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MacInctyre,Alasdair 1981 『美徳なき時代』

『美徳なき時代』 1981→1993 A・マッキンタイア

 

1章 一つの不穏な思いつき p.1~6

・SF作品で描かれる自然科学の崩壊、無秩序状態

→現実世界では、共通の概念枠組み(conceptual schema)の喪失というかたちで道徳哲学においてこれが生じている、

・これに対して、

①現在行われているような哲学的分析は役に立たない

とはいえ、

②道徳の歴史を理解することで無秩序状態の分析は可能である

→さらにその歴史は以下の三段階から記述される。

ⅰ)道徳が盛んだった時代

ⅱ)その破壊が起きた時代

ⅲ)無秩序が確認された時代

・本書はこうした歴史的アプローチから道徳の無秩序を考察する。

 

 

2章 今日の道徳的不一致の本性と情緒主義の主張 p.7~28

・今日的な道徳的不一致を解決するための方策など何一つないのではないか。

→まず以下の三点から不一致の要因が考えられるべきである。

①概念上の共訳不可能性(conceptual incommensurability)

・前提化されている概念が諸立場によって異なっているため、その後に展開される議論も平行線を辿る(正義の前提化vs効率性の前提化)

②論証の非人称性(impersonal)

・イマココの道徳的論証が行われている文脈とは独立して、正義や倫理といった普遍的基準が存在しているという想定。これは「道徳の論証が合理的になされてほしい」という欲望を反映していると考えられる。

③道徳的言説の多元性

・道徳についての言説は歴史的に様々な変遷を遂げてきており、その多様性による道徳の不一致。1章で述べられた歴史的アプローチが望まれる所以。

 

・こうした本書の主張に対して、道徳的判断を(歴史ではなくて)個人の感情や態度に基づくものとして解釈する情緒主義(eroticism)が異論を挟むと考えられる。

→しかし情緒主義は以下の三点から反証される。

①道徳的判断によって表明される感情は「賛成」としか説明できない

②道徳的判断と感情はそもそも互いに独立しており、

ゆえに

③ある言明において道徳判断とは関係なく感情を表明することは可能である(例えば、怒りっぽい教師が、覚えの悪い子どもに「4×4=16!」と怒鳴ったとき、言明内容に関わりなく「怒り」は表明されている)。

→情緒主義は歴史的アプローチへの批判としてではなく、むしろ歴史的アプローチによって考察されるべき対象であると考えるべきだろう。

 

・情緒主義的道徳の説明は、1903年のケンブリッジにおいてムーアを中心に隆盛した。

→しかしムーアの提起した命題がそもそも誤謬を含むものであり、後続の研究者もことごとく失敗した。むしろ、こうした情緒主義の隆盛こそが、道徳の無秩序化を体現している。

・他方で、こうした情緒主義に対して反論を試みてきたのは、ヘアやロールズといった「特定の正義原理によって道徳を正当化する立場」だった。

→しかし、これらの正義原理による道徳の論証は以下の二点から不当である。

①まずこうした正義の説明が全て失敗している(本書では6章にてゲワースの正義原理が反証される)

②こうした統一的正義の存在を主張する論客間において、統一的な正義の見解が存在していない。

→ゆえに、従来的な哲学的分析からは情緒主義を退けることができない。

・こうした哲学的分析の立場に対して、本書は情緒主義を以下の二点から論駁する。

①過去の道徳の特定(identify)及びその客観性と権威の評定

②情緒主義の隆盛が近代に特有の現象であることの証明

 

 

3章 情緒主義――社会的内容と社会的文脈 p.29~44

・情緒主義を含めた道徳哲学は、道徳を社会的行為として具現化可能なものであると想定する。本章ではこの主張が不当であることが示される。

・情緒主義においては、道徳が「自己の感情の表明」もしくは「他者の感情の変化」の二点から捉えられ、他者は常に自己の手段と考えられることになる。

→ゆえに情緒主義は社会的文脈における操作的(他者の手段化)/非操作的(他者の目的化)という区別を無視してしまう。

・同様にウェーバーの官僚制の議論においても、操作/非操作の区別は不可視化される。

→官僚制における目的とは合理性に基づくものではなく、価値に基づく。

【メモ】これは後のパーソンズに影響を与えた、いわゆる理解社会学-主意主義的アプローチのことであると考えられる。

・ここで留意されるべきは、人物像(character)/社会的役割(social roll)の区別である。→前者ではある行為を個人の意図-道徳に基づくものとする(意図と社会的役割の一致)/後者では単にある行為が社会的立場に帰せられる

