからだ。」p.10

→大量殺戮や民族浄化、奴隷制や拷問などの不正義は往々にして、人間性(ヒューマニティ)の諸原理といった普遍主義的な批判の対象になってきた。しかしながら、

「ある特定社会に(もっと目立たないかたちで)生じた不正義を攻撃しようとする批判、それを日々続ける作業は、当該社会の歴史が培ってきた理解力と価値観にてらして進められる場合に、もっとも有効な批判となる。」p.10

○したがって本書で検討するのは以下の2点に絞られる。

①この種の批判が理論上可能であることの検証

②加えてこの種の批判が道徳上からも望ましいやり方であることの証明

→この2点を聖書などの(西洋的な)例と照らし合わせながら考えていく。

 

 

第1章 道徳哲学3つの道 p.13-60

○道徳哲学にはありふれてはいるが、重要な3つの接近方法がある。ここではそれぞれ、「発見の道」「発明の道」「解釈の道」と呼ぶことにして、このうち最後のものが(少なくともこの中では)我々の日常的な道徳経験に適合していることを示す。

○また2章では「私たちはすでに目の前にあるものごとを解釈することしかできないのだから、解釈なる営みは私たちを不可避的に現状へと縛りつけ、したがって社会批判の可能性そのものを掘り崩してしまう」との批難を取り上げ、解釈の方を擁護する。

 

[発見の道]

「私たちが発見の道を手早く最もよく知ることができるのは、(ユダヤ・キリスト教の)宗教史からである。宗教においてはたしかに発見は啓示に付随してはいるものの、山に昇り、砂漠に入り、啓示する神を探しだし、神の言葉を持ちかえる誰かがいなければならない。この者は残された者たちにとっては道徳の法を発見する者である。」p.15

→宗教的道徳は聖書やコーランといったバイブルの解釈を通して行われるが、そこに記されている啓示や神託は人間ではなく、神の創造したものであり、一義的には道徳の世界を新大陸のように発見するところから始まる。

「私たちに啓示されるのは、「これをなせ、あれをするな!」といった一連の天命である。そしてこれらの天命は発せられたその当初から批判的であり、批判ということをその特質としている。というのも私たちがすでに行っていることを神が私たちに命じ、私たちがもはや行っていないことを神が禁止するのだとすれば、それではとても啓示とはいえないだろうからである。」p.16

 

<夕暮の梟の知恵>(=回顧的な発見の道)

○また「神からの啓示」を発見した預言者や教徒の如く、自然権や自然法、もしくは何らかの客観的道徳的真理といった自然本性を発見し、道徳原理を訴える哲学者は多くいる。

→トマス・ネーゲルが論じているように、彼らは世界を「特定のどことはいえない観点(no particular point of view)」から眺めている。これはまさしく神の観点にいたる途上のどこかに他ならないだろう。

「それが私たちに告げ知らされたならば、私たちはそれを私たちの日常的な道徳生活のうちに組み入れなくてはならない。しかし世俗化以前における宗教的発見と比べるならば、私はこの世俗的な発見には信頼を抱いてはいないのだと、ここではっきり言っておこう。」pp.18-19

→道徳原理が世俗化されてしまったため、例えば「私たちは他人の苦難に無関心でいるべきではない(ネーゲル)」といった主張に、啓示がもつ喚起力はもはや見出せない。なぜなら多くの人がこの原理をすでに知っており、ネーゲルはそれを「再」発見したに過ぎないからである。

○ここまで見たように「発見の道」の哲学者が「特定のどことはいえない観点」から眺めることで、原理を抽象的に論じること(自然権、普遍的道徳規則など)は可能であるが、道徳の世界に疑念を持ち挑むこともまた可能である。

→例えば功利主義などは日常的な直観を反映しているものとは言いがたく、明らかに啓示を無視している。しかし結局のところ、彼らはその異様さを暗に認め、効用計算を弄くることで元々「発見」された道徳原理に帰着する。

○これらはあくまで世俗化以前の神託を「再」発見している過ぎない点で、「回顧的な発見の道」であると結論付けられる。この他方で<夜明けの梟の知恵>(=野心的な発見の道)も存在している。

 

[発明の道]

