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入門!フェミニズム!(メモ)

 

前提

○フェミニズムは第1波フェミニズム/第2波フェミニズムに区分される。

 

【第1波フェミニズム】

18世紀初頭から20世紀初頭にかけて起こった女性の参政権や財産権獲得に向けた動き。

 

【第2波フェミニズム】

60年代に隆盛した思想的潮流としてのラディカル・フェミニズムや社会運動としてのリヴ以降に台頭した、思想・社会運動双方における多様なフェミニズムの実践。

 

①理論枠組み上の流れ

→ラディカル・フェミニズム/マルクス主義的フェミニズム、ポストモダン・フェミニズム/ポストマルクス主義的フェミニズムなど

 

②フェミニズムに関連する諸社会問題との接点に関する問題提起

→レズビアン・フェミニズム/レイシズムおよびエスニシティの問題とフェミニズム/エコロジカル・フェミニズムなど

 

③ディシプリンとしてのフェミニズム内部における展開

→フェミニズム文学批評/精神分析的フェミニズム/宗教的フェミニズム/フェミニズム科学批評など

 ※本メモではこれら諸立場の概観を網羅的に整理する。

 

 

Ⅰ ラディカル・フェミニズム

○60年代のアメリカに登場。近代的「人間」像ないしは「女性」が、実は男性中心主義的な概念に他ならず、そこに関連する「客観性」や主観性、感情表現の正当性の告発が一義的な課題。ラディフェミこそが60年代以降におけるフェミニズムのうねりを生み出した源泉に他ならない。

→第1波フェミニズムによって市民権を得た女性たちだったが、せいぜい二流市民としての扱いしか受けていなかった。またマルクス主義に基づく社会主義婦人解放論も存在したが、議論が階級問題一般に回収され、妊娠・出産機能という労働者としてのハンディキャップからやはり二流の烙印を押されるにとどまっていた。

○このように近代社会を批判するはずの新左翼運動の内部において、なぜか性差別が俎上に載せられなかったことに対する疑問・不満からラディカル・フェミニズムは生まれた。ケイト・ミレットがその記念碑的著作『性の政治学』(1970)で提起したスローガン「個人的なことは政治的なことである」は、まさにラディフェミの思想を端的に表現しており、従来私的領域とされてきた恋人・夫婦・家族関係にこそ女性たちの関心はあった。近代二元論=私的/公的領域の区別の克服。

→ミレットは近代的核家族とそれに立脚した男女の社会関係における男性中心主義を家父長制(patriarchy)と名づけ、階級的抑圧以前における社会的抑圧の基本形態であると指摘した。

 

○以下にラディフェミの主要な著作をまとめる。なおこれらのラディフェミの論客のほとんどが社会主義者だったのは、ラディフェミが当時隆盛を極めた新左翼運動、すなわちマルキシズムから派生したものだったことからある意味必然だといえる。

①ケイト・ミレット 1970 『性の政治学』

ラディカル・フェミニズムというよりフェミニズム全体における基本的著作。これまで意識されることのなかった男性優位主義――すなわち家父長制とは、実は社会的に構成された権力構造であり、教育や規範によって再生産されているものであると指摘。従来的に自明視されてきた社会的因習を問題化したことによる社会運動への影響は計り知れない。

→ただしミレットが家父長制の起源や歴史的系譜について明確に言及しておらず、バラバラなメカニズムとして記述するにとどまっていることがたびたび批判される。

 

 

②シュミラス・ファイアストーン 1970 『性の弁証法』

ミレットが言及しなかった男性優位主義の起源に迫る一冊。ファイアストーンによればその起源とは、「男/女/子ども」という基本的生殖の単位――生物学的家族に求めることができるという。この生物学的家族が社会の基礎単位になっており、その内部において、生殖・出産機能を有する女性は生物学的理由から社会的拘束を被ることになる。

→このように生物学的根拠に性差別の源泉を求めたファイアストーンは、科学技術の発展により、女性が生殖・出産機能から開放されることによって家父長制は今後廃絶されうると期待した。

 

 

③ジュリエット・ミッチェル 1971 『女性論』

ミレットとファイアストーンの著作を受けて執筆された一冊。ミッチェルはミレットが主張するように家父長制それ自体は社会の生産様式を規定しておらず、経済に対して支配力を持つわけではないと指摘。またファイアストーンの主張からは歴史的視座が抜け落ちているとした上で、生物学的ものと社会的なものを架橋して分析するためのアプローチとして精神分析の有用性を掲げる。

