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Parsons,Talcott 1951 『社会体系論』

 http://www.amazon.co.jp/社会体系論

 

 戦時中に行為のシステム的な記述を試みたパーソンズであったが(→『社会的行為の構造』)、さらにそれを本書において発展させて社会システム論という一大潮流を確立するにまで至る。現在においてはパーソンズの理論はガーフィンケルやルーマンなどから槍玉にあげられてしまった印象があるが、当時としてはかなり画期的なものであり、本書も一読の価値があるだろう。

 

 

◆行為システムと全体システム

 まず本書において最初にパーソンズが取り掛かったのは「全体システム」についての考察である。全体システムとは人間の周辺(その内部も含める)を取り巻く環境全てをモデル化したものであり、これは『社会的行為の構造』の中で示された行為システム―単位行為と対応する。

 

                                 ↑行為システム―全体システム

 

 行為システム(全体システム)には四つの下位システムから成り立っている。

①有機体システム―行為システムのうち「条件」に対応し、生物学によって担われるべき領域である。

②パーソナリティシステム―行為システムのうち「意志」に対応し、心理学によって担われるべき領域である。

③社会システム―行為における「自己と対象」の関係性、つまり相互行為であり、社会学によって担われるべき領域である。

④文化システム―行為システムにおける「価値」に対応し、文化人類学によって担われるべき領域である。

 

 このように定式化したとき、上にも記したように社会学の中心的な課題は社会システム、すなわち相互行為の解明となり、それに基づきパーソンズは考察を進める。

 

 

◆相互依存性(Double Contingency)

 では社会システムとはなんだろうか。それが相互行為から成り立っているというのがパーソンズの前提だったのだが、ではそもそも相互行為とはどのようなメカニズムによって成立しうるものなのであろうか。一ついえるのは、それは因果論的な関係性から形成されてはいないということだろう。因果論的に相互行為が形成されているのであれば、ある人Aがある人Bに挨拶をした際、Bは「必ず」挨拶を返してくれることになるが、現実はそうはいかないはずだ。Aが意図的に無視されるかもしれないし、挨拶に気づかれないかもしれない、あるいはBは「挨拶されたら返す」という慣習の下に育ってこなかったという可能性も考えられるだろう。つまり、相互行為には必然性もなければ、確実性もないのである。

 そこで、パーソンズは相互行為の背景に、相手に対する「期待」を見た。相互行為が不確実で必然的でない以上、因果論的には説明できないが、人は現に相互行為を日常の中で行っている。それは相手が予期される反応を返してくれるだろうという期待をリソースとして交わされているのであり、先の例であるならば「挨拶されたら返してくれるであろう」という期待によって可能になったAによる行為だったといえるということだ。そしてこの期待のことをパーソンズは「役割」というふうにも呼んでいる。ともあれ、相互行為が相手の期待―役割に基づいて行われているということはつまり、「二重の依存性」(Double-Contingency)によるものであるということを意味している。なお、パーソンズを批判したルーマンのシステム理論においても"Double Contingency"という相互行為を説明する上での概念が登場するが、両者の"contingent"の意味合いは大きく異なるので注意しておくとよいだろう。

 ところで、こうした社会観を一見すると、人の内部(つまり期待という心理的な営み)で社会システムは構成されているように思えるが、パーソンズはそれとは真逆のことを述べている。つまり社会は人に外在する。というのは、パーソンがいう社会というのは個人と個人の間に形成される期待―役割のネットワークを指すため、主体から完全には独立はしていないが、外部的な存在であるためである。

 しかし、期待―役割が社会を形成するとするのは良いとしても、それが人それぞれ異なっているのであれば意味を成さないであろう。Aが抱く「挨拶を返してくれるだろう」という期待に対し、Bが「もう一度挨拶をしてくれるだろう」という期待を抱いているのであればそれこそ社会は無秩序な状態になってしまう。この非対称性を克服するために次にパーソンズが想定したのは役割期待の制度化と内面化だった。

 

 

◆制度化

 まず制度化について考えよう。制度化という事態は価値システム、つまり文化システムによって設定されなければならない。役割期待が文化的に(倫理的に/論理的に)価値あるものとして位置づけられることによって、社会システムにおいて共有されるようになる、ということである。パーソンズはこの二者間の関係性を「相互浸透」と表現した。

 では具体的にはどのような状況下において役割期待が制度化されているということができるだろうか。パーソンズは以下の2つの条件が満たされる必要性があるとした。

①「役割期待への随順および違背に対して恒常的にサンクションが加えられるとき。」

②「役割期待に対して、一定程度の強度のコミットメントがあるとき。」

 そして制度化された役割期待の束を制度とした。ここで期待を役割と呼んでいた理由もわかってくる。つまり、医者や看護師、教師や親という存在は制度化された期待の束であり、その制度に準拠して相互行為を行っている点において彼らの仕事上の役割が「役割」になっているということだ。

 

◆内面化

 では次に内面化の方に移ろう。あまり知られていないがパーソンズは役割期待を内面化していく過程を、社会心理学者であり、シカゴ学派によるシンボリック相互作用論の生みの親でもあるG,H,ミードの「役割アイデンティティ」のアイディアに着想を得ている。ミードによれば、自己には「自我(I)/他我(me)」という二つの側面があり、社会的な立ち振る舞いをする他者の「他我」を受容することによって「自我」の部分が形成され、また他者も自己の「他我」の部分を参照することによって「自我」を形成していくという。そのとき問題となってくるのが「重要な他者」と「一般的な他者」という区別である。

 「重要な他者」とは両親やきょうだい友人といった具体的で実体のある他者を指し、発達の初期段階においては彼らとの相互行為において自己が形成されていく。対する「一般的な他者」とは国家や地域、あるいは学校といった抽象的で観念的にしかその存在を把握できない他者のことで、こちらは主にロールプレイやルールを介した相互行為によってこれらを内面化していくという。

 いささかミードの話に脱線してしまったが、パーソンズの内面化過程も基本的にはこれと同様のものであると解釈して差し支えない。イギリス経験論的にいえば「タブラ・ラサ」な状態で生まれた人間が、最初は具体的な他者(両親、きょうだい、ともだち)を介して、次に学校や地域といった制度的な他者との相互行為を通して役割期待を内面化していくのである。この内面化の過程とは、一般的にいえば社会化となるだろう。

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