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「若者」の概念分析(理論枠組みまで)

○まえがき

 本稿は著者が以前に執筆した『ポスト若者論考』(2014年1月上梓)の改変版、悪く言えば焼き直しである。同論文で予見したように、あれから約3年経った現在においても若者論界隈で目立った動きはない。確かに古市憲寿や北条かやといった「若者の代弁者(ふう)」論客は登場しているが、かつての浅田彰(80年代)、宮台真司(90年代)、東浩紀(00年代)ほどカリスマ性があるわけでも、また言論空間に影響力があるわけでもない[1]。

 

それではなぜ書き直す必要性があったのか。それは若者論に変化があったからではなく、同論文の理論的部分に致命的な欠陥が発見されたからに他ならない(つまり著者側の失敗)。同作は若書きではあったが、あとがきに書いたように当時の「手持ちのカード」をフルに使って何とか生み出したものだった。しかし研究に専念していれば「カード」は当然増えていき、その結果として誤謬が見つかるのは必然である。研究者の茨道に片足突っ込んだ者の間では「卒論・修論を見返して燃やしたくなった」といった冗談はよく耳にするもので、本稿も結局のところ「燃やさず作り直したかった」程度の動機で執筆されている。

かつてウィトゲンシュタインは『論理哲学論考』を執筆後、しばらく研究者の道を離れ教員として働いていた。『論考』における欠陥をある日突然発見したのか、それともずっと気付いていたのかは知らないが、いずれにせよ彼はその欠陥を考察しなおすため、再び大学に戻り『探求』を書き上げたというエピソードは有名だろう。著者は大学に戻る気なんて砂欠片の一粒も持ち合わせてはいないが、それでも研究者にとって、かつての己が犯した誤りというものは、快適な睡眠を妨げるくらいには心中を乱してくれるものなのだ。20世紀最大の哲学者の一人と著者が同格なはずが断じてあるわけないのだが、それでもウィトゲンシュタインの気持ちは少しわかる(気がする)。

また『ポスト若者論考』での理論的誤謬は、後に見るように多くの名だたる構成主義者が陥ってきた「奈落」であり、その点を再考することは間違いなく学術的に価値があるだろう。したがって厳密に言えば若者論の分析を刷新するというより、理論を刷新することが本稿の至上目的としてまずあり、分析の素材としてある程度精通している若者論を使おう、という趣旨になる。

 

 序文の終わりに変えて、本書の構成を簡単に記しておこう。

 まず第1章では問題の所在を明らかにした上で、先行研究及び理論枠組みについて検討する。先述の通り本稿において理論枠組みの検討が、執筆しなおした最大の理由であるため、以前の数倍の紙面を割こうと思案している。ちなみに『ポスト若者論考』ではM・フーコーによる「知の考古学(archéologie)」と呼ばれる枠組みが援用されていた。フーコーには大変申し訳ないが、これがまずかった。後に詳細を論じるとおり、ある時代に隆盛を極めた構成主義の理論の大半は、私が「存在論的混同 (ontological confusing)」と呼ぶ事態に陥っている。この混乱を丁寧に紐解いた上で分析を進めていくのが今回の趣旨だ。

 続く2章から6章までは実際に若者論の分析を進めることになる。原則的に1章ごとに10年ずつ区切る(例えば2章―70年代といった具合に)が、例外として若者論のターニングポイントである80年代に限り2章分を割いてある。

7章はいよいよ内容を総合的に分析し、結論を導出する大詰めのパートとなる。この章も理論に密接に絡んでくるため以前より多く内容を盛り込む予定である。

 

 

[1] 彼らの活躍と著作については対応する章をそれぞれ確認のこと。
第1章 問題の所在と理論枠組み等の検討

第1節 問題の所在

本稿は私が以前に書いた論文『ポスト若者論考』を受けて執筆されている。したがって同論文の内容や目的をまずは紹介することから始めよう。

かつての私は若者論や大人文化の眼差しが実は極めていい加減なもので、それによって構成される若者の表象も恣意的なものに過ぎないという、批判的な意図を抱きながら執筆に臨んだ。1970年代から今日までの主要な若者研究、マスメディア、教育実践、果ては漫画や小説の歴史を遡行することによって、現在において共有されている「若者」という表象が、必ずしも自明視されるべきものではないと指摘した。またそうした大人世代の眼差しが変化した要因として、いかにも社会学らしい(お手軽な)説明も与えておいた。当時はこうした研究スタンスを表現するために「若者論」論という造語も好んで使っていた。

 

これを踏まえて問題の所在は2点ある。1つは『ポスト若者論考』における存在論上の誤謬。いま1つは主題ないし目的の大幅な改変である。

 先述の通り確かに「若者」という概念はかなり茫漠としており、ゆえに時代によって都合よく解釈され、先端を行く者として持て囃されたり、あるいは逆に悪魔化され、スティグマの対象になったりしてきた。すなわち恣意的で所与の存在では決してないのではあるが、その他方で表象が完全に虚構であるというのであれば、「若者」という存在はたちまち消え去ってしまうことにも気付いた。というのも「若い」という境界線を画定するのもまた(恣意的な)表象であるためだ。

 ここに存在論的な混乱がある。一方で概念的な「若者」を恣意的であるとしておきながら、もう一方でその概念を完全に否定しまうと、今度は「若者」というカテゴリをそもそも帰属することができなくなってしまう。換言すれば、前論文は「観念上の「若者」を否定するのであれば、対象としての若者を指示することもできない」もしくは「「若者」というカテゴリを利用できない」という哲学的地平における問題に対して関心を払っていなかった。

 一見すると困難な問題に思えるかもしれないが、実はある区別を導入することによって、こうした存在論上の誤謬はいとも簡単に克服することができる。

 

また本稿は理論的誤謬を解消していく過程で、論文自体の目的も大幅に改変し、かつてのように「若者論」論といった趣もなければ、ましてや単純に若者の分析をするわけでもない、完全に新しいタイプの「若者についての分析」を展開しようと企図している。すなわち若者についての「科学的実践」や「専門的知識」と/若者についての「日常的実践」な「日常的知識」の間にある、興味深い<環状の効果>に迫ることが本稿の目的となる。

 例えば1956年に「サブカルチャー」という概念が科学的実践において提唱されたが、その後「サブカルチャー」という概念によって日常的実践はどのような変化がもたらされたのだろうか。あるいは1983年には日常的実践の側から「おたく」という概念が誕生したが、このとき科学的実践はどのような影響を受けることになったのだろうか。といった具合に双方の実践とその関係性が新たな関心として本稿に追加された。

 

 なお分析は1970年代から始まり、以降の若者概念とそれに纏わる実践の変遷を検討していくスタイルをとる。いわばタテの流れを遡行しながら捉えることで、概念と実践の姿の変容を、流動的に浮き彫りにしたいからだ。

また時代設定に関して、わが国において体系だった若者研究が形成され始めたのがこの辺りからであり、したがって科学的実践/日常的実践の相互関係を捉えたい以上、否が応にも70年代が議論の開始地点となる。確かに古市憲寿がいうように、戦前であっても『青年子女堕落の理由』(1907)や、『大正の青年と帝國の前途』(1916)といった著作が存在していたのは間違いない[古市:2011]。しかし宮台真司が指摘するように「<大人>に反抗する<若者>という表象が出現し、社会的に認知されるようになる」[宮台:1993=2007 p.28]のは1950年ごろのことだった。これは青年/若者というカテゴリの変化にも端的に現れており、実際には70年代初頭あたりまで「青年」というカテゴリが用いられているが、すぐに「若者」という表現に代替されることになる。宮台ふうに言えば「青年」とは大人世代の秩序に内包される存在であるのに対し、「若者」は大人世代とコミュニケーションコードを異にする、「青年」から分出した固有のカテゴリであるといえるだろう。

 「青年」から「若者」への移行は様々な要因が考えられるが、一つは明治維新以降のところで紛争が高頻度で勃発していたことが挙げられる。紛争状態において、国内の自集団は否が応にも心理的な結束が要求される。従ってアイデンティティの帰属は「大人か/若者か」といった区別ではなく、「当該国家の成員か/否か」という区別に準拠することとなり、世代論の意味性は極めて稀薄になるというわけである。大人世代に内包される「青年」は当然、大人世代と同じ方向を向いている必要があったということだ。

 しかし戦争が終わり、今度は国民か否かという意味論が薄まってくると、自集団内部にアイデンティティの差異を求め始め、先述の宮台の主張にあるように大人/若者という対立図式が広く共有されることになる。

50年代に登場した若者は、石原慎太郎の『太陽の季節』(1955)や、ジェームズ・ディーンの主演作「理由なき反抗」(同年)に象徴されるような反骨的な存在であり、いわゆるカウンターカルチャーとしての側面が強かった。この反体制の趨勢は60年代に入って新左翼運動に結節すると、さらに加速度を増して68年から69年に結成した全学共闘会議――全共闘世代において最も燃え上がり、解体と共に一気に収束した。

そして、次章で詳しく紹介するが、先述の通り対抗する若者像の分析は70年に入ってから本格化する[1]。

 

 

第2節 理論枠組み

 本節では理論枠組みについて検討する。まえがきにも書いたよう、ある意味ここが本論において最も重要な点である。まずは本論がどのディシプリン・視角に属して執筆されるのか確認しておこう。

【構成主義】

 本稿は端的にいえば社会構成主義(Social Constructionism)のパースペクティブに依拠して書かれる[2]。構成主義のアプローチは、知識社会学やエスノメソドロジー、分析哲学、科学哲学、ポスト・モダニズムなど極めて広範な領域で用いられるが、究極的には方法論上の統一性は「あるもの(X)は社会的に構成されている(Object ”X” is social constructed)」と述べる点以外にはほとんど求めることができない。そしてその不明瞭さの濃霧の中に、理論的誤謬への落とし穴が隠されている。したがって、いささか冗長に感じられるかもしれないが、論点を丁寧に一つずつ整理しておこう。

 

 構成主義がどこに端を発するかについては諸説ある[3]が、現在における「Xは社会的に構成されている」という言い回しは、現象学的社会学者のP・バーガーとT・ルックマンによる『現実の社会的構成――知識社会学論考』(1966)が初出であるとされる。

 ルックマンとバーガーは本書で、同じく現象学的社会学者であるA・シュッツに依拠しつつ「現実は社会的に構成されており、知識社会学はこの構成が行われる過程を分析しなければならない」[Beger&Luckmann 1966→1977 p.1]というよく知られたテーゼから議論を展開していく。換言すれば、「ある人(々)が自明視する現実や知識はいかにして構成されているのか」というのが2人の立てた問いである。

 ふだん自明視されている知識や現実が、実はわれわれの社会的因習や態度によって構成されているものに過ぎない、という事実を暴露していく姿勢はまさしく「構成主義的」であるし、事実バーガーとルックマンの主張は、後の現象学的社会学の潮流を組む構成主義者たちに一定の影響を与えているのは間違いないだろう。

しかし本稿の分析枠組みとしてはまだまだ不十分である。というのも知識や現実といった語は意味論的レベルが高いため、その外延が多くあり、意味の境界も茫漠としているからだ(知識や現実とは具体的に何を指示しているのか?)。具体的に現実の中に内包される諸存在を以下で思いつく限り列挙していこうと思う。