 

 

○「個人的なことは政治的なことである」というミレットの革新的スローガンは学術的な領域を離れ、たちまち注目を集めニューヨーク・ラディカル・フェミニスツや意識変革運動(consciousness raising)などの社会運動における精神的支柱を形成した。

→今日まで続くフェミニズムによる性暴力やポルノグラフィティとの格闘、そして女性の自己決定権の確立という重要な課題はここに源流を認めることができるだろう。

 

○しかしながら上述の論者の著作からも窺えるようラディカル・フェミニズムの関心は、あくまで家庭や男女関係といった私的領域に留まってしまったため、政治・社会的問題に対する視点を欠いてしまったものだった。またその主張からはいくつかの重要な論点が抜け落ちていることも留意する必要がある。

→すなわちエスニシティや第三世界における問題(上述の著作も活動グループもすべて「先進国」における「白人」女性によるものである)や性的嗜好の問題(異性愛が所与のものとして議論が進められている)などがそれである。これらの課題は後のフェミニストらによって批判的に継承されていくことになる。

 

 

 

Ⅱ リベラル・フェミニズム

○時代が前後するが、リベラル・フェミニズムとは第2派フェミニズム以前の思想・運動的潮流であり、したがってラディフェミよりも前時代的な第1派フェミニズムである。またこのことから(当人の主張は置いておくとして)今日においてリベフェミを自称する者はほとんどいないと考えられる。

○リベフェミは以下のように特徴付けることができるだろう。

→①リベラリズムの諸原理の継承、したがって②個人主義的・③改良主義的であり、④公/私の区別を承認した上で、⑤公的領域における女性の参画、個別性や自由の保証のために運動する。

 

○フランス革命は封建的な人格的隷属を否定し、近代デモクラシーの基盤を成立させたが、女性はあくまで二流のメンバーシップしか付与されていなかった。この公的領域における不均衡への抗議の声にこそリベフェミの起源を認めることができる。例えばメアリ・ウルストンクラフトは古典的著作『女性の諸権利の擁護』(1792)において、ドリクソンの啓蒙の諸原理を引き合いに出しつつ、女性も政治・経済的領域におけるメンバーであるべきだと説いている。

→ちなみにルソーといった当時の啓蒙思想を支えた男性思想家の多くは女性を「非合理的」で「理性に欠ける」存在だとして、公的領域からの排除を正当化しているが、ジョン・ロックだけは例外的に明確に女性も理性的存在であると考え、教育における男女平等も訴えていたことで知られる。

 

○先に今日にはリベフェミを標榜する者はほとんどいないと書いた。しかしながらリベフェミが提起した課題自体は今現在もアクチュアルなものであるということは留意しておかなければならない。

○初代全米女性機構(NOW)の議長を務め、ベストセラー『女らしさの神話』(1963)の著者であるベティ・フリーダンは、リベラリズムの諸原理に則り、女性の社会進出を強く訴えた他方、私的領域における営みを社会進出とは別の問題であると分離した点(公/私二元論の承認)においてリベフェミ的であったとすることができる。

→フリーダンが推進するような性別役割分業批判などは未だに今日的課題あり続けており、色褪せていない議論だろう。逆を返せば、公的領域における女性の社会参画は、それが問題視され始めたフランス革命から実現されていないとも言えるだろう。

 

 

 

Ⅲ レズビアン・フェミニズム

○20世紀初頭において「女を愛する女」は「異常」であり、治療すべき「病人」であるとの扱いを受けていた。29年の大恐慌に伴い女性が職を失い始めるといよいよ社会的排除は加速し、30年代には実際にホルモン投与や心理療法といった「治療」が行われるまでに至った。

→しかし50年代にはバー・カルチャーが台頭し、レズビアンによるコミュニティが誕生。60年代にはヒッピームーブメントや公民権運動、ヴェトナム反戦運動の煽りを受け、同性愛者の運動も活発化していくことになる。そして69年にはニューヨークの現職議員が政治手腕を誇示するために行った同性愛者バーのガサ入れに対して、女装ゲイやエスニックマイノリティのゲイ、レズビアンのブッチなどが暴動を起こす「ストンウォールの叛乱」が勃発。以降、頻繁にデモが行われるようになり、また同性愛者による出版物や組織が何百も出現した。

 