「他方で、特定のどこにも存在しない場所にいる人々ならば、神の僕の発見ではなくむしろ神そのものの創造を模倣しつつ、まったく新しい道徳の世界を構築することができるだろう。彼らは、現実に存在する道徳の世界はひとつもないと考えるがゆえに(なぜなら神は死んだから、あるいは人類は自然から根底的に疎外されたから、あるいは自然は道徳的な意味を剥奪されたから)、新しい道徳の世界を構築しようと企てたのかもしれない。」p.23

→こうしたプロジェクトはデカルトに倣って「私自身の考え方を作り変え、そっくり私のものになっている地所のなかに建てること」と表現することができる。

「これは発明の道である。すなわち、目的は私たちが発明しようと望む道徳によって与えられる。その終点たる目的地とは、正義、政治的徳、善さ、あるいはそのような基礎的な価値が実現されるであろうような、普通(コモン)の(・)暮らし(ライフ)である。」p.25

→こうした哲学者たちは神による啓示の青写真なしに、方法論の段階――すなわち(道徳原理)設計の手続きのデザインから始めたのである。そして設計の手続きが合意に終わることが重要になってくる(※この議論はハーバマスの討議倫理学やロールズの反照的均衡を想起すればわかりやすいかも)。

○しかし設計の手続きに伴って、道徳がある一人の者(立法者)によって構成されるとするか、あるいは権力を構成に配分すべく万人による参加(presence)による正当化するのか、といった問題は往々にして係争点となってきた。

「この問題に対して多様な解決法がある。そのなかでも、ジョン・ロールズのものは最もよく知られ最もエレガントなものである。」p.26

→ロールズは無知のヴェールという概念装置によって、立法者/万人という区別を見事に撤廃した。なぜなら原初状態において道徳原理を正当化するのは、ある一人による思索でもなく、相互の話し合いでもなく、(誰もが同一の条件下だから)ひとりの人間が話すだけで済むためである。

○一方でハーバマスによる設計の手続き(討議)は、討議が単なるイデオロギー対立のレベルを超えてしまうよう入念なデザインを必要とする。換言すれば参加者が特殊利害の紐帯から解放されていないと、自らが要請する理性的帰結を産出することはない。

 

○他方で未解決問題も残っている。すなわち「なぜ私たちは普遍的な矯正に屈するべきなのか。また哲学者の発明が唯一可能な発明であるとなおも想定してではあるが、発明が発揮する批判の力とはそもそもなんであるのか。」という2点である。以下ではロールズの原初状態を戯画化することで、彼の説明が有している特徴を浮き彫りにする。

▽国も文化も異なる旅行者の集団が、何らかの中立地帯で邂逅したとする。

▽彼らは一時的に協力する必要があるし、協力のためには自分たちの選好や価値観の主張を差し控える必要がある。すなわち彼らは「覆われる」。

▽彼らは自分たちの自然言語に適する、何らかの混成語で会話するとする。つまり言語的な不平等も解消される。

▽そして共生のための唯一の規則を導出し、規則はその空間を支配するようになった。

→ここでは設計の手続きが当座の目的にとって紛れもなく有用であり、ゆえに規則の正当性は保証されるだろう。しかしながら、

▼中立空間を離れるとなったとき、共同生活で導出された規則を故郷に持ち帰る。

「この主張にはもっともらしさが見られない。新しく発明された諸原理が、すでにひとつの道徳文化を共有しひとつの自然言語を話す人びとの生活を支配すべきだというのは、いったいどういう理由からなのか。」p.31

「無知のヴェールに覆われたまま、自分自身の生活様式に関する知識をすべて奪われ、同じようにそうした知識を奪われた他の人びとと共に暮らすように強制されたのならば、人びとはおそらく、いかに困難であろうとも、生活態度=暫定協定(modus vivendi)」を見つけるだろう。(具体的な)生活様式ではなく、(抽象的な)生き方の流儀としての。しかし、この態度=協定がこうした条件下でこれらの人びとにとって唯一可能な暫定協定であるとしても、この協定が普遍的に価値のある調整であるということにはならない。」pp.31-32