 

[a] 制度的・慣習的存在

現実と呼ばれるもののうち、制度的ないしは慣習的実践である「ニューディール政策」や「逸脱行為」などに対して社会構成主義的な眼差しを向けるのは、いささか無粋ではないだろうか。たとえばジョン・メイナード・ケインズがかつて主張したように「非自発的失業者が多く観察される際には、公共事業に積極的な投資が必要である」[Keynes:1936]といった話(つまりニューディール政策)が、時の社会的環境による都合で成り立っている・構成されているといったところで、その主張には何の魅力もなければ、新規性もないだろう。「政策決定が社会的に構成される」ことは疑いようがない事実なのだから。

 

[b]理論的存在

 我々が慣れ親しむ科学の中には、多くの理念形や諸概念、倫理規則などの理論的存在が登場する。例えばウェーバーと並んで社会学の父祖に数えられる、エミール・デュルケムは、社会の個人に外在し、かつ拘束的である側面を指摘した上で、こうした社会が自然科学で扱われる分析対象と同様、モノのように観察できることから「モノとしての社会」を指摘した[Durkheim:1985]。また政治哲学者のジョン・ロールズは、かの有名な『正義論』の中で、互いに互いの選好や社会的立場が隠されている原初状態において人は、マキシミン・ルールに従ってある統一的な正義の構想にいたると主張し、この思考実験から「正義の二原理」を正当化したことで知られている[Lalws;1971]。

 こうした理論の中に登場する理念形や原理は実体を有したものではない。しかしながら、物象を持たないからとはいえ存在しないということはできないだろう。それはちょうど神や霊魂といった超自然的存在が、伝承や教典の中にしか現れてこないからといって、存在を否定してしまうくらいには無理がある。

 

[c]自然科学的存在

自然科学の領分で扱われる「中間子(meson)」は現実に内包される。電子より重く、陽子よりは軽い、中位の重さのこの素粒子は、1934年に湯川秀樹が原子核論の説明で示唆したとされるが、その説明のどこに社会的因習が入り込む間隙があったのだろうか。すなわち「自然現象であるはずの中間子は社会的に構成される」という命題はそもそも成立しているのだろうか。「あるものXは社会的に構成されている」という文言上は何の問題もないはずだが。

 

[d] 高度な意味

 先に挙げたバーガーとルックマンのいうような<現実>それ自体が社会的に構成されているとするとき、その主張は何を意味しているのだろう。この場合における<現実>とは、例えば上に例示した「中間子」や「ニューディール政策」といった具体個別的な現実の事態ではなく、<現実>という概念それ自体を指示している。<現実>のほかに<知識>や<事実>、<真理>などの外延が数え切れないほどある、意味論的なレベルの高い語を<高度な意味>と呼び、その社会的構成についても考えよう。

 

 さらにこの3つの問いに加えて、現実や知識が構成される過程に接近するための方法論についても本節で検討する必要があるだろう。

これを踏まえて次にカナダの分析・科学哲学者であるイアン・ハッキングの主張を見てみよう。ハッキングは社会構成主義や分析哲学、科学哲学周辺で生じた問題解決に向けて(著者の知る限り)最も真摯に取り組んできた学者の一人である。本稿でも後に見ていくように、彼の理論が中心的に参照されていくことになる。

 

【何が社会的に構成されるのか】

 ハッキングは『何が社会的に構成されるのか』というそのものずばりの著作の中で、構成主義者の持つ思惑について以下のように簡潔に整理している。

 

「社会構成主義は、社会の現状に対して批判的である。「Xが社会的構成物である」とする論者は、だいたい次のような見解を抱いているのである。

(1) Xのこれまでの存在には必然性がない、ないしは、それが現在あるような仕方をしている必然性はまったくない。Xの存在ないし、今日のXのありようは、物事の本性によって決められているわけではない。端的に言って、それは不可避ではない。

おうおうにして、社会構成主義者は、さらに一歩進んで、次のようにも主張する。

(2) Xの今日のありようは、まったくもって悪いものである。

(3)もしXが根こそぎ取り除かれるか、少なくとも根本的に改められるかすれば、われわれの暮らしは今よりずっとましになるだろう。」                    [Hacking 1999→2006 pp.14-15]

 

 この3点は実に構成主義的態度を言い当てており、本稿でも、次章以降に見るよう今日的な「若者」の扱われ方が必然ではなく(1)、むしろ悪いもので(2)、改められたほうが良い(3)と考えている。すなわち構成主義には、往々にしてどこか啓蒙的な当為が潜んでいるというのがここで押さえておきたい点である。構成主義の歴史の中でも特に注目を集めた、1960年代の運動――反精神医学運動において、こうした啓蒙主義的当為は顕著であり、R・D・レインの著作などにこの傾向を強く窺うことができる[4]。

 

 しかし上述の構成主義者の当為論にかかわる話は、先の[a]~[d]の諸問題に応答してくれるものではなく、あくまで下準備に過ぎないので、もう少し歩を進めてみよう。

 先の挙げた[a]~[d]の諸問題は、論点が支離滅裂なようで、実はある一点において共通している。すなわち、いずれも存在論のレイヤーに関する問いであるということである。そしてこの存在論上のレイヤーが、議論や主張の中で交錯してしまう事態のことを、私は「存在論的混同(ontological confusing)」と名付ける。例えば自然科学的に神の不在を証明できたとしても、諸個人の主観から「神」を抹消したと結論付けるのは典型的な存在論的混同に陥っている、と言えるだろう。馬鹿げた話に聞こえるかも知れないが、このような事態は、残念ながら60-90年代の構成主義者の主張に高頻度で生じており、さらにその後顧みられることも稀だった。まえがきに書いたとおり、本稿において肝心なのはこの存在論のレイヤーを整理し、構成主義のアポリアにはまらないよう、議論を展開していくことにある。さしあたっては、制度-慣習的存在、理論的存在、自然科学的存在、<高度な意味>のいずれが社会的に構成されるのか――すなわち「何が社会的に構成されるのか」検討する必要がある。

 

制度的・慣習的存在

 まずはわかりやすいところから始めよう。[a]の制度的・慣習的存在は間違いなく社会状況に依存して観察される。先に挙げた「ニューディール政策」や「逸脱行為」は社会的環境に起因するものであり、特に「逸脱行為」などはそれ自体が社会的態度といっても過言ではない。

よってこの2つは社会的に構成される。しかしウェーバーがプロテスタンティズムの倫理によって資本主義は「社会的に構成される」とか、デュルケムが社会的な連帯の度合いによって自殺は「社会的に構成される」などとは言わなかったように、制度的・慣習的存在にまで構成主義の議論を拡張すると、社会科学のほぼすべてが「構成主義的」と形容されることになってしまう。そのため確かにこれらは社会的に構成されてはいるが、「構成主義的」ではない。

 

理論的対象

 では[b]理論的対象についてはどうだろうか。先の例でいえばデュルケムの「モノとしての社会」やロールズの「正義の二原理」などが該当する。つまり主観的で独我的な領域を超え、多くの人々によって共有されることもできる――ゆえに仮象ではないが、かといって物象も持たず、なおかつ科学理論に立脚した存在がこれである。

 ハッキングによれば「理論にかんする実在論は、理論はわれわれが知っている事柄のいかんに関わりなく真か偽かのいずれかである、と言う。すなわち科学は少なくとも真理を目指し、また真理とは世界のあり方」[Hacking 1983→2015 p.71]であるという。つまり「モノとしての社会」や「自我」というものは「世界のあり方」を説明する枠組みであり、真理である以上、説明を与えてくれる唯一の回答――他の理論によって代替されてはならないものになる。他方、同所でハッキングが紹介しているように、理論に対する反実在論者は「理論はせいぜい正当化されるもの、適切なもの、うまく働いてくれるもの、信じがたいが受け入れることのできるもの」[同]として、理論に関する実在論者に反駁を試みるとされる。

 この議論については様々な見解がある[5]が、本稿では積極的に反実在論の立場として論駁をするのではないにしても、理論上で構成された客観的存在とは、せいぜい物事をうまく説明するための便利な枠組みに過ぎず、それが唯一のやり方ではなくて、別様の方法もあるし、代替されうるという見解を支持したい。すなわち「モノとしての社会」や「正義の二原理」といった概念は、不変で絶対の真理ではなく、それら概念が生み出された社会環境をうまく説明するために構成された、社会的構成物であるということになる。

 事実デュルケムが、個人に外在し、かつ個人を拘束する超越的存在としての社会――「集合表象(representation collective)」を、社会的事実として自身の理論の中に描き出したとき[Durkheim:1895]、一つ前の世代のオーギュス・コントによる実証主義的方法論の体系的な確立という要請を受けており、事物の因果関係に迫る自然科学的な強制力が作用していたといえるだろう。他方でロールズは、カント来の規範倫理学を再構成した帰結として、普遍的原理である「正義の二原理」を導出している[Rawls;1971]。彼の主張の帰結は福祉国家を支持するものであったが、60年代のアメリカはちょうど福祉国家の最も隆盛した時期であり、そうした社会情勢と全く無関係に「正義の二原理」が唱えられたとは考えにくい。また80年代に入りコミュニタリアニズムやマルチカルチュアニズムが台頭し、エスニックマイノリティの問題が、積極的格差是正措置(Affirmative Action)などを通して社会的な関心を集めるようになると、ロールズは自身の掲げる「統一的な正義の構想」が、様々な宗教団体や政治団体、思想結社などによる包括的教説と両立可能な「政治的リベラリズム」であるといった具合に理論を改変している[Rawls:2001]。この点については明らかに社会の影響を理論が被っていると指摘できるだろう。

 話が脱線したが、社会科学の理論上に現れる諸概念ないしは枠組みは、その観察対象である社会の影響を何らかの経路を通して受けており、ゆえに社会的に構成されると結論付けられる[6]。

 

自然科学的存在

 続いて自然科学的存在について検討する。先にいっておくと構成主義において、この自然科学的存在の実在をめぐる問いが最も重要な係争点の一つであり、また多くの構成主義者たちを悩ませてきた事柄でもある。したがって、ここでは実際に勃発した論争をまず2つほど紹介した上で、これらが孕む誤謬の考察を通し、自然科学的存在が社会的に構成されるのか否か考えよう。

①オントロジカル・ゲリマンダリング

 「オントロジカル・ゲリマンダリング(ontological gerrymandering)」(長いので以下OGと呼ぼう)とは、直訳すれば「存在論上の恣意的な線引き」を意味し、「科学知識の社会学(Sociology of Scientific Knowledge)」のスティーブ・ウールガーと、カナダの医療社会学者ドロシー・ポーラッチの2人が1985年に上梓した「オントロジカル・ゲリマンダリング――社会問題をめぐる説明の解剖学」という論文に登場する概念である。端的にいえば、構成主義者は「対象Aを社会的に構成している」と指摘する他方で、「対象Aを構成した環境対象Bの実在(構成)」に関しては全く無頓着であり、AとBの間になされた「恣意的な線引き」に対する問題提起が本論分の趣旨である。この論文では様々な構成主義者が取り上げられ、隠蔽されたOGの存在を指摘している。本稿の自然科学的存在の社会的構成を考える趣旨としては、このうち社会学者スペクターとキツセによる著書『社会問題の構築――ラベリング理論を越えて』の中の「マリファナの性質」に関する記述に対する批判が目的に合致しているだろう。ウールガーとポーラッチが噛み付くのは以下の部分。