○こうした機運の中、レズビアン・フェミニズムは70年代のアメリカにおいて誕生した。レズビアンたちの関心は当初セクシャリティよりもジェンダーにあり、ゆえにラディカル・フェミニズムに接近することになるが、ベティ・フリーダンは彼女らを「ラベンダー色の脅威」と呼び、NOWもレズビアンという言葉がフェミニズムの印象を落とすものとして距離を置いた。

→こうした女性運動内部における排斥に対し、1970年に「ラディカレズビアンズ(Radicalesbians)」というグループがフェミニズムとの接点を見出す声明を発表。曰く、ラディカル・フェミニズムは男による女性支配を批判するが、異性愛制度それ自体は批判していない。しかしこのヘテロセクシャリティの強要こそが、女性抑圧の根源であり、その崩壊なしには女性の解放はあり得ないという。

○レズビアン・フェミニストによれば「強制異性愛」とは女性差別の根源であり、男性権力を構成する。多くの女性は生来のヘテロセクシャルだと自認するが、これは社会的に構成されたイメージに過ぎず、力づくで作られたものに過ぎないのである。シャーロット・パンチはヘテロセクシズム(異性愛主義)という概念を理論の中心に置き、異性愛を虚偽意識としてのイデオロギーであると批判する。

→ここではレズビアンとは究極の政治的選択であり、先天的なものというよりかは女性抑圧の政治的解決手段として選択可能なものであると見なされる。

 

○このように70年代のレズフェミはラディフェミとの決別をもって特徴づけることができる。しかし80年代に入るとレズビアン内部での決別が次第に顕著となってくる。特に混乱を呼んだのは、SMやポルノを支持し、性開放を叫ぶクィア(変態的)なレズビアンたちの主張だった。

→彼女たちは70年代のレズビアンたちが異性愛ないしそれに伴う権力構造を否定するあまり、レズビアンを脱性化・快楽の矮小化をしてしまったと批判する。例えばSMプレイのような本質的に権力関係と不可分の快楽は、70年代レズビアン・フェミニストの主張に従えば間違いなく否認されてしまうことになる。しかしゲイル・ルービンが指摘するように、SMプレイはあくまでファンタジーに基づくものであって現実生活に持ち込まれるものではないし、そもそも権力を人間関係から完全に排除することもできないだろう。性の現実を無視した「潔癖な」理論は空転することになるのである。

 

 

 

Ⅳ フェミニズムとエスニシティ/レイシズム

○提案187が単に移民の問題だけでなかったように、アメリカのwoman of colorにとって今やフェミニズムとは単に家父長制を解消する闘争に留まらない。性差別やレイシズム、階級差別、強制的異性愛、環境汚染、世界資本主義といった抑圧の根源と闘う必要がある。

→彼女たちの課題には主に以下の2点が前提としてある。

①人種・エスニシティ・国籍の問題……今日的な市民権は、権利というよりかは、マイノリティを排除することによって成立する「特権」である。したがって周縁化されゆく人々を救済するのではなく、マジョリティが権力を掌握している社会構造それ自体を脱構築していく必要がある。

②西洋中心主義=白人至上主義……マイノリティの人々が持つ文化の流通力を高め、固定化されつつある権力構造を脱構築する必要がある。

 

○フェミニズムを歴史的に見ればエスニック・マイノリティが大きな役割を負ってきたことがわかる。例えば第1波のフェミニズムにおいて、1832年に公的な演説を最初に行ったとされるアメリカ出身の女性はマリア・スチュアートという黒人奴隷廃止論者だった。また公民権運動においてもアパルトヘイトに対し、最初にノーの声をあげたのは黒人女性だったことは有名な話だ。他方で白人フェミニストたちは自らの抑圧開放を優先させ、エスニシティの問題は二の次としてきた。そのため黒人フェミニストらは必然的にジェンダーの問題よりもレイシズムの問題解消にまずは向かうことになる。

→事実、リヴに黒人女性の多くは加担しなかったし、ベティ・フリーダンも『女らしさの神話』の中で主題としたのは主に白人専業主婦だけに限定されていた。

○このことからもわかるようにブラック・フェミニストたちにとっての解放闘争とは白人/黒人両者の中における男性的支配と闘うことであり、かつ男性/女性両者の中にあるレイシズムと闘うことでもあった。すなわち黒人女性は、白人・黒人男性のみならず白人女性からさえも、人間として顧慮されてこなかったのである。

→こうした孤立無援の状況だったからこそ、<シスターフッド>という連帯の形式は闘争に不可欠な存在だった。

 