※ここでウォルツァーはカリカチュアを用いて、ロールズの原始状態-正義正当化の構図を批判している。一見すると奇妙な論駁のスタイルだが、よく見るとマルチカルチュアリズムにおいてはオーソドックスなロールズ批判を行っている。すなわち「統一的な正義の構想」に回収できない、包括的教説の存在ないし「穏当で多元的な事実」の示唆。

→新たに道徳原理を発明することによって、一時的な共同生活くらいならば問題なく過ごせるかもしれないが、それでも自分たちが設計したホテルに住み続ける道理はなく、ゆえに道徳的拘束力もない。

○カフカは「ホテルにいるときに最も落ち着く」と作中のKに述べさせた。そのようにホテルを求めるような集団――すなわち難民、亡命者、追放者がいるのも確かだろう。

→しかし彼らとてホテル住まいを永遠に続けるわけではなく、むしろ帰属感を味わうことができる道徳文化に定住することが本来的な目的である。

 

[解釈の道]

「道徳の発明の過程に関する考え方には、説得力のさらに高い別の考えがある。現存の(社会的)道徳が要求するとおりに、そうした道徳が神の命令あるいは自然法を組み入れている、あるいは、すくなくとも(どのような理解によるものであれ)価値ある道徳原理を組み入れている、と想定してみよう。新たに道徳を発明することがここでの私たちの目的なのではない。むしろ私たちに必要なのは、現存の道徳についての説明ないしモデルを構築し、そこからその道徳そのものの原理が有している批判力について明確で包括的な見方を獲得すること、しかも先入見や自己利害の混入を伴わせずに行うことである。」p.34

→ロールズの原初状態はあたかも宇宙空間にできた全くの中立地帯における、しかも一時的な共同生活に対して適用できる、成員の利害関係を締め出したモデル――「代理・表象の装置」(Lawls)だった。

○対して「解釈の道」は自分たちの道徳を埒外に置くことなく、「自分たちが住む道徳の世界を、当の世界の内部にある「特定の観点には立たない視点」から記述」(p.35)する。したがって哲学者の発明の腕前は「もっぱら現実の道徳(moral reality)をひとつの理念型へと変えることだけに絞られる」(同)。

○現存の道徳のモデル化は、それが孕む何らかの価値を承認することによって初めて可能となる。つまり価値中立的な地点からモデル化の作業は行えず、むしろ価値が内包されている事実を認めた上で、その反省・再発明をすることが重要になるのである。

「私たちの関心の焦点を絞っているのは、私たち自身、つまり私たちの原理や価値に他ならないのだ。[…]すべての解釈がその「テクスト」に寄生しているのだとすると、いったい解釈はどのようにして当のテクストを適切に批判することができるのか。[これが解釈と批判との関係に関わる問題なのである。]」p.37

 

○ここまでの議論は、法に関する機能になぞらえて要約できる。

「発見の道」……「法律を見つけ、宣言し、そうして執行する行政府の仕事」。立法というよりかは、いずれかから法を受け取り、その執行を行う役割。

 

「発明の道」……「私たち全員が代議員になりうるということを理由にして、私たち全員を代表する代議員たちの仕事」。これには2つあり、新たな立法は憲法制定に似ている。法制定者は新たな道徳世界を創造する必要がある。

 

「解釈の道」……「(新たな立法に対して)法典編纂は、発明の営為ないし構成の営為であると同時に、解釈の営為でもある」。したがって「発明の道」と「解釈の道」は比較的近くを通っていることがわかる。こちらは新たに道徳世界を作るのではなくて、既存の道徳世界の泥沼を再考していく仕事である。

○なぜ哲学者にとってこうした泥沼が道徳の権威であるのだろうか。他に新たな権威を探してはならないのだろうか。

→(カントやロックのいうように)神が創ったものだから、ないしは(ロールズのいうように)局地的な自己を超えて選択された原理だから、というのが回答となる。

○しかし、そもそもこのように現存する道徳が権威を有するのはなぜなのだろうか。

「これらの問いに対して最も簡単な回答があるとすれば、それは、<私たちが発見し発明する道徳は、つねに私たちがすでに有している道徳ときわめてよく類似していることが明らかになる、あるいはつねに明らかになるだろう>と主張することであろう。哲学による(道徳の)発見と発明は(神の啓示を脇におくならば)仮面をかぶった解釈であって、実際には、道徳哲学には解釈というたったひとつの道しかない。」pp.41-42