「マリファナそのものの性質からは、この定義の変化を説明できない。マリファナの性質はこの間一定であり、従って、定義の説明要因は他に求められなくてはならない。実際、このマリファナの「性質」は、その嗜好性、非嗜好性のいずれの定義も十分に説明できない。」[Spector&Kitsuse 1977→1990 p.68]

ここでスペクターとキツセは「マリファナをめぐる社会問題」の定義が変化しているとした上で、「マリファナの性質」それ自体からは社会問題の定義の変容については得ることがないとまとめている。しかしながら、ウールガーとポーラッチに従えば「マリファナをめぐる社会問題(対象A)」が社会的に構成されているにもかかわらず、それを構成する「マリファナの性質(対象B)」は自明で所与のものとされており、ゆえに両者の間にOGが存在することになる。すなわち「状態に名前をつけ、同定し、記述するうちに、これらの著者は、自分たちが論じている想定された行動や状態について必然的に定義を下しているのだ。クレイムメイカーたちのクレイムは説明を必要とする社会-歴史的構築物(定義)として描かれるいっぽうで、著者たちのクレイムや構築の作業は隠されたままであり、所与とみなされているのである。」[Woolger&Pawluch 1985→2000 p.24]

 ウールガーとポーラッチに一理あるのはわかる。確かにスペクターとキツセは「マリファナの成分」の扱いについて顧慮していない。しかし他方でOGの指摘を真に受けるのならば、次のような無限背進に陥ってしまうことになる。なぜ「マリファナの成分」を疑ったのに、「マリファナの製造過程」や「大麻の生産地」などに対して疑念の目を向けなかったのか、そしてもし「マリファナの製造過程」や「大麻の生産地」を疑うのであれば、なぜ「製造手段の変化」や「農法の変化」を所与としたのか……といった具合に。つまり「対象A」を社会的に構成した「対象B」、その「対象B」を構成した「対象C」、その「対象C」を構成した「対象D」……というように構成環境に対する構成主義的眼差しが、無限に後退してしまうのである。

OGが妥当な批判なのか、そして回避できるものなのか、ということはとりあえず留保しておくとして、自然科学的存在をめぐる次の論争に移ろう。

 

②サイエンス・ウォーズ(ソーカル問題)

 サイエンス・ウォーズは90年代初頭に起きた科学をめぐる一大事件であり、自然科学者と社会科学者の垣根を越えて勃発した文字通り「戦争」である。ここではその概観をつかむため、社会学者中村和生が『概念分析の社会学』[酒井ほか:2009]に掲載した論文『科学社会学における「社会」概念の変遷』を手がかりに要点をまとめる。

 中村によれば発端の経緯は次の出来事だった。「1994年、生物学者ポール・グロスと数学者ノーマン・レヴィットは『高次の迷信』という本を出版した。それは科学批判への反批判という体裁をとっている。彼らによればトマス・クーン以降の現代科学論は、ポスト・モダニズムと連帯して、科学の基本的前提である。素朴実在論や実証主義を否定したり、それに制約を設けたりすることによって、現代産業社会を作り出してきた科学の権威を失墜させようとしている。よって、科学者としてこれ以上黙認するわけには行かず、直接の反対運動に着手するというわけである。」[中村 2009 p.239]

 早い話がポストモダニストや科学哲学者といった一連の構成主義者に対する、自然科学側の宣戦布告である。そしてこの布告を契機に、自然科学対社会科学の論争は激化していくことになる。そんな中サイエンス・ウォーズを象徴する事件、「ソーカル事件」は起こった。

 カルチュラル・スタディーズ系の雑誌『ソーシャル・テクスト』はサイエンス・ウォーズに関する特集を組み、自然科学者たちに応戦の姿勢を見せたのだが、多領域にわたる掲載論文の中に物理学者アラン・ソーカルによる論文も含まれていた。「そしてこの論文こそがポスト・モダニズム風の科学批判のパロディだったのである。ソーカルはそのことを別の雑誌ですぐさま暴露した。そこでソーカルは、実在世界が社会的構成物などではありえないにもかかわらず、こうした主張を繰り返し、科学と企業や政府との影響関係を論じない「アカデミック左派」に対する怒りこそがパロディの誠実な動機であることを表明した。」[同 p.240]

この一連の騒動は後に「ソーカル事件」と呼ばれ、賛否両論を引き起こすことになる。本稿で注目したいのはソーカルの構成主義に対する嫌悪に基づく非難であり、それは彼の「物理法則が単なる社会的慣習にすぎないと信じるのなら21階から飛び降りてみればよい」という揶揄に端的に顕れている。

 つまり自然科学的存在である物理法則などは、社会的に構成される現実なのかということがここで問われるべきトピックである。少なくとも構成主義者が本当に「高所」や「物理法則」を社会的構成物と信じ込み、実際にダイブに至ったのであれば、存在論的混同の最も悪趣味な例となるのは間違いない。このように自然科学的存在に対し、構成主義の眼差しを向けた際に顕在化する理論上の欠陥を、(ソーカルに敬意を表して)「ソーカル問題」と呼ぶことにする。

 

対象と観念

 ここまで「①OG問題」と「②ソーカル問題」を簡単に見てきた。前者は存在論上の恣意的な線引きに基づくものであり、かといって真に受けてうかつな訂正を試みると無限背進に至ってしまう。後者はソーカルらの批判に端を発する問題であり、自然科学的対象を社会的に構成されると主張した際、生じてしまう理論上の欠陥を意味していた。

 結論からいえばこの2つの問題は、ハッキングによる対象(object)/観念(conception)の区別を導入することによって、たちどころに解消される。ハッキングによれば、両者は以下のようなものである。

対象 …… 状態、行為、審判、経験、物体、人間の関係、観察不可能なもの、素粒子など、全く異なるカテゴリに属していながらも、世界の中に存在するという点では共通している。ジョン・サールの言葉を借用すれば「存在論的には主観的だが、認識論的には客観的」なもの。

 

観念 …… 一個人の心理に還元されるのではなく、通常は公共的な場に登場し、その中で提案されたり、批判されたり、賛同されたり、避けられたりするようなもの。具体的に「種」や「概念」とも表現できるだろう。他方でその具体個別のクラス、集合ないしグループは、観念の外延であり、すなわち世界の中にある「対象」に他ならない。                   [Hacking 1999→2006]

 この両者は極めて混同しやすく、ハッキングもそして著者自身もかつてこの2つを存在論的に混同したことがある。

 ハッキングによれば「観念」も「対象」も社会的に構成されうる。例えばここで先の制度的・慣習的存在の項で例示したニューディール政策について考えよう。「対象」としてのニューディール政策が「大恐慌から4年後にルーズヴェルトが着手した対失業政策」となるのに対して、「観念」としての「ニューディール政策」は「市場への積極的介入を促進する政策であるためリバタリアンにとっては好ましくない」とか「乗数効果に期待できる」といった表象部分に相当する。前者はすでに本節で見たように社会的に構成されている(というより社会の動きそのものと言った方が早いかもしれない)のだった。他方で観念上の存在物としての「ニューディール政策」も、新自由主義の流行に煽られたり、あるいは逆に経済格差是正のため再び日の目を見たりといった具合に、時々の社会ないしその成員の態度の影響を受けているため、社会的に構成された表象であるといえるだろう。

 しかし少々ややこしいケースもある。例えば先ほど例に出した「中間子」。これに対する「観念」が社会的構成物であるとするのはまだわかる。しかし中間子という「対象」は社会的に構成されたものなのだろうか。直観的に考えるのであれば、中間子は自然物であり、最も軽いもので約140MeVの重さを持つとか、ハドロンの一種であるとかといった事実が、人間社会における事情の影響を被るはずがない。しかしながら他方で、中間子を「中間子」として発見したのは他ならぬ人類であり、例えばその存在を予見した湯川秀樹の生まれた家庭環境(彼は地質学者の父を持つ)や、論文を書いた際の研究室の人間関係などによっては、何らかのズレによって中間子が今現在まで発見されておらず、ゆえに「対象」として存在しなかったと考えることができるのではないだろうか。馬鹿げた可能世界に過ぎないように思えるが、こうした想定次第では中間子を社会的構成物と呼ぶことが問題ではない場合があるようにも思えてくる

 自然物として「対象」が社会的に構成されるか、否かについては実は見解が割れるところではあるが、本稿では「構成されない」の立場で一貫する。「自然物は社会的に構成される」とする立場としては、例えば先述のウールガーがその一人だった「科学知識の社会学(SSK)」を挙げることができる。ソーカル問題のところでも取り上げた中村はSSKを次のように説明する。「SSKの議論では、科学的発見や技術の発明に関して、科学・技術的な側面と社会的な側面との区別が前提にされます。そして、科学・技術的な側面の正しさに疑いを投げてかけて否定したり、あるいは相対化することで条件を設けて、その正しさを限定的なものとしたりもします。これにより、なぜ発見とされたのか、なぜ優れた技術とされたのかを、自然科学者がするように科学・技術的な側面から説明することはほとんど無効にされ、最終的には実験をとりまく社会的な側面を原因とすることによって、発見や発明を説明します。」[中村 2007 p.95]

しかしながら、本稿としては、こうしたSSKのあり方は慣習的存在と自然科学的存在のレイヤーを存在論的に混同しているといわざるを得ない。「対象」としての中間子の実在は確かに疑いうるが、それは社会的構成物としてではなく、あくまで自然物としてであり、ゆえにそこにもし疑念を挟みたいのであれば、社会科学者の方法論ではなくて自然科学者の方法論で挑まれなければならない。言い換えれば「中間子の構成」というトピックは、社会的次元には還元されず、自然科学ないしは自然現象という領域内部の出来事である。そもそも自然科学に精通していない社会科学者が「社会的に構成されている」という紋切り型の指摘で、他人の畑を荒らしまわったことが、他ならぬソーカルの怒りをかった原因だったはずである。

 少し整理しておこう。ここで確認したことは、人々の抱く「観念」は例外なく社会的に構成されているが、「対象」のうち自然科学的存在は自然の領域で構成されるものであり、社会的な因習や態度とは無縁の存在である、ということだった。

 長くなったが、これらを踏まえてまずOGの方を見てみると、ウールガー=ポーラッチが「マリファナの成分」という「対象」と、「マリファナをめぐる社会問題」に対する「観念」を混同しているのがわかる。すなわち存在論的混同が観察されるのである。逆を返して考えると、スペクター=キツセが「マリファナの成分」と「マリファナをめぐる社会問題(の観念)」との間に、(図らずとも)線引きを設けたのは、ウールガー=ポーラッチの主張とは裏腹に「恣意的」ではない、すなわち「ゲリマンダリング」ではないということになるだろう。「対象」と「観念」は異なるカテゴリに属しており、特にこの場合では「マリファナの成分」は社会的慣習や制度などではなく、自然科学的存在に他ならないため、それを同一の俎上に載せて「社会的に構成されている」と指摘することはできない。