○ナワル・エル・サダウィが『イヴの隠れた顔』の中で示唆したように、第1波/第2波フェミニズムは普遍的な実践ではない。例えば中東イスラーム圏の国家における男性支配に対して、現地の女性が声をあげたとしてもそれは第2波のフェミニズムの影響下には全くないし、思想的関連があるわけでもない。それどころか、先進国における白人女性がそうした中東の女性に対して外的な倫理から手を差し伸べ、連帯を促すことは単純にパターナリズム的であるともいえるだろう。

→白人女性のフェミニズムであれば、自らの抑圧の根源との闘う一方で、自らの立場に内在するさらなるマイノリティへの抑圧を解体していくことが重要になってくるだろう。「同じ女」だからといって、それぞれが立っている地平は決して同じではなく、女同士の中にもある権力的な不均衡に対して自覚的になることこそが、フェミニズムの中にあるレイシズム解消のために求められるのである。

 

 

 

Ⅴ フェミニズム文学批評

○フェミニズム文学批評とは、従来的に中立的・普遍的であるとされてきた文学批評における評価基準が、実は極めて男性中心主義的だったという認識をもとに70年代のアメリカで始められた新しい批評のスタイルである。

→発端はラディフェミの運動にあり、ミレットの『性の政治学』に求められる。この初期の段階はエレイン・ショウォルターが呼ぶところの「フェミニスト・クリティーク(feminist critique)」―男性作家による潜在的なミソジニーの攻撃だったと整理できるだろう。ミレットに次いでジュディス・フェタリー『抵抗する読者』(1978)やマーリン・スプリンガー『アメリカ文学の中の女性』(1977)などは、女性を母親/娼婦、聖女/魔女、処女/あばずれといったステレオタイプとして提示する男性の悪弊を「女性象批評(image of woman criticism)」によって指摘し、全米の大学における「女性学」の一端を担った。

 

○フェミニズム文学批評の第2段階は、再びエレイン・ショウォルターの表現を借りれば「ガイノクリティシズム(gynocriticism)」と表現できる。すなわちフェミニズム・クリティークが文学批評に内在する家父長的な眼差しを暴露したのに対し、ガイノクリティシズムは女性作家に共通する感受性や価値観を「女性に共通の経験」として明らかにする女性中心的な分析である。

→しかしバーバラ・スミスやベル・フックスなどのブラック・フェミニストが異を唱えたように、ガイノクリティシズムにおける女性に共通の経験とは、あくまでミドルクラス以上の白人女性による異性愛の経験であり、マイノリティによるそれを排除しているものだった。事実、ショウォルターも80年代にはガイノクリティシズムを離れ、男女双方の作家のジェンダー意識の構成を分析する「ジェンダー批評(gender criticism)」に焦点を移すことになる。

 

○ガイノクリティシズムにおける画一性の誤謬によって、今日のフェミニズム文学批評――すなわち第3段階は単一的なアプローチが存在せず、多様化している状況にあるということができる。しかし、その中でもラカンやデリダ、フーコーといった構造主義ないしポスト構造主義の主張に多くを負っているポスト構造主義的フェミニズムに付随する文学批評は一つの潮流を形成している。

→ポスト構造主義が問題視するのは、従来的に西洋男性に特権的地位を与える「ファロス―ロゴス中心主義」(デリダ)である。それに基づけば文学批評はこれまで、パロールという恣意的な意味付けの道具を用いて一般的に望ましい統一的アイデンティティを構築する他方で、望ましくない女性性や非合理性、身体性といった要求を潜在的に排除してきたとされる。批評をテクストの一貫した意味を把握する営みとするのではなく、むしろ差延があるエクリチュールとして捉えることで、意味の支配から逃れる姿勢こそがポスト構造主義的であるといえるだろう。これは固定的な女性像を掲げるガイノクリティシズムの隘路から脱却するためにも、極めて有効なアプローチである。

 

 

 

Ⅵ 精神分析フェミニズム

○精神分析フェミニズムという呼称は、なにも精神分析に迎合的なフェミニストを意味するわけではない。むしろこの立場に含まれるフェミニストは精神分析の理論に対して懐疑的な態度をとっており、それを批判・応用する形で継承する一派に他ならない。また現在のフェミニストが精神分析について語る際、それはほとんどフロイトそのものよりもラカンを経由したフロイト論であるということは念頭に置いておいたほうがよいだろう。

