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入門!シカゴ学派!

シカゴの歴史

1869年 大陸横断鉄道完成。中部のシカゴが中継都市になる。

1890年 西部開拓時代の終わり(「フロンティアの喪失」)。都市に人口が集中。シカゴ大学設立。

1892年 シカゴ大学に「社会学科」設立

1893年 コロンブス大陸発見400周年を記念したシカゴ万博開催。インフラが整う。

1905  移民が急激に増加。

~10年 シカゴにも多く流入し、人口が増えるとともに治安悪化。

1919年 禁酒法制定

1920年 アル・カポネらがシカゴの暗黒街を牛耳るようになり、ますます治安が悪くなる。

背景

○シカゴは世界的に類を見ないほど急激に都市化が進んだ地域。

→1830年代で人口6万人程度だったのが、1890年には100万人突破(ニューヨークに次いで2位の大都市に)。

○一方で移民の流入、ギャングの台頭、住居密集(1871年の大火・完全に蛇足だが、このとき岩倉使節団が多額の寄付をして凄く感謝されたらしい)など大都市ならではの社会問題が噴出。

→都市社会学・逸脱研究といった質的調査対象の土壌が出来上がる。

○ロックフェラーの支援によりシカゴ大学が1890年に設立。

○2年後の1982年に社会学科が創設され、アルビオン・スモールが初代学科長に就任(シカゴ学派第1世代の誕生)。

→スモールは優れた研究をした人物というより、制度的・教育的に社会学へ貢献をした人物。

①1895年 "American Journal of Sociology"を創刊。

②1905年 "American Sociological Society"の設立に尽力 (現在のアメリカ社会学会とは別)。

③学生たちにシカゴを舞台としたフィールドワークを推奨した(都市社会学の確立)。

○シカゴ大学には社会学科以外にも優秀な研究者が数多く在籍。

→特に当時哲学科にいたG・H・ミードは社会学の自己論(主にSI)に多大なる影響を与える。

第1世代

○設立期の学者。スモールもトマスも質的調査を推奨し、学生とともに実施。その後のシカゴ学派における研究を方向付けた。

アルビオン・スモール

・社会学の制度的な射程を確定。

・バプティストの牧師として教育を受けてきた。

→リベラルなプロテスタンティズムの実現を目指す。

・社会運動に科学的裏付けを求めるが、これも宗教的ミッションの一環だったとされる。

・当時アメリカ社会学において優勢だったスペンサーの理論からは距離を置く。

ウィリアム・トマス

・アメリカ社会学を理論的・演繹的研究から経験的・帰納法的研究にシフトさせる。

・ズナエツキとの共著『ポーランド農民』(1920)……ポーランドからシカゴに移住した農民の生活態度の変容を、手紙や移民向け新聞といった豊富な資料から分析。伝統的な共同体から流動的な都市生活への移動により、農民が野心的で反抗的な態度を獲得していく過程を明らかにした。

→アメリカ社会学の誕生を告げる一冊とされる。ライフコース分析や資料解釈の方法論―ヒューマン・ドキュメントの作成、地方のコミュニティ/都市生活の区別など、後世に与えた影響は計り知れない。

第2世代(黄金世代)

○シカゴ学派における黄金時代。質的調査を参与観察やインタビュー、手紙や新聞、日記といった生活史の収集などによって多角的に深化させた。とくにパークとバージェスは都市社会学を確立した人物であり、シカゴ学派における現地調査重視の学風を作り出した。

→学生たちによるシカゴ・モノグラフの公刊。パークとバージェスによる教科書『科学としての社会学への誘い』(1921)

アーネスト・バージェス

・パークとともに都市社会学・人間生態学を牽引。

「都市の発展―調査計画の序論」(1921)……都市をその中心から同心円上に5つの区分けをした。都市の同心円理論(Concentric Zone Theory)