→確かに(例えば功利主義のように)独自的な発明や発見の道を進む哲学もあるが、それが新奇であればあるほど、私たちの直観から離れ、手堅く説得力のある議論の役に立つものではなくなってしまう。

※ポイント:道徳が道徳として機能し、そこに権威が認められるのは、それが現に存在しているという事実のみに支えられている(だから現存する道徳から離れた道徳哲学は、どうしても直観に反してしまう)。

 

○道徳的権威は私たちに内省の契機をもたらしてくれる点において、「批判的」である。しかし、「批判的」な度合いが強いからといって、その道徳のほうが優れているということにはならない。

→単に主唱者の要求をより多く提供してくれるだけである。

 

○法典編纂において法律家たちは、憲法上なすべきことの解釈を、特定の法律ないしは憲法のテクストの中に求めることになる。しかしながら、「道徳について議論している一般の人びとに共通して提起される問いは異なる形式をとる。すなわち、何がなすべき正しいことかという形式をとるのである。」p.44

→つまり「機会の均等」や「アフォーマティブ・アクション」などが問題になるとき、(特定の条文が問題になるとの同じく)その具体個別的内容が問われる他方で、より根源的な「何がすべき正しいことか」という生活様式の意味も問われている。

○そして道徳哲学が定める禁止事項も生活様式によって構成されているものであり、ゆえに突発的に発明や発見されたものであるというよりかは、長い年月をかけて次第に創発してきたものであるということができる。

「これはすなわち、ディヴィッド・ヒュームが窃盗の禁止に関して述べているのとちょうど同じことである。窃盗の禁止は「徐々に生ずるのであって、ゆっくりした出来事の進行と、それを犯すことの不都合を私たちが繰り返し経験することによって効力を得る」のである。」p.48

○とはいえ現実においては、最小限の規準や禁止事項が道徳文化を演繹しているわけでもない。仮にそうした規準を想定できても、その具体化や練り上げ、変奏のプロセスは単一の性質を不可能にし、複数の理解の仕方を可能とする性質をもっている。

→道徳はアプリオリな定義をもっておらず、多元主義的である。その点においても、道徳哲学の歩む道は解釈しかないのである。

 

「人間の生涯を職業上の経歴中心に描く特有な観念をカバーするところまで道徳が行きついたのだとすれば、その道徳は熟成されきったものとならなければなるまい。そうだとしても、解釈の営為が果てしなく延々と続き、決定的な終結点へと向かうことは決してないのをみると、(終わることのない営為に対して抱く不安を解消するために、そうした無際限を断ち切ろうとして)発見ないし発明という衝動に駆られるかもしれない。」p.50

→しかし実は発見と発明も解釈と同様、終わることがない営為である。

→熱心な発見・発明者が立て続けに登場している事実に加えて、彼らが道徳を提起すると、受容者たちによってその道徳的意味の議論が巻き起こるためである(そしてこの議論は解釈の道に通じている)。

 

「私たちは道徳についてきちんの論拠をあげつつ議論しなければならない。議論には必ず共有(common possession)ということが必然的に伴うが、共有には必ずしも合意することは含まれてはない。ひとつの伝統、一群の道徳の知識が存在し、右に見たような議論を行う賢人の集団が存在する。その他には何も存在しない。」p.59

→発明も発見が一時的にであっても、伝統に根ざす深い道徳文化とその賢人たちを凌駕することはない。先述の通り、道徳は私たちの生活様式に組み込まれて現存している。

 

 

第2章 社会批判の実践 p.61-115

○社会批判という実践は発見や発明のように高度に理論的なものではなく、むしろ日常の成員によって営まれている。

○「文芸批評」という語は「文芸(受け手)」「批評(送り手の実践)」という2つの語から成り立っている。しかし「社会批判」における「社会」という語は、批判を営む主体についてもなにごとかを語っている。

「社会批判は社会的な活動なのだ。「社会的」という語には、むしろ「自己批判」という語における「自己」のように、主体と対象とを同時に名指す代名詞的かつ再帰的な機能がある。[…]社会批判を行う者は、たいていの場合、他のメンバーに向かって公然と話しかける集団構成員でもある。そして、批判者以外のメンバーが言論活動に加わることによって、集団の生活の諸条件に関する集団的な反省が引き起こされることになる。」p.62