 もう一方のソーカル問題についても同様であり、この場合は自然科学的対象に対して社会構成主義の視線を向けた、社会科学者側が存在論的混同を起こしているといえよう。ソーカルの挙げた例「物理法則」は、先述の「マリファナの成分」同様に「対象」のうち自然科学的存在であり、ゆえに社会的には構成されていない。そうではなくて、「高所」に対して抱く「怖い」とか「危険だ」といった「観念」が社会的に構成されることになるのである。

 

<高度な意味>

 最後に<現実>や<事実>といった[d]<高度な意味>を持つ概念を検討する。論理学者のW・O・クワインは、こうしたタイプに属する語を「何があるか知るためではなく、ある主張や説が、我々のものであれ、他人のものであれ、なにがあると言っているのか知るため」[Quine 1960 p.22] とした上で、「意味論的上昇(Semantic Ascent)」と呼んでいる。ハッキングも<高度な意味>を持つ言葉について触れており、これらを「エレベーター語(Elevator Words)」と名付けた上で、「世界のそのものについて、ないしは、われわれが世界のそのものについて語ったり、考えたりしている事柄について、何事かを主張するために用いられる」[Hacking 1999→2006 p.51] と整理している。ここで重要なのは、<高度な意味>も「観念」と「対象」同様、確かに社会的に構成されるのではあるが、その構成過程は「観念」「対象」とは一線を画している点である。

 <高度な意味>例えば<事実>は、ここまで見てきた「ニューディール政策」や「中間子」と並列すること明らかに許されない概念である。「ニューディール政策」と「中間子」が事物についての「観念」ないしは、事物それ自体「対象」を指示する語であるのに対し、<事実>はそうした諸事物を内包する言葉だからだ。例えば「1年A組」「2年B組」「3年D組」といった各年各組を指示するカテゴリ列に、「○×学校」という学校全体を包含するカテゴリを並列させたらおかしいだろう[7]。<高度な意味>とその他具体個別の事物の差異は、こうした意味の次元にかかわるものである。

 では「<事実>や<現実>が社会的に構成されている」との文言は、それらの語が内包する「すべての「対象」「観念」が社会的に構成されている」と言うのと、同義なのだろうか。この考えも実は違う。仮に両者が同義だったとしたら、「社会的に構成されなければ、世界のすべては存在しない」という過剰なまでの観念論的な見解に至ることになり、また自然科学的存在の項で扱った「「対象」すべてが社会的に構成されるわけではない」という議論と齟齬をきたすことにもなる(<事実>が社会的構成物なら、それが内包する「対象」の外延、中間子も社会的構成物になる)。

 ハッキングは本稿でもとりあげたバーガーとルックマンによる<現実>概念を取り上げた上で、彼らの理論が決して普遍的な構成主義ではなかったと指摘している。「構成物とされるのは「現実」という名で一括して呼ばれるすべての事柄なのではなく、あくまで、他でもないわれわれが「現実」に対してとる一定の反応の仕方なのである。」[Hacking 1999→2006 p.58]

 よって<高度な意味>の社会的構成が主張される際、「観念」や「対象」と同様の意味合い――つまりこの世界のすべてが社会的構成物であると言われているのではなくて、あくまで<現実>や<事実>といった<高度な意味>に対する我々の姿勢や振る舞いが問われているのである。

 

【諸概念の対応関係など整理】

 ここまで順に、制度的-習慣的存在、理論的存在、自然科学的存在、<高度な意味>をそれぞれ考察してきた。次に本論における構成主義的方法論の検討を控えているのであるが、今一度立ち止まって、これらがハッキングの提示する「対象」、「観念」、「エレベーター語」のいずれに該当するのか、ということを改めて整理しておこうと思う。また併せて「対象と観念」の項で少し触れたとおり、私の旧論文『ポスト若者論考』における存在論的混同について省察しておくことも意義があるだろう。

[a]まず制度的-習慣的存在であるが、「ニューディール政策」や「犯罪行為」は社会的に構成されている、どころか社会的実践そのものであり、社会的構成物であるといちいち指摘するまでもないのだった。ハッキングの区別に従えば、これらは「対象」と「観念」の両側面を有しており、「対象」として見る場合「大恐慌から4年後にルーズヴェルトが着手した対失業政策」といった記述が、「観念」ならば「市場への積極的介入を促進する政策であるためリバタリアンにとっては好ましくない」といった記述がそれぞれ与えられるということも、すでに確認したとおりである。

[b]次に理論的存在であるが、特に社会科学に限定すればこれらは、分析の結果生まれた「観念」であるということになる。しかしながら、その構成過程――すなわち科学的実践については実体があり、世界の中に存在する事物であるため「対象」ということになる。よって、あくまで「観念」なのは理論上に現れた存在物である、ということを留意しておいた方がよいかもしれない。

[c]次の自然科学的存在は概ね制度的-習慣的存在と同様であり、「対象」「観念」の2面があるということだった。しかしながら決定的に重要な点は、これまでSSKやポストモダニストらの構成主義を中心に、議論が幾度と交わされてきたことではあるが、本稿において「対象」としての自然科学的存在(中間子、マリファナの成分、物理法則など)は社会的には構成されていないものであり、仮にそれらの構成について議論したいのであれば、それは社会科学の領分からではなく、自然科学の領分から行う必要があるということだ。

[d]そして最後の<高度な意味>は、ハッキングがいう「エレベーター語」に対応しており、<現実>や<事実>といった事物の包括的総称は確かに社会構成物でありながら、その場合問われることになるのは、世界のすべてではなく、<現実>や<事実>に対する我々の反応の方だった。

 

『ポスト若者論考』における存在論的混同

 予告どおり私の以前の論文における存在論的混同を検証してみよう。『ポスト若者論考』は前にあげたハッキングによる構成主義者の当為3つすべて当てはまる、まさに構成主義らしい構成主義の論文であり、本稿と同じく「若者」概念を系譜学的に遡行することによって、その恣意性を問うた内容となっている。

 誤謬は次のような一文に端的に顕れている。「本稿ではまず「若者」の定義から疑った。というのも、「若者」という概念を構築するのが常に大人文化による眼差しであり、「若者」とされる人々の存在は決して自明視されるものではないはずだからだ。」[著者 2014 p.1] 前半部分で「観念」としての「若者」が俎上に載せられていることはわかる。「「若者」という概念を構築」というくだりは、先述の通り文字通り構成(構築)主義的な発想である。しかしながら、次に出てくる「「若者」とされる人々の存在」とは一体どのレイヤーでの議論だろうか。

この箇所では「観念」としての「若者」を疑っている以上、確かに「若者」概念の社会的構成を指摘することはできる。しかし、だからといって「対象」としての若者が存在論的脅かされることにはならないはずだろう。百歩譲って「観念」上の「若者」と同様に、「対象」としての若者が社会的に構成されていること論文の中で分析したいと述べていると解釈しても、両者を同じ文脈で同じ扱いをするということは、やはり存在論的混同に他ならない。

 すぐ後に見るよう、「観念」としての「若者」と、「対象」としての若者は相互に関連しあいながら、それぞれ社会的に構成されている。しかし、その相互依存性の議論は、あくまで「観念」と「対象」を峻別した上で可能となる話であり、存在論的混同をしているうちには捕捉するはできない。

 

ハッキングによる分類

備考

制度・慣習

「観念」/「対象」

社会的構成物

理論上の存在

「観念」

「対象」を分析・考察した「観念」

自然物

「観念」/「対象」

「対象」は非社会的構成物

<高度な意味>

「エレベーター語」

<現実>などに対する我々の態度

表Ⅰ:諸存在と構成物の種類および留意点

 

 

【方法論】

フーコーとゴフマン

ここまでの議論を踏まえると、若者は「対象」と「観念」2つの側面があることがわかる。生物学的特性(つまり自然物としての若者)を例外とすると、若者は二重の意味で社会的に構成されており、彼らのライフスタイルやメンタリティが「対象」としての社会構成物である一方、それらを扱う言説や研究も「観念」的な社会構成物であるということになる。

 次に方法論の検討に入りたい。ここでは構成主義のうち、特にフランスの思想家ミシェル・フーコーの主著『狂気の歴史』[1972]とアメリカの社会学者アーヴィング・ゴフマン『集まりの構造』[1980]を比較検討することになるが、後に解説するようにこれらの著作にはある重要な視点が抜け落ちていることがわかる。本稿では、そうした欠陥をまたもやハッキングの力を借りて補填することで、方法論上の問題も解消しようと考えている。

 フーコーとゴフマンは先述のようにそれぞれ異なる国で活動していた。他方、共通点としては同時代人であることと、その構成主義的眼差しを「狂気」に向けたことが挙げられるだろう。ここではまず2人がどのようにして「狂気」の社会的構成を指摘したのか、ということをまず抑えておきたい。

 

フーコー/歴史遡行のアプローチ

 難解な<権力>論に移行する前の前期のフーコーは極めてシンプルな「知の考古学(archéologie)」という枠組みに沿って分析を展開したことで知られる。現代社会論を専攻する桜井哲夫は次のように解説する。

「フーコーの言うアルケオロジー(考古学)とは、フリードリヒ・ニーチェの「系譜学」やジョルジュ・カンギレムの「概念の歴史」の影響を受けて考え出された方法論です。[…]フーコーは、書物や発言の中に隠されている主題をあきらかにすることではなく、そうした主題がその時代のどのような規則(無意識的な構造)によって書かれたのか、発言されたのかあきらかにすることを「考古学」の方法としました。」[桜井 2001 pp.52-54]

 桜井が言うようにフーコーの「知の考古学」の下地には、ニーチェやカンギレムといった歴史を遡行するアプローチをとる学者の主張があり、現在でもウィリアム・コノリーやチャールズ・テイラーといった政治哲学者がニーチェとフーコーの間に共通性を見出し、共に援用する議論を展開している[9]。またルイ・アルチュセールがフーコーの師として知られているが、実はカンギレムも博士論文の指導教官を担当しており、こちらの影響も看過できないものとなっている。

 いずれにせよフーコーが本書で明らかにしたのは、「狂気」概念の系譜を歴史的に遡行することによって、自明視されるべきではない、脱自然化された――「狂気」の社会的構成のプロセスに他ならない。以下、大著のため単純化することになってしまうが、せっかくなので『狂気の歴史』を要約しておこう。

「確認しなければならぬ興味深い事実がある。つまり、性病がある程度その医学的な脈絡からはずされて、狂気とともに排除という道徳的空間の中に統合されたのは、17世紀に創設されたような監禁の世界の影響である。実際、ライ病の正真正銘の遺産相続を探すべき場所は、性病などではなくて、きわめて複雑な現象のなかにおいてであって、医学は時間をかけてそれに順応していくだろう。

この複雑な現象とは、狂気である。しかしながら、この新しい強迫観念が、1世紀にわたる恐怖のなかでライ病のあとにつづき、それと同じように分割・排除・浄化という反作用――それは明らかにあのライ病に似かよっているが――を起こさせるためには、2世紀近くの長い潜伏期間を必要とするだろう。17世紀のなかばごろ、狂気が人間によって統制される前まで、狂気のために古い祭式が復活される前までは、狂気は文芸復興期のあらゆる主要な経験と頑固に統合されてきたのである。」[Foucault 1972→1975 p.25]