①ループ(Loop)……都市中心部。デパートやオフィス、大ホテル、市役所といった結節機関が局所集中する。

②推移地帯(Zone in Translation)……都市部の拡大を予期し、いずれ壊されるだろうと(中心部に近いのにも関わらず)老朽化した建物が放置されている地帯。移民の多くがここに住み、シカゴではスラム、暗黒街、下宿屋、イタリア人・貧しいユダヤ人・中国人・黒人の居住地などがあった。
③労働者住宅地帯(Zone of Workingman's Home)……ある程度生活基盤を確立した労働者が住む地域。工場が近く、通勤の利便性が高い。

​④住宅地帯(Residential Zone)……中産階級以上が住む住宅地。都市の喧騒から離れた良好な環境。

⑤通勤者地帯(Commuters Zone)……経済的な成功者が住む地域。通勤には自動車を用いる。

→外に向かうほど富裕層が住む傾向が強い。また同心円は内側のものから外側ものに向かって拡張する。

ロバート・パーク

・学生時代の指導教官はデューイ。

・卒業後はしばらく新聞記者を務め、実地調査のノウハウを取得する。

人間生態学(Human Ecology)の確立。

→都市は意図されなくとも、生態と同様に人種や社会階層で凝離・偏析(segregation)=棲み分けがなされると指摘(※生態学由来のところも含めてルーマンに似てる)。

「都市空間構造の生成過程」(1936)……孤立した諸個人による4つの相互作用。これによって社会関係が組織化がされる。

①競争(competition)……相手との直接的な接触がないコミュニケーション(匿名化)。同一の環境資源に対する競合。植物のように同一の環境に生息しながら、互いに独立し合っている。4類型の中で最も普遍的、基本的、根本的な相互作用。

②闘争(conflict)……直接的な接触のある競合状態。ギャング、住民トラブル、人種対立など。

③応化(accommodation)……諸関係の不均衡を互いに承認しているやり取り。応化の契機が生じると、競争や闘争といった不安定な状況が安定化に向かう(ある程度の差別の承認、法的紛争への判決など)。慣習、制度、文化、技術などによって持続される。社会構造や階層の成立。

④同化(assimilation)……平等な関係を互いに承認するやり取り。応化における不平等な関係が是正されるが、同化は理想的状態であり、応化が一般的。

ウィリアム・オグバーン

・コロンビア大学から1927年に赴任。質的調査が主だった当時のシカゴ学派に、統計的手法などの量的調査の視点を輸入。

「社会変動論」(1922)……物質的文化が異文化との邂逅によって容易に変容するのに対し/その民族集団に古くから根付く価値観や、それに基づく慣習は変わりにくいという事実を指摘。両者のギャップを「文化停滞(Cultural Rug)」と呼んだ。

・余談だが、オオカミ少女「アマラとカマラ」の逸話の真偽性をインドで実地調査を行い検証した(科学的裏付けがないことが明らかになった)。

第3世代

○第2世代の教え子で、その後シカゴ大学の教員になった世代。ブルーマーとヒューズは、ミードから継承した社会心理学をシンボリック相互作用論として定式化し、行為論や自己論に多大なる影響を与えた。

ハーバード・ブルーマー

・ミードのプラグマティズム的行為論を受けて、シンボリック相互作用論(Symbolic Interactionism)を提唱。第4世代やアンセルム・ストラウスらの社会心理学者らによって理論枠組みとして継承される。