→社会内部から当該の社会を批判することはそもそも可能なのだろうか。社会批判は伝統的に①公平無私で冷静であるために、②地域独自(パロキアル)の見解から距離を置くために、外部から行うのが適切だとされてきた。

 

「現実から離れる態度が社会批判の前提条件であるといった説明が行きわたった理由のひとつに、現実から離れる態度と境界性の混合がある。預言者たちはマージナルな人ですらなかったのだが、彼らの後継者の多くはそうであった。社会の周縁にいることが批判を動機づけ、批判者に特有なものの言い方や見た目を決める条件となることがしばしば生じた。しかしながら、それら公平無私、冷静、個々の広さ、ないし客観性を生み出す条件ではない。それは外的な条件でもない。マージナルな人びとはゲオルク・ジンメルのいう異境人(Stranger)に似ている。つまり、彼らは社会の中に存在しているものの、その社会に完全に内蔵してはいない。」p.66

→発見や発明の道が想定するような批判者像は、社会に外在すること/マージナルであることを混同している。しかし外在することは社会批判の必要な条件ではない。

「社会批判は内部から企てられる議論である。アウトサイダーが社会的な批判者となりうるのは、彼が自覚的な努力でもって自分自身を社会の内部に据え、想像力を働かせて地域の実践や制度に入り込む場合に限られている。しかも、こうした批判者はすでに社会に内蔵しているのだ。」p.70

 

○社会に内在的であるという特徴は、大多数の社会批判者に当てはまる。次にこの叙述を哲学的な観点から弁護することで、より強固なものにしていく。そのために内在的であることに対する、2つの憂慮にまずは応えておく。

①そうした批判者が保持している社会との結びつきは、批判的な距離をとるのに十分余地を残しているのか。

 

②当該社会の実践と理解に内在しつつ、同時にまさしく批判的であるような諸基準を、社会批判者が手に入れることは可能なのか。

 

「まずはじめに第二の問いを取り上げよう。社会批判はより大きな活動の副産物、その中でとくに重要度の高いもののひとつとして理解されなければならない。この大規模な活動を、<文化と練成の肯定>(cultural elaboration and affirmation)」の活動と呼んでおこう。これは、聖職者と預言者、教師と賢人、物語作家、私人、歴史家、そして著作家一般が携わる仕事である。この種の人びとが出発するようになるとただちに、批判が生じる公算が高まる。」p.71

→彼らの仕事は(マルクスが指摘する通り)支配階級における知的な仕事である。しかしその実践が「知的」であるがゆえに、社会批判という敵対的な営みに至る道が切り開かれるのである。

→すなわち彼らは支配階級における自己認識の叙述に一役買うが、それはあくまで見かけ上の普遍主義に過ぎない。

「批判の成否を決するのは、(客観的な科学に基づいてなされる)世界についての言明が心であるかよりも、ある共通理念の解釈が批判を喚起するものであるかなのである。社会批判に関わる議論は(社会的に創造された)意味と経験をめぐって行われる。そのため、議論のあり方は社会経済的な舞台装置だけではなく、文化的な舞台装置によっても規定されるのである。」pp.77-78

○他方で、社会批判のすべてが社会に内在するとも限らない。

「マルクス主義の闘士やキリスト教の宣教師が社会批判者として外国を訪れたと想像してみよう。この批判者はその異国で土地の人びとに出くわすのだが、新参者たる彼の信念からすれば、現地の人びとが世界や世界における自分の位置について抱いている味方は徹頭徹尾誤っている。彼がその土地の人びとの誤りを測定する際の規範は、当該社会にといってはまったく外在的なものであって、いってみれば彼はそれを旅行カバンの中に押し込んでやってきたようなものなのだ。」p.78

→革命の闘士と宣教師はこのとき、目的(革命と宣教)を遂行するためには土着の人びとから理解をまずは得るように努める必要がある。彼らは反省的・再帰的プロセスを通して、その主張を地域に適したものに変えて浸透させる。しかしこの段ではもはや「内部の仕業」であると言えるだろう。