 

・そして情緒主義とは現代における次のような人物像によって体現されている。

<審美家>……他者を自身の資力を費やす目的として捉える(非操作的)

<管理者>……近代的合理性から他者を手段として捉える(操作的)。ウェーバーが官僚制の議論にて描き出した人々。

→前者は「本質的な自己」、後者は「社会的に構成された自己」、あるいは「個人主義/集団主義」といった近代的な二項対立図式にそれぞれ相応している。

・しかし、この二つの対立は道徳的な議論を「個人の自由な選択の勝利か/それを制約する官僚制の勝利か」という二択に還元してしまう点で協力的関係にあり、この官僚制的個人主義こそが情緒主義の栄える土壌である。

→これに対して何度も記されている通り、本書は歴史的アプローチという第三の道をとる。

 

 

【メモと批判】

・ここまで続けて情緒主義のお話だったので息継ぎなしでまとめてみたよ。

・議論の構造が入り組んでいてわかりにくかった。マッキンタイアがメタレベル/オブジェクトレベルの解釈をきちんと峻別していないからだと思われ。

→情緒主義を自身の歴史的アプローチによって解釈されるべき対象(メタ)としつつも/他方で歴史的アプローチの対立項として捉えている(オブジェクト)

 

・ともかく、情緒主義-官僚主義的個人主義における「個人/集団」という二項対立に「歴史的記述」という第三項を設けて脱構築していこうじゃないかと。

 

4章 先行の文化と、道徳の正当化という啓蒙主義の企て p.45~63

・情緒主義およびその土壌である官僚制的個人主義の文化的背景は、哲学の歴史を遡行することで明らかになる。

→哲学的実践と日常的実践はその文化的起源が同一なので、哲学的実践の歴史にのみ注視すればよい。

 

・”moral”としての道徳が、音楽や美術の審美的領域、キリスト教という宗教的領域から切り離され、1-3章で論じられたように、独立した合理性から考察されるようになったのは、17世紀後半~18世紀における北欧での啓蒙主義における出来事だった。

→そして①共訳不可能で②非人称的な今日の道徳哲学の雛形は、キルケゴールの『あれか、これか』(1842年)の中に確認することが出来る。

・キルケゴールの『あれか、これか』は以下の3段階から論駁することができる。

①根源的選択というキルケゴールの極めて保守的な倫理観

②その根源的選択によって正当化される諸倫理規則

③美的規則などに優先される諸倫理規則

→キルケゴールは倫理規則の絶対的優位性を、自身の保守的な倫理観から導き出していることになる。

→しかし、啓蒙主義の企てもキルケゴールの同型の論理展開をしていた点におり、ゆえにその企ての全てが失敗しているといえる。

 

・キルケゴールによる道徳の議論はカントに源流がある。

→カントは物自体としての主体を想定することによって、道徳の独立性を正当化した(定言命法)。

・他方で、カントが「理性」に道徳の合理的基礎を見出したのに対し、キルケゴールは先述のとおり倫理的様式に見出している点で異なっている。

・さらに、カントによる道徳の議論はディドロとヒュームにまで遡れる。

→ディドロとヒュームは道徳の合理的基礎を「情念」に見出した。

・次章では彼らの共通点(およびそれによる啓蒙主義全ての失敗)について考察される。

 

 

5章 なぜ啓蒙主義の企ては失敗せざるをえなかったのか p.64~77

・前章では、ディドロ-ヒューム、カント、キルケゴールにおける啓蒙主義の企てが、悉く失敗に終わっていたことが確認された。これらの失敗は単に彼らの論理的能力の問題ではなく、歴史的必然性によるものである。

・この4名の著述家に共通している点は、「道徳の規則と教えについて彼らが共通に考えていること」(道徳の外在的性格)と、他方で「人間本性について考えている共通部分」(情念、理性、倫理的様式)の間に根絶しがたい不一致があったということである。

→本来的にこの二つの道徳的起源はアリストテレスの時代にまで遡ることができ、当時は両者の不一致を仲介してくれる第三項があった。この第三項の消失によって、相容れない二つの概念だけ残ることになり、ゆえに不一致が生じたのである。

・とはいえ、ディドロ-ヒューム(情念)よりもカント(理性)が、カントよりもキルケゴール(倫理的様式)が、それぞれ人間本性をより規定しない方向に流れているため、真理性がある主張を行っているということができる。