→端的にいえばフロイトの主張は女の子がペニスに対する願望によって発達するのに対し、男の子はペニスを持たない母=女を見ることで生じる父性による<去勢>への不安が発達を促すというものだった。こうしたエディプスコンプレックスの理論は、ペニスの有無という生物学的・生得的性差(sex)が、社会的な性の在り方(gender)を規定していると読み取れる点において、フェミニストによる反駁を避けることはできないだろう。

○他方でフロイトのスキーマを肯定的に援用するフェミニズムも存在する。チョドロウらの「対象関係理論(object-relation theory)」はその代表的立場であり、エディプス期以前の母子関係に注目することによって性差を明らかにしようと試みる。それによれば女の子は自分と同姓の母親に対して同一化し、自己/他者の境界があいまいな自己(relational ego)を作り上げるのに対し、男の子は異性である母親との同一化をやめるように促される。その結果、男の子は境界が明確にある自己を作り上げるが、それは一種の防衛反応であると結論付けられる。

→しかし対象関係理論は、例えばレズビアンカップル(父/母の対称性が成立しない)に育てられた子どもの存在を考慮していないことや、性差別の原因を単に育児や社会化の問題に矮小化している点で批判されてきた歴史がある。

 

○フロイトの問題として、ジェンダーを生物学的宿命論のように記述してしまったこと。またその理論を文学批評に応用しようとすると、究極的には作者の幼少期の問題に回収されてしまうことなどが挙げられる。これに対してラカンは生物学的器官としてのペニスではなく、象徴的男根――ファロス(phalus)の存在が性差を規定すると主張する。息子が抱く父性による去勢のプロセスは、ラカンにとってイマジナリーな領域である想像界から、言語的世界である象徴界への参入として表現される(この辺の話はラカン:「盗まれた手紙についてのセミナール」の読書メモ参照)。性差をあくまで社会的な実践である言語の議論に落とし込むことによって、フロイト的な生物学的な領域を離れることが可能となったというわけである。

→問題はこのファロス―ロゴス中心主義的な象徴界は不変のものなのか、それともフェミニズムによって変更可能なものなのか、ということであり、次にあげるフェミニストたちはこうした観点からラカンを批判的に継承する。

①ジュリア・クリステヴァ

クリステヴァによる極めて示唆的な概念の一つに「アブジェクト=おぞましきもの」というものがある。クリステヴァによれば主体は自らを確立するためにアブジェクトを外部へ棄却――客体化しようと努めるが、決して主体から切り離されることはないという。生物学的には血や汗、粘液などがあり、精神分析では前エディプス期における母体などがこれに相当する。アブジェクトは自己の根本に絡まっており、それがゆえに「おぞましきもの」として排除されることになる。例えば自分が解放に目覚めたと信じるフェミニストが、他の女性を「遅れている女」として見下し、差異化するとき、それはまさしくフェミニストとしてのアイデンティティの確立のために、アブジェクトとしての「遅れている女」を棄却しているのである。

 

②リュース・イリガライ

イリガライによるフェミニズムへの最大の貢献の一つは、家父長制が真の性的差異ではなく、性的差別を根底に持っていると分析したことにあるだろう。すなわち性差が真の差異ではなく、男にあるペニス・ファロスが女には欠けているという不均衡――すなわちファロセントリズム的物差しによって定義されていることが問題なのである。

→イリガライの理論は象徴界の支配を所与として捉えている点において本質主義的な眼差しであると往々にして批判されるが、そうではなく象徴界と想像界の両方を変えていく可能性を示しているのである。

 

③エレーヌ・シクスー

シクスーはデリダを継承したエクリチュール・フェミニンの代表的論者であり、実際に作家・文学批評家でもある。彼女は女性名詞/男性名詞、シニフィエ/シニフィアンといった二項対立を突き崩していく文体を積極的に利用し(いわゆる脱構築)、男性的言語秩序を超える女の表現実践を試みる。

→こうした精神分析フェミニズムの理論的態度は、ジャクリーン・ローズによれば、①女らしさが社会的構成物であるという眼差し、その一方で②「女らしくあれ」という当為や規範が根強いものであるという認識。そして③女らしさが完成しないことによって家父長制への抵抗の可能性が開けるという可能性の3点に収斂する。

 