○新参者は「最小限の規準(コード)」を利用し、道徳的な批判を行うこともあるだろう。

→スペイン人はアステカ遠征で人身御供を批判したが、その際に彼らはキリスト教的世界観の他に、最小限の規準としての自然法(「人を殺してはならない」)を持ち出して説得を試みた。結局は征服のための口実に過ぎなかったが、それでも部分的には内在的だった。

「罪の意識は、私たちがどう頑張ってみても、神によって適用される規範にのっとって生活することはできそうもないという事態に気づくことから生ずるものである。」p.81

○また時代が世俗化されることで、他者が神の位置にとって代わることもある。

「道徳に関する実際の議論は、たったひとりの者(理想的な条件を満たした個人)の独和ではなく、多数の人びとの語りを引証することで遂行されるのである。」p.82

→スキャロンがいうように諸個人による道徳的に認められたい欲求は、互いに互いを道徳的に承認しあう関係を生み出し、道徳的信念を喚起させる。

「どの人間社会もそのメンバーに対して、有徳な性格、価値ある行い、公正な社会に制度についての規範を提供してくれる。同時に人間社会は正当化を媒介にしてそれらの規範を入手する。こうした規範は社会的に生み出された加工品であって、数多くの異なる形態で具現化されている。すなわち、法や宗教のテクスト、教訓集、叙事詩、行動規則、儀礼の慣行として、それらの規範は姿を現わすのである。」p.84

 

○しかし私たちはいったいどのようにして、道徳の規範に関する解釈の優劣を知ることができるのだろうか。批判者の解釈が独善的なものになることもありえるだろう。

「これらの問いに対する私自身の解答はすでに示唆してきたとおり、それらの問いが道徳上の議論の条件や用語法を設定してくれるのであるから、議論そのものには終わりはない、というものだ。道徳に関する議論には、判断すべき時点という一時的な休止点しかない。」p.86

→しかしこれでは批判者が道徳の議論から離れることができず、義憤に駆られたまま、独善的な批判を繰り返してしまうことになるのだろうか。

→この問いは、批判者が当該社会を批判するために必要な社会との距離(※これは先の①)にかかわってくる。通常の見解では、自己批判における批判的な距離は自己を分裂させる。

自己1……社会に巻き込まれ、偏狭な考えを抱き、感情的に怒っている。

 

自己2……社会からはなれて超然とし、公平無私な眼差しで、自己1を見張る。

→自己2のほうがメタな視点を有しており、優位で高次であると考えられる。実際のところ、私たちが以前に犯した己の過ちを反省したり、苦々しく思ったり、悔しがったりするとき、この自己2が働いており、ゆえにこの議論は間違ってはいないことがわかる。

○しかし社会批判は自己批判とは異なり、その反省は社会全体に作用するのだった。したがって議論から身を引いた、自己2が提唱した規範に解答が正しいということにはならない。

「現実から離れる態度(detachment)を擁護しつつ、ネーゲルはこう主張する。公平無私で超然とした観察者(自己2)は自己1が有する道徳的信念や動機づけを放棄してしまう必要はないのだから、文明の滅亡や、現実の世界での他の出来事によって当惑せずにいる必要はない、と。しかし、自己1の信念と動機づけが直接的なリアリティをもっている道徳世界から、自己2が立ち退き、それらの信念と動機づけを現実のものとしている人びとから離れたあとで、いったいどのようにして自己2はそれらを自己1と同じ仕方で経験することができるのだろうか――私にはまったくわからない。」pp.90-91

→社会に対する情熱的な肩入れ(commitment)から離脱することが、もし公平無私であるための条件であるならば、自己2よりも自己1のほうが自らの価値観を特定の場所と時間で擁護する点において、批判的であることになるのではないか。

○また自分自身の生活における時間と場所を、自分から切り離すことで――批判者の生活から生じる価値を「圧殺」することで、現実から離れる場合も考えられる。

→しかし、こうした哲学的離脱の態度は社会批判にとっては魅力に欠ける形態である。ジョン・ロックの例を以下で考えてみよう。

[a]ロックの亡命……ロックは自国イギリスを離れ、オランダに亡命した際に『寛容書簡』の中で、革命的な理念を擁護している。しかし、その批判はイギリス社会から物理的に距離を置いたからではなく、むしろ亡命を通してスチュアート王朝と闘う政治勢力に、以前にも増して堅く結びつくようになったからに他ならない。