 

 

6章 啓蒙主義の企ての失敗がもたらした諸結果 p.78~97

・啓蒙主義の失敗は前章で明らかにされたように、「目的論から解放された自由な人間本性」/「道徳的行為を制約する規則群」という二つの概念の間の溝によるものだった。

→以前はこの溝を埋めるため、後者の概念は神性や定言命法などによって正当化されていたが、そのアウラは喪失しており、絶対性は(現に啓蒙主義が不可能だったよう)もはや主張できない。

・今日的な道徳哲学の課題はこうした「道徳的規則」のアウラを復興ないしはその代替物の発見にあるが、①功利主義の企ても②カント的義務論の企てもそれぞれ失敗している。

[①功利主義]

・功利主義において道徳的規則は効用最大化の原理によって代替される。

→功利主義の提唱者であるベンサムは効用を「快楽」に、その後継者であるミルはより拡張された「幸福」にそれぞれ求めた。

→しかしながら、どちらの場合でも効用は諸個人の選好に依存するため、効用原理はついに正当化されることはなかった。

・さらにシジヴィクとムーアによって功利主義的効用原理の不当性は暴かれ、同時に2章で確認されたように情緒主義が道徳哲学の主要な立場になってしまった。

 

[カント的義務論]

・功利主義が道徳規則の代替物を効用原理に求め、情緒主義に敗北したのに対し、カント的義務論はさらに情緒主義を論駁しようと試みる。

・例えば、ゲワースは「各人の権利の保障-顧慮」という道徳規則を、「各人が権利を有する必要善(necessary goods)」の概念によって正当化されると主張した。

→しかしながら、このゲワースによる説明は「権利の保障」の問題を「必要善に対する権利」から導き出している点でトートロジーを形成しており、ゆえに不当である。

→これはカント的義務論の定言的性格を、形而上学的領域から経験的領域に移行させたことによって生じた弊害である。

(【メモ】これはロールズ-ドウォーキンにも見られる失敗である。彼らは原初状態における「互恵性を志向する諸個人の正義感覚」によって「互恵性を志向する格差原理」を正当化しているが、これはゲワースと同様にトートロジカルな説明に陥っている。)

 

・「道徳的規則」からアウラが喪失し、その復権の企て(啓蒙主義、功利主義、カント的義務論)も全て失敗に終わったという事実は、権利(rights)、抗議(protests)、暴露(unmasking)がそれぞれ近代的道徳の中で占めている位置を理解する上でも重要である。

・権利――最初は自然権として、後により拡張された概念として道徳的哲学において扱われた。しかしながら、先述の通り、権利の正当性を主張できた道徳哲学は存在せず、その代替物として効用原理を提示した功利主義の企ても失敗している。

・抗議-憤り――ある効用が損なわれたことに対して行われる。しかし、1章で述べられたように、今日的状況において、共訳不可能な前提を諸立場が有しているため、有効に機能することはない。

・暴露――上記のような道徳哲学の論理において隠蔽された恣意性を明らかにすること。恣意性がそもそも近代的道徳に特有の傾向であるため、その暴露も近代的営為であるといえる。

 

・3章で述べられたように今日的な情緒主義におけるキャラクターは、<審美家>、<セラピスト>、<専門家>の三つに分類された。

→このうち<審美家>、<セラピスト>の道徳規則は、先述の「功利性」と「権利」から説明することが可能で、その「功利性」と「権利」は虚構だったこともすでに確認されたとおりである。

・他方で、<専門家>の従う道徳規則は、ウェーバーが主張するように「効率性」である。これもまた明確な指針を示すことが出来ず、ゆえに「権利」「功利性」と並ぶ道徳的虚構であると考えることができる。

→こうした「効率性」の性格を次章以降のところで「職人芸(experts)」と位置づけ、官僚制の議論との関連で「職人芸」が道徳規則になった近代的背景が考察される。

 

 

【メモと批判】

・サンデルが一冊の本を使って論じたことが、たった1章でまとめられていてワロタ。

→互恵性のトートロジーの話

・ただ、「哲学的実践の系譜にのみ注目すれば、今日の道徳の置かれている状況を理解できる」(4章)というのはうなずけない。

→日常的実践との差異を無視している。というか少し都合が良すぎるだろ。

 

 

7章 「事実」、説明、職人芸 p.98~107

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