→経験的研究において理論的耐久度が精査されていった。

​・『シンボリック相互作用論―パースペクティブと方法』(1969)……SIのアイディア自体は1937年初出。体系化して論じたのが本書。

・ブルーマーによれば、人間/社会間には以下の相互関係が認められる。

①人間は外界の事物に<意味>を付与し、それに則って行為する(象徴性)。

②<意味>は独我的なものではなく、人々との相互作用の中において創発・獲得されていく。

③諸個人は社会過程の中において生じる相互作用で<意味>を解釈し、修正を試みていく(相互作用)。

→社会は既成の秩序・合意の総体なのではなく、絶え間ない<意味>の生成と修正によって―人々の織り成す相互作用によって構成されている。

・先述のとおりその後の自己論や行為論に影響を与えたが、他方でマクロな社会構造や権力関係を視野に入れらていないとする反駁もなされる。

→70年代におけるミクロ-マクロ論争(片桐 1998)。

エヴェレット・ヒューズ

・ブルーマーがどちらかといえば理論的な研究を中心に行ったのに対し、ヒューズは経験的研究において多数の業績を残している。

→特に仕事(work)や職業(occupation)、専門職(profession)を扱ったエスノグラフィックな研究の端緒を開いた。

・また初期のパーソンズと並び、医療社会学に対する貢献者としても有名。

【メモ】

・ジャン=シャプーリによれば、ヒューズは科学的言語を用いた観察をあえて避け、行為者の日常言語の用法をつぶさに観察する手法を意識していた(Chapoulie 1996)。

→サックスの「社会学的記述」とほぼ同様の観点を持っており、したがってEMに少しだけ先立ってる。

ルイス・ワース

・文化人類学者のレッドフィールドの都鄙連続体(rural-urban continuum)を下敷きにして、地域社会の都市化・生態学的変化(パーク)が諸個人のパーソナリティに影響を与える連続的な過程―アーバニゼーション(urbanization)を提唱。

「生活様式としてのアーバニズム」(1938)……ワースによれば都市とは規模が大きく、異質な他者が共在し、密度の高いコミュニティ。

→これらの特徴が顕著になればなるほどアーバニゼーションは促進されることになる。

・また諸個人の生活様式からは以下のようなアーバニズムが観察される。

①規模の効果――職業の専門分化と企業化。都市生活は市場の安定度合いに依存する。マスメディアと代議制の発達。

②密度の効果――相対主義や多文化への順応。他方で物理的に接近していても、互いに愛着がなく、孤独なライフスタイルの形成。

​③異属性の効果――コミュニティの複雑化と細分化に伴う、アトム的個人の形成。流動的大衆化。

第4世代(ネオ・シカゴ学派)

○第3世代シカゴ学派に師事したが、主としてシカゴ大学を離れ研究した人々。ゴフマンとベッカーのアメリカ社会学における二大巨頭は言うまでもなく、SIを発展させたシブタニや、サブカルチャーという概念を体系化したフィッシャーも未だによく引かれる。

アーヴィング・ゴフマン

ハワード・ベッカー

・まぁお馴染みの2人に関しては関連書籍含めガッツリ読んでるから割愛しよっかな(ベッカー『アート・ワールド』読んでないけど)。

タモツ・シブタニ

・社会学者と社会心理学を専攻。

・準拠集団論や民族問題などの研究で功績を残した。またSIを応用した"デマ"の研究は、今なおアクチュアルな内容であり続けている。

『流言と社会』(1966)……シブタニによると流言とは「曖昧で不明瞭な状況下における各人の合理的解釈に基づくコミュニケーション」。

→流言とは恣意に基づく虚偽、悪意のある虚偽などではなく、各人が曖昧な状況に与える合理的解釈のことである。

・例えばマスコミや政府広報といった権威的・専門的・制度的な情報伝達のチャネルの威信が損なわれたり、単に情報が不足する際、諸個人の間で合理的な状況解釈がなされた結果、結果的に無根拠な流言が流布されることになるという。

 

クロード・フィッシャー

・ワースのアーバニズム概念を受け、アーバニズムの下位文化理論を提唱。

・また初期のネットワーク理論に与えた影響も小さくない。

​・「アーバニズムの下位文化理論にむかって」(1975)……フィッシャーの下位文化理論は以下の4つの命題からなる。

①都市化に比例して、下位文化は多様化する。

②都市化に比例して、下位文化は強化される。

③都市化に比例して、伝播の源泉が増大し、下位文化への伝播も増加する。

④都市化に比例して、非通念性の発生率は高まる。

→ワースが逸脱をアーバニゼーションに伴う田舎的な共同体主義の失効によるものとしたのに対し/フィッシャーは逸脱を退廃と革新の両義性から定義する=都市のメインカルチャーに対する、サブカルチャーの逸脱。

​↑バージェス:同心円状モデル

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