 

「現実からの撤退も、ある程度は社会批判を形づくるが、それよりはるかに社会批判の姿かたちを決めるものに、反対派の対立・抗争(opposition)がある。批判者は現実に見られる、もしくは滞在するコンフリクトのどちらか一方の立場に与し、支配的な政治勢力に対抗する。」p.97

→これらのケースは、特に戦争や闘争の中の社会批判を見るとわかりやすい。

[a]マルクス主義者……マルクス主義ないしは社会主義は、集団生活のリアリティを、つまり共通の価値と共有された一つの伝統が織りなす現実性を否定してきた。ゆえに体系だった社会主義の記述が不可能となり、妥当な批判が繰り出せなくなってしまった。

 

[b]サルトル/アルジェリア戦争……サルトルは果敢にフランス社会を批判したが、彼自身はその批判の営為を「戦争」として把握していた。そして右派からの攻撃に応えるために、自らを「祖国の敵」であるとし、また「裏切り者」であると称し、批判の土台を自分の手で切り崩してしまった(「敵」は外在する存在であり、社会批判者と見なされない)。

 

「二つの極がある。すなわち、一方の極には哲学による現実からの超然離脱(detachment)が、他方の極には現実から撤退し、向こう側に身を投じる「反逆的な」政治参加がある。第一の極は第二の極の前提条件である。自分自身が属する社会に関与しないのであれば、それは理論上の、あるいは実際に存在する別の他の社会への過剰な政治参加へと促される。社会批判に適した立脚点とはまさに、現実から離れ超然とした哲学者とサルトル的な「裏切り者」とが、ともに放棄してしまった地点に他ならない。」p.105

→批判対象の社会から完全に離れる必要なく、ロックやサルトルは遠ざかり過ぎていたといえるだろう。他方で、社会内部の特定の権力関係と距離を置くことは必要とされる。「私たちが離れなければならないのは、社会との繋がりからではなく、権威と支配からなのだ。境界性は、こうした距離を設定するひとつのやりかたなのである。」p.105

※[整理]

問題設定:「批判を可能にする社会との距離(感)」→想定される2つの方法とその反駁

Ⅰ:超然離脱……自己1の方が自己2より社会に肩入れ――内在している。またロックのように亡命などで物理的距離を置くことは、批判に適切な距離とは関係がない(ロックはむしろ亡命によりコミットの度合いが強まっていた)。

Ⅱ:反逆・対抗……自らを批判する社会の「敵」であると強調するとき、社会に内在しない/外在しているということが含意されている。つまりサルトルがした「敵」や「裏切り者」といったポジショニングは、社会批判に適切な地点から撤退してしまうことになる。

 

○また社会と繋がりを欠いた(disconnected)批判――新しく「発見」「発明」された道徳規範に基づく批判は、それが圧力となり実践者を操作と矯正に導くことがある。批判者はこれらの場合において、外在する道徳秩序に準拠しており、その政治のあり方は人びとの納得を得ることはできない。

「私は(社会との繋がりを欠いた)批判者の営みと、集団的な反省、内部からの批判、あるいはいわゆる「内在的批判(immanent critique)」とを区別することに努めてきた。社会との繋がりを欠いた批判者による批判は、いわば社会から切れた批判、外部からの介入、強制執行であって、理知的な形式をそなえていても、目指すところは物理的な実力行使と選ぶところはない。」pp.112-113

 

 

第3章 社会批判者としての預言者 p.117-155

「ここまで論じてきた対比と対立概念――<発見ないし発見された道徳>と<解釈された道徳>、<外在的批判>と<内在的批判>、<共有された価値>と<日常的実践>、<社会的な繋がり>と<社会的な距離>――これらの対立概念はすべて非常に古くからあるもので、近代に特有のものではない。」p.118