長く引用してしまったが、要点は以下の3つ。

①狂気はハンセン病(=ライ病)と同様に「分割」・「排除」・「浄化」の反作用を経験した。

②反作用が起こるまでに17世紀から2世紀前の間、つまり15から17世紀の期間を要した。

③15世紀から17世紀までの期間、狂気は文芸復興=ルネサンスの経験と結びついていた。

フーコーは詩人セバスチャン・ブラントによる『阿呆船(Das Narrenschiff)』(1497)に注目する。『阿呆船』で風刺たっぷりに語られるアレゴリーは、15~16世紀にドイツで流行したいわゆる「愚者文学」の先駆けとして知られるが、フーコーによれば狂人たちを乗せて各都市を移動する「阿呆船」は実在し、その正確な意味を推し量ることは困難としつつも、生活領域の「分割」がその目的としてあったと主張している。

しかしながら17世紀半ば、突如として狂気は閉じ込められ、人目につかないところに隠された。フーコーの表現を借りれば「大いなる閉じ込め」が起こり、狂気は監獄の必要性と結びついた。つまり「17世紀の中期以来、狂気はこうした監禁の土地と、そこをあたかも生まれ故郷でもあるかのように指示していた行為との切り離せない関係にあった。」[同 p.68] すなわちこれまで「分割」の対象でしかなかった狂気は、いまや「排除」の対象になってしまったということである。

18世紀末に至ると、今度は精神医学や精神医学施設の登場に象徴されるように、「浄化」が志向されるようになった。この段階において現代と同様、狂気は「精神病」になり、治療の対象として顧慮される存在になったということである。しかしながら、「浄化」されるべき狂気とは18世紀末から現代における特殊型に過ぎず、決して自明視されるものではないということは、すでに上述の『狂気の歴史』解説を通して見たとおりである。

 かなり駆け足になったが、フーコーは本書の中で「知の考古学」を紛れもなく「狂気」概念に対する構成主義的アプローチとして用いている。「狂気」というものが実は社会的慣習や態度によって構成されており、所与であることを否定するのだから前項の冒頭に挙げたハッキングの構成主義的当為にも合致するだろう。また本稿ではフーコーによる「知の考古学」のように、歴史を遡行する方法論のことを、そのまま「歴史遡行のアプローチ」と便宜上呼ぶことにする。

 

ゴフマン/対面力学のアプローチ

 ゴフマンはハワード・ベッカー[10]と並んでシカゴ学派第4世代を代表する社会学者であり、演技論やスティグマの社会学などの提唱者としても知られる。本稿で紹介する『集まりの構造』は、後期ゴフマンの主著の一冊であり、よく知られた「儀礼的無関心(Civil In-Attainment)」の概念が登場することからも窺えるように、個々の状況下(ダンスホール、劇場、レストラン)において、規範的に要請される人々の立ち振る舞いを分析した内容となっている。まずはゴフマンによる「関与」概念を敷衍するところから始めよう。

「関与とは、ある個人がある行為――ひとりでする仕事、会話、協同の仕事など――をするのに調和のとれた注意をはらったり、あるいははらうのをさし控えたりする能力のことをいう。つまり、関与は、行為者と関与対象との間に緊密な関係があることを前提とし、関与者自身が対象に没頭しているということを含んでいる。ある行為への関与がなされるのは、行為者の意図あるいは目的を表現するためであるといえるからである。」[Goffman 1963→1980 p.48]

 また関与は支配的なものと、従属的なものに区別ができる。

「支配的関与とは、個人に対して義務として課されるもので、社会的場面で個人はそれにすすんで関与せざるをえないものである。それに対して、従属的関与とは、注意を支配的関与にそれほどはらわなくともよい場合に、ある程度まで、しかもその間だけかかわることが許される関与である。」[同 p.49]

 例えばある学会に参加した際、発表の順番が回ってきたり、見解を尋ねられたりした場合、支配的関与の度合いは高くなり、従属的関与の度合いは低くなる。その逆に興味のない発表を聞く際や、あるいは閑散とした受付を担当する際にはノートに落書きしたり、今日の夕食に思いをめぐらしたりといった具合に、従属的関与の度合いが高くなるだろう。そしてゴフマンによれば、我々はこうした両関与の分量をそれぞれの状況・場面・適用される社会的カテゴリ(年齢、性別、人種、職業など)に応じて、巧みに調節し、また他者の調節も判断しているという。

「どんな種類の社会的集まりであっても、そこで許される従属的関与に関しては関与規定があると考えてよい。そのことは、すでに示唆したように、従属的な行為に自分の注意や自我を集中させる量と、支配的関与にそれらを残しておく量とを比較すると理解できる。」[同 p.53]

ここからが本題だが、ゴフマンはこうした状況・場面・カテゴリに合致した関与配分がうまく調節できない、不適切な関与をしてしまう逸脱者として「精神病患者」の存在を挙げている。

例えば「晴れた昼下がりの街頭」を想像してみよう。そこで「親指を吸うこと」や「舌なめずり」「チューインガムを膨らませること」に没頭する――つまり支配的関与とする人は、少なくとも我々の社会においては「子ども」だとされる。しかしながら、例えば薄汚れた服を着た「大人」が、同様の場面で同様の行為に没頭していたとしたら、我々は彼に「精神病患者」や「知的障害者」といったカテゴリを帰属するのではないだろうか。そしてゴフマンの見解に正当性が認められるのであれば、精神病の診断にはフロイト流の精神分析などはもはや無用であり、むしろ支配的/従属的関与の配分から考えられなければならないことになるだろう。

「現状では、精神科医は、診察所や病院で相当の量の診断や収容の仕事をしているためか、面接診断する患者の行為が状況において適切であるかそうではないかを即時に判断し、そしてもし不適切であれば、それを状況における単なる不適切な行為と見なすべきか、あるいはそれを精神病の兆候とみなすべきかについて判断をくだす。もちろん、この場合の診察行為は、不適切な行為の精神力学的意味をどれほど専門的に分析しようと、全体として素人的な判断といわざるをえない。なぜなら、社会の誰もがこういった区別をするのであるが、特に軽度の逸脱行為の場合には、区別をどのようにつけるかについては一致した合意がないからである。」[同 pp.248-249]

 フーコーが歴史遡行のアプローチによって狂気を分析して見せたのに対し、ゴフマンはこのように関与の度合いによる社会的構成を訴えた。本稿ではフーコーに対置するために、ゴフマンのようなアプローチを以下で「対面力学のアプローチ」と呼ぶことにする。

 

一方通行問題

 方法論の検討のために、狂気に対するフーコー/歴史遡行のアプローチと、ゴフマン/対面力学のアプローチをここまでで解説した。以下では両者に対してハッキングによる「対象」「観念」の区別を適用してみようと思う。

 歴史遡行のアプローチにおいてフーコーが明らかにしたのは、「観念」としての「狂気」と、それをめぐる社会的実践の変容だった。すなわち「狂気」はルネサンス期において「分割」の対象だったのに対し、17世紀頃から「排除」の対象となり、そして18世紀の終わりに現在と同じく「浄化」の対象となったのだった。こうした「観念」の変化に伴い、「阿呆船」による生活領域の住み分けが、監獄への隔離に代わり、最終的には精神科病院における治癒に至ったのだった。つまり「狂気」に関する知識や表象が変化した(「観念」のレイヤー)ことで、制度的・慣習上における狂気に関する実践も変化した(「対象」のレイヤー)、というのが『狂気の歴史』における中心的な主張となるだろう。

 しかしながらここで一つ疑問が残る。「観念:狂気」の変化に伴い、「対象:狂気をめぐる実践」が変化するのはよいとして、「観念:狂気」はなぜ・どのようにして変化したのだろうか。もう一歩踏み込むと、「対象:狂気をめぐる実践」の変化に伴う、「観念:狂気」の変化は観察されないのだろうか。この問いは本項ですぐに再訪するので、ひとまずゴフマンの主張も改めて検討しておこう。

 

 ゴフマンによる対面力学のアプローチでは、相互行為の水準――特に関与配分において、専門家が普段扱っている精神病のカテゴリないしはその知識が実は構成されていることが指摘されていた。ここにハッキングによる「対象」「観念」の区別を当てはめてみると、関与配分は社会的態度であるためハッキングによる「対象」に該当するのに対し、一方の精神病の知識は「観念」に当てはまる。つまり関与配分に準拠した精神病への眼差し(「対象」のレイヤー)が、精神病に関する知識(「観念」のレイヤー)を構成しているというのが、ゴフマンの主張なるだろう。

 しかしここで興味深いことにフーコーとは逆の問いが発生していることがわかる。つまり「対象:関与配分」によって「観念:精神病」が変化するのは良いとして、「対象:関与配分」は変化しないのだろうか。仮に変化するとしたら、なぜ・どのように変わっていくのだろうか。さらに「観念:精神病」は「対象:関与配分」に何らかの影響を与えているとは考えられないのだろうか。

 ここはきわめて重要な帰結をもたらすため今一度整理をしておこう。フーコー/歴史遡行のアプローチでは、「対象:狂気をめぐる実践」が「観念:狂気」に対してもたらす影響が明らかになっていなかった。それに対してゴフマン/対面力学のアプローチでは、「観念:精神病」が「対象:関与配分」に対してもたらす影響が明らかにされていない[11]。

 

構成する側

構成される側

フーコー/歴史遡行

観念:狂気

対象:狂気をめぐる実践

ゴフマン/対面力学

対象:関与

観念:精神病

表Ⅱ:『狂気の歴史』と『集まりの構造』における社会的構成の構図

このように「対象」ないしは「観念」の社会的構成を訴えつつも、そのどちらか一方にしか目が向いておらず、もう一方に対して妥当な説明を与えることができない、あるいは与えようとしていない問題のことを、私は一方通行問題(One-Way Problem)と呼んできた。

 これは何もフーコーやゴフマンのみが抱える問題ではなくて、他の構成主義者の議論において「観念」/「対象」の混同と同様、往々にして生じてきた問題の一つである[12]。かくいう著者の『ポスト若者論考』においても一方通行問題は生じており、フーコーのように「観念:若者」がもたらす「対象:若者をめぐる実践(バッシングなど)」を論じつつも、その逆の視座については完全に議論から抜け落ちていた。

 今回はそうした一方通行問題を打破するために、ハッキングによる、ある理論枠組みを新たに導入する予定だ。

 

ループ効果

 フーコー=ゴフマンの主張に対し、「対象」/「観念」のどちらかにしか構成主義的な眼差しを向けることができない一方通行問題を指摘することができたのだった。ハッキングによれば特定の条件を満たす場合に限り、「対象」/「観念」の間に、互いが互いを構成しあうような相互関係を見出すことが可能になるという。この相関関係が本稿にも援用できたのならば、「対象」/「観念」への双方向的パースペクティブによって一方通行問題は解消されることになるだろう。

ここでは具体個別の事例を簡単に紹介した上で、次にハッキングが提唱した枠組みについて検討したいと考えている。日本では若者文化と親和性が強い「サブカルチャー」という概念などはどうだろうか。