○昨今の精神分析フェミニズムの文脈では、男らしさ/女らしさという単純な二分法を超越し、セクシャリティの多様なありかたとジェンダーとの緊張関係を把握しようとする「ジェンダー理論」が流行している。例えばジュディス・バトラーの「ジェンダーはパフォーマンスである」論やイヴ・セジウィクの「同質社会論」などから窺えるように、ジェンダー理論は精神分析が暗に前提化している異性愛を俎上に載せている。

 

 

 

Ⅶ ポストモダン・フェミニズム

○フェミニズムとマルクス主義の結合が「不幸な結婚(ハートマン)」、フェミニズムと精神分析の関係性が「腐れ縁(ボウルビー)」と評される中において、フェミニズムとポストモダンとの距離感についてはいまだ曖昧なままであり、茫漠としている。それでも現在のポストモダン・フェミニズムが課題としているのは、長年「女性抑圧」と闘う中で枝分かれし、多様化したフェミニズムの認識を明らかにすること、そしてそこで抱え込んだ難問の解明を含めて「反エディプス的主体」の産出をすることの2点に求められると整理できる。

○頻繁にひかれるようにポストモダンという時代は「大きな物語」(リオタール)が終焉したとされる。すなわち自己・自我・主体・アイデンティティといった自明視されてきた近代思想の根底が崩れ、階級はいうまでもなく、ジェンダーや人種といったカテゴリーさえも通用せず、必然的にそれらを用いた社会理論も排されることりなる。

→ポストモダン論一般において、絶対的で普遍的な立場が保証されなくなる中、批判者の立脚する場所もまた正当性や真理性が保持できない。そのため自らも批判対象と同様にポストモダンに侵食されていることを積極的に意識し、関わりながら固定的な意味を撹乱する戦術――リンダ・ハンチオンのいう「共犯的批判」が要求されることになる。

 

○ではポストモダン・フェミニズムが批判する、近代的フェミニズムの準拠点はいかなるものだろうか。それは第1波フェミニズムに顕著だったように近代における「平等観・人間観」を前提としたうえで、以下の3点から記述できる。

①ジェンダー論……男性/女性を区別し、それを自明視する態度こそが階層秩序を作っているとする。

 

②平等論……ミルなどに顕著なようにすべての人間は理性を等しく配分されており、ゆえに性差はゼロないしは極小化されうるという考え方。

 

③特性論……ルソーに顕著なように性差に上下はないとした上で、その差異は極大化しうると考える機能平等主義的考え方。

→ラディフェミ以降の第2波フェミニズムは、近代的平等論(に付随する第1波フェミニズム)に内在する性別秩序の階層性・非対称性を発見したことに功績がある(上述の①)。したがってポストモダン・フェミニズムは第1派フェミニズムはもちろんのこと、第2派フェミニズムによるジェンダー概念をも近代の産物として超克していく必要がある。

 

○端的に言えばラディフェミの戦術とは、従来的に自明視されてきた性差を、社会的構成物であるジェンダーであると捉えなおすことによって「脱自然化」するものである。しかしながら、これでは単に自然的性を社会的性に置き換えただけで、相変わらず男/女という二項対立の図式からは抜け出せていない。またセクシャルマイノリティからすれば、性が社会的構成物であるという主張は自身の性的趣向も矯正可能なものであるということに他ならず、権利の主張をする上で不利な扱いを被ることになる(性的趣向は先天的なものであるとする方が戦略的に有利である)。

→特に後者はレズビアン・フェミニズムの項で触れたように、クィアのフェミニストを抑圧しかねない。キャサリン・マッキノンのようにポルノグラフィの廃絶を強調すれば、レズビアンによる性的快楽をも禁止することに繋がるためである。いずれにせよポストモダン・フェミニズムにとってジェンダー論の再検討は、身体が単に2つの性に還元されえない事実を踏まえると避けられない課題であるといえるだろう。

 

○ポストモダン・フェミニズムは現在主に2つの潮流がある。1つはアメリカ圏ではジュディス・バトラーやフル・モイなどによるレズビアン・フェミニズムやラディカル・フェミニズムの延長線上に位置するもので、アイデンティティやセクシャリティの再定義に向かう傾向が強い。また思想的にはフーコーやデリダへの強い関心がある。一方、英仏圏のポストモダン・フェミニズムは前項の精神分析派フェミニズムと密接に関連しており、代表的な論者としてクリステヴァやイリガライ、シクスーなどが挙げられる。その中心的テーマはファロセントリズム批判にあり、2000年以上続く西欧形而上学の歴史に見られる父性やエディプス、神、ロゴスをポストモダン的戦略をもってして解体していくことにある。

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