→本章では西洋の歴史において初めてこれらの概念が登場したときの姿(預言者)を検討し、理論に肉付けを行うことが目的。

〇ここでは預言や預言のテクストの意味内容に注目するのではなく、そのメッセージの需要のされ方――社会的実践としての予言を考える。

「アモスが最初にそうしたように、これらの予言(おつげ)にある道徳的な枠づけがほどこされ、憤りのきっかけを提供するとき、預言が同時に日常生活の制度や活動に対する憤慨、言葉による非難叱責になるときにはじめて、そうした預言は人々の興味関心をひくものになる。その際に、なぜ人々が預言者のメッセージに耳を傾けるのか、聴くだけではなく、書き留め、記憶にとどめ、語り継ぐのか、これはひとつの謎である。」p.119

 

「まず最初に注意すべきは、預言のメッセージがそれ以前のメッセージに依拠している点である。それは根底的に新しいものではない。預言者は、自ら述べ伝える道徳を最初に見つけ出したのでもなく、最初に作り出したのでもない。」p.121

→預言者は独創性を否認し、自分自身が聴衆に受け入れられるとは考えない。しかし、自分が説く(過去から継承した)道徳は、聴衆に受容されると確証している。

 

「預言は、特別の目的をもった語りである。すくなくとも一時間、預言を聞いた者たちの一部では日常的であったにちがいない言説、その内容を学識教養で粉飾するのではなく、霊感と詩の形式を用いて言い表したものなのである。鍵となるテクストの儀礼どおりの復唱、心からの祈り、物語ること、教養をめぐる論争――聖書はこれらすべてが実際に行われていたことを証拠立て、預言はこれらの活動と分かちがたくつながり、これらに依拠している。」pp.126-127

→バビロン捕囚時に書かれた『ヨナ書』において、ヨナが都市ニネベの滅亡を預言するとき、彼はニネベの民が信仰する神々を呼び起こすことはできなかった。ヨナは共同生活に依拠せず理解された道徳を軸とした、希薄な預言を行った。

〇他方でアモスは普遍主義を掲げつつ、特定集団への肩入れ(コミットメント)も同時に達成した。

→アモスは出エジプトの「一族」に内在する罪を罰すると預言している。

 

「この預言者たちのメッセージは断固として現世的である。彼らの倫理は、社会的で日常のごくありふれた倫理である。ここでは以下の2点が極めて重要だ。そのどちらも、きわめて啓発的な比較文化史的視座を提供しているウェーバーが教えてくれたものである。」p.135

①預言者のユートピアは存在しない

→向かうべき「最善」の宗教的体制、歴史と断絶されたどこにも存在しない(プラトンがいうイデアのような)理想郷はない。そうではなく預言者は憤りながらも、自身の社会に根差している。

 

②預言者たちは個人の救済や、彼ら自身の魂の完成に何の利害関心も抱いていない。

→禁欲主義も現世拒否も抱かず――したがって彼らは世捨て人や浮世離れした存在ではなく、むしろ連帯の原理に従って社会的経験に関与せざるを得ない。

→ユートピア志向や厭世主義を抱く預言者は社会に外在せざるをえず、妥当な社会批判を繰り出すことはできない。預言者は過去のメッセージに依拠した、共同生活に内在する預言を行わなければならない。

 

〇しかし時空間を飛び越えて、かつての預言から一連の抽象的なルールを学び取ることはありえない(例えば21世紀の日本人が『アモス書』を、紀元前8世紀のユダヤ人と同じように読解することは不可能である)。

「復唱されるものがあるとすれば、それは実践であって、メッセージではない。[…]たしかに、(社会批判という)実践は同じであっても、メッセージは異ならなくてはなるまい。さもなければ、預言(そして社会批判の)要件となる、(当該社会の)歴史の引証と道徳的な具体性を欠くことになるだろうから。」p.152

→先述の通りアモスの預言は普遍主義とパロキアリティの両側面を持ち合わせていた。このように最小限の基準を満たしつつ、特定社会に適用できる批判も可能である。これは以下のように整理できるだろう。

①市民だけではなく、異邦人もふくめた、全人類と私たちとの交渉のあり方を規制する。

 

②私たちの共同の生活(普通の暮らし)だけを取り締まる。

→前者が紋切型の批判になるのに対し、後者は具体個別的で種々雑多な範囲をカバーする。また前者が普遍性を志向するのに対し、後者は特殊性を志向するともいえるだろう。

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