[S1] 「サブカルチャー」という「観念」は1956年のアメリカで誕生した。『孤独な群集』などの著作で知られるディビット・リースマンがその生みの親だったとされる。社会学者の難波功士によれば、当初において「移民たちのエスニックな、もしくは人種的なコミュニティの中で分有される文化」「ストリートにたむろする非行少年たちの文化」「雇われパートナーとして社交ダンス場で働く女性たちの文化」「「寄せ場」や「野営地」に流れ着き、また流れ去る「渡り労働者(hobo)」たちの文化」が、カテゴリ「サブカルチャー」の外延だったという[難波 2007 p.12]。

ポール・ウィリスによるエスノグラフィーの古典的名著『ハマータウンの野郎ども』では「野郎ども」と呼ばれる不良少年たちが抱く労働者階級への憧れや、学校文化(メインカルチャー)への反抗が精緻に観察されている[Willis 1977]。またカルチュラル・スタディーズの文脈でも、ディック・へブディジの『サブカルチャー』でエスニシティやユースカルチャーの議論が俎上に載せられている[Hebdige 1979]。この2冊は特に「サブカルチャー」の著名な研究としてたびたび名前を挙げられており[13]、扱っている内容も先に難波の例示した諸「対象」に合致する。

 

[L1] 日本において「サブカルチャー」という語が始めて用いられたのは『美術手帖』1968年2月号での「もう一つのイメージ文化」という特集の中だとされ、写真家の金坂健二が寄稿した文章が初出だった[14]。

 しかしながら劇作家の宮沢章夫によれば、現在的な意味合いの「サブカル」(非「サブカルチャー」)という語の使われ方が始まったのは90年代辺りからで、一般的に「「アングラ」という意味合いで表現されるもの、ないしは悪趣味、さらにはアニメだったり、「萌え絵」がイメージされる」[宮沢2014 p.98]という。またフリーライターの近藤正高も90年代に「サブカル」の興りを見ており、「90年代を通してサブカルチャーという語は「サブカル」と略されることで一般に浸透し、やがて多くの書店にサブカル棚が設けられるようになった。[…]こうしたサブカル棚の出現により、どのジャンルにも立脚しないことが特徴だったはずのサブカルチャーが、それ自体が一つのジャンルとして認知されてしまうことになる」[近藤 2005 pp.174-175]と指摘している。

 

[S2] 日本における観念「サブカルチャー」は、上述のように消費者や生産者たちの実践すなわち「対象」の水準で、明らかにリースマン的なそれとは異なる意味性を獲得していると考えられる。さらにいえば、日本の文脈における「サブカルチャー」の指示対象は、宮沢-近藤による指摘からもわかるように、ユースカルチャーにのみ限定されている(エスニシティや労働を内包していない)。また90年代における「サブカル」台頭以降の主要な研究[15]を見てみると、少女/青少年マンガ、ポップ・ロックミュージック、セックス[宮台 1993]や、アイドル、コミック、ポケベルなど通信ツール[中沢 1997]、アニメ、ゲーム[東 2001]といった具合に、ユースカルチャーを中心に、というよりもはやユースカルチャーしか扱っていないことがわかる。

 

 観念「サブカル」の構成についての仔細は本稿の該当箇所で論じる予定である。というのも80年代に誕生したとする説と、90年代に誕生したとする説があるためである(なお著者は後者を支持)。その議論はとりあえず置いておくとして、ここでは以下のような概念ないしは「観念」が引き起こす相互関係の過程に迫りたい。

[S(ience)1] 科学的実践の中で、「サブカルチャー」という「観念」が誕生。エスニシティやセクシャリティ、労働者階級の議論などを包括した呼び名だった。

 

[L(ive)1] 特に90年代以降日本における日常的実践の中で「サブカルチャー」という「観念」は、近藤が指摘するように従来的にどのジャンルにも該当しなかった周縁的文化を総称することを可能にし、さらには中沢のいうバッドテイストな文化やオタク文化[16]を指示する語「サブカル」に変化した。

 

[S2] 再び科学的実践に目を移すと、90年代以降日本の社会学において、分析対象として扱われた「サブカルチャー」は、どちらかといえばむしろ「サブカル」的なものだった。

 上述の「サブカルチャー」小史を整理するとこのようになるだろう。より詳しく吟味すると、[S1]は「対象:科学的実践」→「観念:サブカルチャー」の方向で語られる科学的実践についての話である。リースマンが「サブカルチャー」を提唱し、ウィリスやヘブディジらがそれを体系化していったということである。

続く[L1]では「観念:サブカルチャー」→「対象:日常的実践」→「観念:サブカル」という流れに沿っている。「サブカルチャー」という語によって、従来的にはカテゴリ化することができなかった悪趣味な文化ないしオタク文化を総称することが可能となった。その点で「対象」としての日常的実践者たちは新たな経験や行為の可能性を獲得した。しかし同時に「サブカルチャー」という概念にも新たな記述を書き加え、日本的文脈における独自的概念「サブカル」として拡大していった。

そして[S2]の段階では「観念:サブカル」→「対象:科学的実践」に焦点が当てられている。すなわち、日常的実践がその意味内容を変化させた「サブカル」が、再び科学的実践に入っていったことで、科学的実践の内容もリースマンやヘブディジに倣ったものというよりか――したがって「サブカルチャー」研究というよりかは、「サブカル」研究といった趣が強いものとなっている。

 

少し解説が長くなったが、若者を取り上げる以上どの道「サブカルチャー」の議論については避けて通れないので、問題はないだろう。ともかく、ここで重要な事実は、[S1]科学的領域における「対象」によって構成された「観念」が、[L1]日常的領域の「対象」に流入したことで、そこにおける経験や行為の可能性を変化させた他方、「観念」の意味内容を書き換え、[S2]科学の領域に再度入った際に、その実践の質や態度を変化させてしまったという点に求められる。

ハッキングはこうした一種のフィードバックが交互に連鎖し、互いが互いに関する記述と分類を改訂させていく現象のことを、「ループ効果(Roping Effect)」と呼んでいる。原典を引く前に、ここでは酒井泰斗による共著本『概念分析の社会学』をひとまず参照してみよう。先に挙げた「サブカルチャー」のループ効果のプロセス[S1]-[L1]-[S2]は、以下の

酒井の定式化における[p]-[q]-[r]にそれぞれ対応しているのがわかるだろう。

[p] 人間に関する科学的・専門的な概念は、どのようにしてその意味を獲得し、日常生活との関連性をもちうるのか。

[q] 人間に関する科学的・専門的な概念が日常生活に入り込んでくるとき、そこでどのような経験の可能性が生じるのか。

[r] 新たな経験に基づく知識は、専門的な知識にどのような効果をもたらしうるのか。

                       [酒井 2009 p.71]

ループ効果は以下のところでもう少し詳しく検討していくが、この時点で既に一方通行問題が解消されていることがわかるのではないだろうか。すなわちループ効果という枠組みによって、科学的/日常的実践という「対象」が、ある「観念」を構成する他方、科学的/日常的実践も、「観念」によって何らかの支配を被っている過程が描き出せるのである。これは先のゴフマン-フーコーにはなかったパースペクティブだといえる。

 

行為の記述

またループ効果は分析哲学的なアイディアの上に立脚していることも確認しておこう。これまで特に断ることなく「記述」という表現を何度か用いてきた。ハッキングもよく参照している[17]、エリザベス・アンスコムは“Intention”[1959]という論文の中で、意図的な行為は「ある記述の下」でなされる行為である、と主張している。例えば、手動ポンプを必死に上下して、ある家に水を送る男がいたとしよう。一見、前時代的な風景に過ぎないのだが、その「ある家」は実は世界戦争をたくらむ悪人たちの巣窟であり、彼らを毒殺しようと男は必死に水を送っていたのである。

 このとき「ポンプを上下する」「家に送水する」「悪人を毒殺する」といった様々な行為の記述の区分がありえる。つまり行為が複雑かつ連続したものになればなるほど、より広い範囲の行為の状況区分があると推察できるだろう。しかしながらアンスコムに従えば、確かに作業する男に対する「君は何をしているのか?」という問いの答えは一つに絞れないが――したがって記述の可能性はいくつかあるが、行為それ自体はただ一つであることには変わりない。というのも、人の行為が意図的な行為になるためには、人がAの下で行為をなそうと意図する、ある一つの記述Aがなければならないためである。

 アンスコムの理論を踏まえたハッキングは興味深い指摘をしている。ハッキングは「記述Aの下の行為」を遂行している、と思っていたら同時に異なる「記述Bの下の行為」も遂行していた(ことに気付いた)場合に目をつける。先の例でいえば、「送水」に専念していたら、実は「悪人の毒殺」に繋がっていたことに事後的に気付いた場面、などを思い浮かべても良いだろう。このことは逆を返せば、ある「行為の記述」が利用可能になったとき、新たな意図的な行為の可能性が開けてくるということに繋がる。当初「送水」しか行為の記述を持ち得なかったが、異なる記述「悪人の毒殺」が利用可能となったとき、2つの意図的な行為の可能性が存在しうることになるからだ。ハッキングは次のように述べる。

「新しい記述が利用できるようになり、それが広まったとき、またはそれについて発言したり、考えたりしても構わないような事柄になるとき、わざわざ選んで行えるような新しい物事が生まれるのである。新しい意図を私が自由に手に入れられる理由は、新しい記述、新しい観念が、私にとって入手可能なものになっているからである。私は新しい機会の世界に住んでいるのである。」[Hacking 1995→1998 pp.291-292]

この行為と記述の関係についての見解は、前項における「サブカルチャー」のループ効果を把握するのにも有用だろう。80年代末辺りまで、社会の多くの成員たちに「サブカルチャー」という語彙は共有されていなかった。しかし、90年代に「サブカルチャー」という「観念」が新たに流通し始めると、これまで何とも形容できなかったマージナルな文化を括ることが可能となった。つまり「サブカルチャーを消費する」「サブカルチャーを趣味とする」といった記述が新たに可能となり、実際にそうした行為を意図的に遂行できる可能性が広がったのである。

 

ハッキングによる説明で終わらしてしまってもよいのだが、ここで代表的エスノメソドロジスト[18]の一人であるハーヴェイ・サックスの「社会的記述(Sociological Description)」についても併せて考察しておきたいと思う。

 サックスは具体的な対象物についてであっても、あらゆる記述の可能性があるということを示唆した上で、その完成不可能性を「エトセトラ(etcetera)問題」と呼んでいる[Sacks 1963→2003=2013]。アンスコムの例を借用するのであれば「ポンプを上下する」「家に送水する」「悪人を毒殺する」……etc、といった具合に行為の記述全てを書き並べていったらきりがない。ゆえに「エトセトラ問題」という名称は、こうした記述の羅列の最後に“etc”と断りをいれておく必要があることに由来している。またこの見解がアンスコム-ハッキングと共通しているのも理解に難くない。加えてサックスは「エトセトラ問題」には以下のような含意があると主張する。

a. 社会についての社会学と常識的トークの違いは、エトセトラ問題についての社会学者の関心という点から説明できる。

b. 異なる社会学の間の違いは、この(エトセトラ)問題への解決策の違いである。ひとつの社会学理論は、この問題についての、ある規律された「解決(resolution)」を構成する。

c. 社会学と他の科学の違いは、トピックの違いだけではない                    [同 p.8]

 このうちaで提出された論点は、ループ効果を考える際に極めて重要な意義を持つ。伝統的に社会(科)学は、ある日常的カテゴリの事柄――例えばデュルケムに倣って「自殺」を考える際に、社会的要因を持ち出して解説する。サックスの用語と照合させるならば、日常的実践者による記述の「エトセトラ」の部分をより明瞭に、あるいは一般的ないし抽象的に敷衍していくことが、伝統的な社会学者の実践であると整理できる。したがってサックス流に定式化すれば、日常的実践で産出された「観念」が科学的実践の内部に入るとき、そこでは「観念」の「エトセトラ」記述の拡張が行われていることになる。また逆に科学的実践において拡張された「エトセトラ」の記述を、日常的実践者が参照することによって、新たに付加された記述に基づく行為が可能となるといえるだろう。

ちなみにサックスはこうした社会学のあり方を批判しており、人々が記述を産出しているという事実それ自体を記述していくことこそ、社会学的記述であると主張している。ゆえにサックスからすれば「自殺」に関する記述(のエトセトラ)を社会的要因から深化させていくのではなく、そもそも人がどのようにして「自殺」というカテゴリを用いて記述を行うのかが問われなければならない。

 いずれにせよアンスコム-ハッキング、サックスの見解を通して明らかになったのは、以下の3点。

①複数の区分ができる行為であっても、一つの記述によって表れる

②行為は諸記述の利用によって、異なる経験の可能性に開かれている

③科学的実践では、行為の記述における「エトセトラ」部分が拡張ないし深化される

 

いくつかの注意点

ループ効果の紹介にあたって、わざとらしく「特定の条件の下で」と但し書きを最初にしておいた。それもここではっきりさせておこう。

第一に「対象」/「観念」の区別と、科学的実践/日常的実践の区別についてである。これは留意点というよりかは今まで述べたことの整理になる。「対象」/「観念」という存在論上の峻別が極めて重要である、という話は前節でかなり詳しく検討できたと思う。他方で科学的/日常的の区別は、先ほどループ効果の紹介に際して始めて登場した。

確認しておきたいのは「対象」――日常的実践/「観念」――科学的実践という対応関係にはない、ということである。両区別は全く異なるレイヤーで行われているため、「対象」は日常的/「観念」は科学的というように結び付けはできない。そうではなくて、強調しておきたいのは日常的実践と科学的実践は、どちらとも「対象」であるということである。両者はハッキングの表現を借りれば「世界の中に存在する事物」であり、現象学的社会学が主張するように[18]優劣関係にあるわけでもない。ただ単に行為の領域が異なるだけである。また「観念」は科学的/日常的領域どちらにおいても構成されることも、さらにどちらの領域における実践を構成することも、すでに見たとおりだ。

 その上でループ効果を考えると、キャッチボールなどが適当な例えになるのではないのだろうか。つまり科学的/日常的領域という2つの「対象」の間を、「観念」というボールが、その意味や内容を変えながら行き来しているイメージである。同様にボールを投げる/捕るという実践も、ボールの持つ意味に伴って変化しうるというわけである。

 

 次にハッキングによる人工類(human kind)/自然類(natural kind)の区別も確認しておこう[Hacking:1995→2000]。前者は人々に適用されるカテゴリや、行為や行動の種類のことであり、例えば「虐待」や「セクシャルマイノリティ」などがこれに該当する。後者は多くの場合において、自然科学の分析対象となる分類のことであり、「マリファナの成分」や「中間子」などが含まれる。したがって両者ともに「対象」に含まれることになるのであるが、「観念」の変化を受容できるか、否かという点において差異がある。

 前者の人工類は「観念」を参照したり、あるいは新たに意味を組み込んだりすることができる。ゆえに「虐待(者)」や「セクシャルマイノリティ」はループ効果を引き起こすことがありえる。また人工類はループを引き起こすことから、「相互作用類(interactive kind)」ともハッキングは呼んでいる。

対する自然類はその逆で「観念」の動きを参照することができない「対象」のこと。「マリファナの成分」や「中間子」などは(当然だが)自らその意味内容を確認する能力を持ってはいないためこちらに含まれた。なお先に自然類は「多くの場合自然科学の分析対象である」と書いたが、区別の準拠点はあくまでループが形成できるか否か、ということに求められるため、例えば「先天的な遺伝疾患」といったカテゴリは自然科学的だが、人工類に含められることになる。

 また一見すれば自然類のようにループを形成しそうにないものであっても、当事者の周辺の人々に「観念」が影響を与え、ループ効果が見られるような場合もある。これをハッキングは「接近不可能な類(inaccessible kind)」と呼び、その例として「自閉症」を挙げている。つまり自閉症の人々に「観念」が接触することはないが、例えば自閉症の子どもを持つ親には何らかの影響を与えうるし、その親の行為の記述が「観念」を変容させていくこともあるだろう、というわけである。

 

理論枠組み・まとめ

 先行研究を吟味する前に、本節の理論枠組みで検討したことを今一度整理しておこう。

Ⅰ:本稿の立場は明確に社会構成主義的である。

 

Ⅱ:構成主義者は数々の存在に対して、その眼差しを向けてきたが、往々にして「存在論的混同」に基づく誤謬に飲み込まれてきた。

 

Ⅲ:「存在論的混同」を回避するために「対象」/「観念」の区別が極めて重要である。

 

Ⅳ:「対象」/「観念」を峻別しても、フーコーやゴフマンのように双方向的な視座が欠落することがあり、本稿はこれを一方通行問題と呼んだ。

 

Ⅴ:そのため「対象」としての日常的実践/科学的実践における行為の記述の変化に目を向け、「観念」の構成・被構成の両側面をループ効果という枠組みで捉える必要がある。

 要点だけかいつまむとこの5点に集約できるだろう。

 これから分析を進めていくと明らかになるが、「若者」という「観念」は、科学的実践/日常的実践の中で様々な意味を付与され、また新たな実践や経験を可能にしてきた。意味の付与に関連するカテゴリや行動をざっと挙げるだけでも、「学生運動」「モラトリアム」(70年代)「新人類」「オタク」(80年代)、「キレる」「サブカル」「少年犯罪」「渋谷系」(90年代)、「ニート」「引きこもり」「パラサイトシングル」「ゆとり」「ゲーム脳」「草食系」「ネトウヨ」(00年代)などなど、枚挙に暇がない。こうした意味と実践の変遷に対して、ループ効果という枠組みを手がかりに迫っていくのが本稿の目的である。

 

 

第3節 先行研究

 既にお気づきかもしれないが、本稿は若者研究の中でも極めて特異な関心に基づいて執筆されている。若者のメンタリティや動向について分析したいわけでもなければ、若者論の相対化に努めたいわけでもない。繰り返しになるが、あくまで「若者の分析(科学的実践)/若者をめぐる実践・態度(社会的実践)」の間にある関係性を中心に考察したいのである。よって同様の関心に基づいた先行研究を見つけることはかなり難航した。

 ただ他方で、若者それ自体というよりかは若者をめぐる実践の変化に注目した著作は何冊かあり、ここで吟味しておくことは後々の分析を円滑に進めるために有用だろう。なお検討するのは後藤和智『「若者論」を疑え!』[2008]、小谷敏 他『若者論を読む』[1993]、浅野智彦『「若者」とは誰か――アイデンティティの30年』[2013]の3冊。

 

【後藤和智 『「若者論」を疑え!』 2008】

 非常に直接的なタイトルの本書は、表題どおり出版された当時(というより少し前だが)に蔓延していた根拠に乏しい若者論の欺瞞を指摘する内容。各章の題を眺めただけでも「少年犯罪急増のウソを見破る(1章)」、「ケータイ・ゲーム有害論に物申す!(2章)」、「格差、ニートは自己責任か?(3章)」といった具合に、著者の意図が窺えるキャッチーなものとなっている。

 本書における後藤の執筆スタイルは、多くの場合統計や自然科学的根拠を持ち出して、例えば「インターネットやケータイは人間関係を内向化させる」だの「年少者の犯罪数が増加している」だのといった言説をかなり強い口調から批判するもの。それはそれで社会的な意義はあるだろうし、事実こうした言説が妥当性に欠ける、安易な印象論に基づく内容であるというのも同意できる。

しかし本書の冒頭にある対談のコーナー(ここも興味深い)で、教育社会学者・本田由紀が指摘している通り、後藤は相対化で完結している傾向がある。例えば先にも挙げた、ニューメディアと人間関係の希薄化言説に関する記述をここでは見てみよう。

まず後藤は「続いては、携帯電話によって人間関係が「希薄化」した、という議論を検討してみましょう。論拠となっているのは、「現代の若者は、携帯電話の住所録を簡単に消す如く、人間関係を簡単にリセットしてしまう」というアナロジーです。」[後藤 2008 p.108] と問題提起。次に社会学者の浅野智彦らの調査を引き合いに出し、「「友達関係はあっさりしていて、お互いに深入りしない」という傾向は、平成4年と平成14年の間に有意な差は見られない、という結果が出ています。この調査では、人間関係の「選択化」の傾向が強い集団(「多元的自己」を持つ集団)と、そうではない集団の間では、友達のとのつきあい方の意識にはそれほど差異があるわけではありません。」[同 p.109]と論駁。つまり関係性の稀薄化という指摘が仮に正当性があったとしても、少なくとも携帯の普及との間に相関性は認められない、という批判である。

ここでは一部取り上げたが、本書において後藤は一貫してこうした論調をとっている。後藤のスタンスがどうであったかは置いておく(少なくとも彼は学者ではない)としても、やはり学術的なレベルで議論を展開していきたいのであれば、単に若者に関する言説の恣意性を看破し、相対化するのみに留まらず、なぜ・どのようにして若者叩きが起きたのか・希薄化と見なす言説が広く共有されたのか、といったところまで踏み込む必要があるだろう。また本稿との関係でいえば「観念」としての「若者」に負の表象が付加されたのはなぜなのか、あるいはどのような経路を通してなのか、といった視点が欠けているため、先行研究としては科学的/日常的実践の記録を参照する程度に留まることになるだろう。

 しかし1つだけ重要な留意事項がある。いささか議論を先取りすることになるが、本書が執筆されたのは先述の通り2008年。当時、特にニートや引きこもりといった若者世代を主な対象として、苛烈なまでに若者叩きが活発化していたのだが、大変興味深いことに同時期、「若者による若者論」が斉一に出版され話題を呼んでいた。代表的なところでは雨宮処凛(『生きさせろ――難民化する若者たち』時点で31歳)や赤木智弘(『若者を見殺しにする国』の時点で32歳)、そして他でもない本書を書いた後藤和智(本書の時点で24歳)が挙げられる。

 若者叩きが苛烈な時期に、「若者」として声を上げること。当該章で詳しく見るが、ここには先ほど「行為の記述」のくだりでも登場したサックスによる概念、「成員のカテゴリ化装置(Membership Categorization Device)」を巡る闘争があるように思える。その点で、後藤の著作をしかるべき段階で立ち戻って考える必要がある。

 

【小谷敏 他 『若者論を読む』 1993】

 本書は「若者を読む」ではなくて「若者論を読む」と題されている。すなわち若者についての論ではなく「若者論についての論」であるという点が、本書を先行研究で取り上げた理由である。小谷を含め、8人の論者たちが70年代と80年代に台頭した若者についての言説――消費社会論や青年期論、新人類論などを、若者それ自体の変化に加えて、大人世代の眼差しや、学術的な枠組みの変化から把握していく論文を掲載している。若者論の変容を所与のものとせず、構成される社会的背景にまで目を向けている点において、本書の趣旨は構成主義的姿勢に基づいているともいえるのかもしれない。序説における小谷の記述を見てみると合点がいく。

「「若者論」というが、その書き手の大半は大人である。若者たちが自分たちの自己像を描きだす。そうしたタイプの若者論は、きわめて少ない。そして、若者論の熱心な読者も、また大人たちなのだ。だから若者論とは、大人たちによって生産され、大人たちによって消費されていく、一つの言説のジャンルなのである。あるいは、太古の昔から繰り返されてきた、「いまどきの若い者は」という大人たちの言説(ぼやき?)の、やや体系化され洗練された形態が若者論であるといってもよいだろう。」[小谷 1993 p.1]

 小谷はこうした社会構成主義的な視座に立った上で「若者論を読むことによって、その時々の若者の姿以上に、大人たちの、ひいては時代の自意識が浮かび上がってくるだろう。」[同]と結ぶ。すなわち本書は(少なくとも小谷は)若者論が、時代や大人世代の動向を反映するスクリーンのようなものであると捉えている。

 こうした投影説ないしは反映説は実際のところ、若者論の文脈ではかなりの頻度で唱えられる。例えば前項で少し触れた本田由紀は、若者論の相対化で満足する後藤に対して「排除型社会」の議論を参照してみては、と推奨していた。排除型社会とはイギリスの社会学者ジョック・ヤングによって提唱された概念で、詳しい解説は本題から外れるため避けるが、90年代後半以降の若者論にある程度精通した人ならば、ヤングの名前はどこかで目にしているのではないだろうか[19]。若者をはじめとした弱者に対する社会的排除を考える際、今日でもヤングの排除型社会の議論は援用され続けているのである。ちなみに他ならぬ私の過去作『ポスト若者論考』も同様の論調だったことを告白しておこう。

 話が少し脱線した。小谷のような投影説ないし反映説は妥当性がないとはいわないが、今日においては少々ありきたりで、またある意味で若者論というディシプリンにおけるデウス・エクス・マキナ[20]になっているということをここでは強調しておきたい。

 他方で、本書には若者論を構成する側の事情が詳細に記してあり、これらの情報が当時の科学的実践者たちの営為を知るために有用であるのは間違いない。例えば編者である小谷論文は、発達心理学者のエリック・エリクソンによる「アイデンティティ概念」に言及した上で次のように指摘する。

「エリクソンの青年論への貢献は、青年現象を分析する用具を提供したという以上に、その概念の多義性によって論者たちをインスパイアーし、様々な議論を喚起した点にあるのではないか。だとすればエリクソンの諸概念は、70年代青年論にとって、最も貴重な「感受概念」(H・ブルーマー)――分析用具であるよりは、研究者に問題の所在を告げ、研究者の想像力を活性化する力をもつ概念――であったということができよう。」[小谷 1993 p.55]

 すぐ次の章でわかるが、70年代若者論において、(俗的な意味合いでの)パラダイムとなっていたのはエリクソンの発達心理学だった。安保闘争や全共闘、続くシラケ世代と呼ばれる若者たちは――真逆の性格であるにも関らず、エリクソンが提唱した発達段階のスキーマから捉えられたのである。したがって小谷による指摘は、日常/科学を往来していない点でループ効果に目を向けているとは言い難いが、少なくとも科学的実践内部における行為の記述の変化については俎上に載せているといえよう。エリクソンによる理論的存在としての「観念」が、当時の日本で若者研究を行う人々の実践の質を変化させたのは間違いないのだから。

 

【浅野智彦 『「若者」とは誰か――アイデンティティの30年』 2013】

 さて最後に登場するのは教育社会学者の浅野智彦による一冊である。浅野は先の後藤も引用しており、日本における昨今の若者研究ではよく知られた研究者の一人といえるだろう。自己論も専門である浅野は、本書で70年代~00年代辺りまでの若者のアイデンティティの変容に着目し、それが消費社会やおたく文化を通して「統合的な自己像」から「多元的自己像」に変わりつつあると主張している。

 ここまでは一般的な若者論に思えるが、浅野は冒頭で本書の試みを簡単に整理したうえで、次のように述べている。

「[…]それに先だって注意を促しておきたいことがある。それは、アイデンティティについての語りが、それ自体、アイデンティティを構成する素材になるということだ。例えばニート(NEET)という語り方が流行すれば、ニートと呼ばれる当の若者たちも自分たちをニートとして意識するようなるし、引きこもりについての語りが厚く積み上げられれば、引きこもりと呼ばれる当の若者たちも自分たちをそれによって了解するようになる。

このことはアイデンティティがそもそも意味と解釈によって成り立つものであることに由来する。アイデンティティは例えば心臓が左胸にあるのと同じように「ある」のではない。それは、人が自分と周囲の世界、周囲の他人たちとの関わりを通して得た自分自身についての意味や解釈を通して「ある」。」[浅野2013 p.13]

 アイデンティティという自己論的な枠組みではあるにしても、この箇所で述べられていることはまさしくループ効果の発想と合致する。すなわち「アイデンティティについての語り」が「観念」に、「(若者の)アイデンティティ」が「対象」に相応しており、前者が後者を構成する作用がここで示唆されているのである。しかし残念ながら、本稿と目的を共にするのはここまで。肝心の考察部分では、「対象」/「観念」が構築する円環について触れられることはないのである。

 例えば90年代後半から00年代後半において登場した、若者のコミュニケーションが希薄化しているという言説の分析。これは先の後藤も指摘していたことだが、内閣府の統計データ[21]に拠れば98年からの10年間で、通学の意義は何かという質問に対して「友達の友情を育む」と解答した児童・生徒は増加傾向にある。また同じデータでは若者が近年、地元に愛着を持つようになっていることも明らかになっており、その理由の多くが円満な友人関係によるものであると浅野は続けて指摘する。統計を反駁の論拠に用いるのは良いのだが、浅野は真理性に欠ける希薄化論が再生産され続けているのかという要因の説明に、例によって先の小谷と同様に投影説・反映説を持ち出している。

「バウマンや小谷の大きな構図による説明も、橋元や北田によるもう少し具体的な水準の説明もそれなりに説得的である。要は、若者の人間関係は希薄化していない。それどころか濃密化しているとさえいえそうなのに、それを見る大人たちの視線が変化してしまったために希薄化しているように見える、ということだ。」[同 p.153]

 これに続いて浅野は希薄化論が蔓延した要因を、大人世代の眼差しの変化のみに限定せず、若者側の関係性の変容にも求められると主張するのではあるが、単に若者論的な論調であり「観念」と「対象」の相互作用については言及していない。ゆえに、あと一歩のところで本稿に有用な先行研究となることはなかった。

 

 本章では問題の所在を明らかにした上で、理論枠組みと方法論を入念に再検討し、かつての謬計を除去した。先行研究は今見たとおり本稿と同じ目的で執筆されたものが見つからなかったため、直截に参考になるものはないことが判明した。ただ先行研究に該当する著作が見つからなかったという事実は、逆を返せば本稿の試みの新規性を保証してくれるはずだろう。
 いまや分析を行う準備は整った。次章からは実際に科学的/日常的実践と、その狭間でゆれる「観念」の歴史を丁寧に紐解いていこう。
 

 

[1] 実は1953年に『青年社会学』という論文集が出版されている。しかし本書は「若者」というより、「青年」としての若年層を扱っており、ましてや対抗的な若者像の議論などはこの段階では出てこない。

[2] 構成主義は構築主義と呼ばれることもあるが、本論では構成で統一する。

[3] 本文にも書いたように構成主義という立場は特定のディシプリンに限定できるものではなく、多種多様な領域にわたるため元祖の特定は困難を極めた。例えばバーガー&ルックマンの前に「構成主義」という言い回しをした人物として社会心理学者のジャン・ピアジェがいるが、肝心の『新・教育心理学辞典』(金子書房)などにはエマニュエル・カントの認識論を指示する語だったとの記述もある。

[4] レインの代表的な著作として“The Divided Self [1960]”(→1971 阪本健二他 訳 『引き裂かれた自己』 みすず書房)がよく知られている。また他に同運動を牽引した人物として、精神医学者のデビット・クーパーが挙げられ、本稿にも登場しているフーコーやゴフマンが加えられることもある。

[5] 直前の引用部にあるように理論は「真理を志向する/単にうまく機能する枠組み」という対立がここでの係争点である。前者の代表的な擁護者としてはルドルフ・カルナップやカール・ポパーなどがおり、後者の代表としてはトマス・クーンやポール・ファイヤーベントが広く知られている。Hacking,Ian 1983 “Representing and Intervening”(→2015 渡辺博 訳 『表現と介入』 ちくま学芸文庫) も参照。

[6] ロールズによる「正義の二原理」は「観念」というよりも「エレベーター語」の方であると思われるかもしれない。確かに<正義>や<倫理>といった語は「エレベーター語」に該当するのだが、ロールズが(社会的環境の中で)提唱した「正義の二原理」に関しては<正義>の外延であり、「観念」で間違いない。

[7] こうしたカテゴリが一貫していないことに対する違和感は、本稿でもたびたび援用しているサックスが考察している。曰く社会的なカテゴリは「一貫性規則」に基づいて配置され、また秩序だっているため。西阪仰 1997 『相互行為分析という視点――文化と心の社会的記述』 も参照。

[8] Foucault,Michel 1976 “LA VOLOTÉ DE SAVOR ― volume1 de HISTOIRE DE LA SEXUALITÉ”(→1986 渡辺守章 訳 『性の歴史Ⅰ 知への意志』 新潮社) など

[9] Connoly,William 1991 “Identity/Difference: Democratic Negotiations of Political Paradox”(→1998 杉田敦他 訳 『アイデンティティ/差異――他者性の政治』 岩波書房)

Taylor,Charles 1989 “Philosophical Papers vol.2 : Source of the Self : The Making of the Modern Identity“(→2010 田中智彦他 訳 『自我の源泉――近代的アイデンティティの形成』 名古屋大出版) など

[10] オントロジカル・ゲリマンダリングの解説に登場した「マリファナ」の議論は、元々ベッカーの著作が背景にある。詳しくはBecker,Howard 1951-53-55 “Outsiders”(→1978 村上直之 訳 『アウトサイダーズ――ラベリング理論とはなにか』 新泉社)を参考。

[11] 実はゴフマンは自身の別の著作でループ効果に(意図せず)言及している。 Goffman,Erving 1961 “Asylums: Essays on the Social Situation of Mental Patients and Other Inmates”(→1970 石黒毅 訳 『アサイラム――施設被収容者の日常世界』 誠信書房) を参照。

[12] Hacking,Ian 1999 “The Social Construction of What?”(→2006 出口康夫他 訳 『何が社会的に構成されるのか』 岩波書房) を参照

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