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アレクシ・ド・トクヴィル 1835→2005 『アメリカのデモクラシー(上)』

 

序文 p.9-31

「合衆国に滞在中、注意を惹かれた新奇な事物の中でも、境遇の平等ほど私の目を驚かせたものはなかった。この基本的事実が社会の動きに与える深甚な影響はたやすく分かった。それは公共精神に一定の方向を与え、法律にある傾向を付与する。為政者は新たな準則を課し、被治者に特有の習性をもたらす。」 p.9

→フランスもアメリカもいずれ境遇の完全な平等の地平にまで至るだろう。しかし、両国が同一の社会状態から、同一の政治的帰結を導出できるとは限らない。その上で、両国でデモクラシーが生み出した結果の究明を行う。

 

○上記のことを踏まえ、本書では以下の2つの議論が展開される。

①アメリカにおける法や政治に対するデモクラシーの影響

→アメリカ人がデモクラシーの運用にどのような注意を払ったのか(あるいは足らなかったのか)を考え、デモクラシーが社会を統治するに至った原因の考察。

 

②境遇の平等と民主政治が市民社会に及ぼす習慣、思想、習俗的な影響

→ただ他の人(ボモン)が先にこの話を考察したので、あまり中心的には扱わないかも。

 

第一部

第一章 北アメリカの地形 p.33-45

※早速だが、この章は地質や植生の話ばかりで本題と関係ないので割愛。

 

 

第二章 出発点について、またそれがイギリス系アメリカ人の将来に対してもつ重要性について p.46-74

「目に触れた最初の手本を考え、眠っていた思考の力を呼び覚ました最初の言葉を聴くことだ。そして子供の最初の喧嘩を観察せよ。このようにして初めて、後に彼の生涯を支配するに至る偏見、習慣、感情がどこから生じるのか理解できるだろう。」 p.47

→国家に対しても同様で、ある国のことを分析するのであれば、社会の構成要素まで遡り、最初の歴史の記録を調べる必要があるだろう。

→特に今日のアメリカにおける意見、習慣、法律はどれをとっても、国の出発点にまで遡行すると簡単に説明することができる。

 

○イギリスは党派抗争で幾度となく揺るがされてきたため、法の保護を確立する必要があった。こうした背景から彼らには他の西洋諸国に比べてはるかに強く権利の観念や、真の自由の原則が広まっていた。

→最初の移住時にすでに地方自治の中にこうした原理が含まれていた。

○これに加えて、移住者は自分たちの中に優劣関係を見出すようなことをせず、むしろ家族のような趣があった。

→母国の貴族的自由とは異なり、ブルジョワ民主主義的自由があった。

※この部分、法の保護の話が立憲主義、平等性の話が民主主義に対応している?

 

○ただしこうした全体の中にもはっきりと濃淡の違いも認められる。

【南部】

○最初のイギリス植民地であるヴァージニアでは当時のヨーロッパの悪しき習慣から、銀山の開発といった資源産出に目がくらんでいた。加えて植民地ができるとすぐに奴隷制が始まったことが、イギリス的習慣と相俟って南部の社会状態を説明するものである。

「奴隷制は、後に見るように、労働の尊厳を汚す。それは社会に無為を導入し、それとともに、無知と傲慢、貧困と奢侈を導きいれる。知性の力を低下せしめ、人間の活動力を眠らせる。」 p.53

※トクヴィルの奴隷制批判は有名で、本書に登場する「奴隷制が南北の対立を生みだす」という予見は後に南北戦争というかたちで見事に的中する。

 

【北部】

「今日合衆国の社会理論の基礎を成す二、三の重要な観念が形成されたのは、北部のイギリス植民地、ニュー・イングランドの名でより広く知られている諸州においてであった。」 p.53

※世界史でやったけど、ニュー・イングランドの移植者たちは清教徒のピルグリム・ファーザーズと呼ばれる一団で、ピューリタニズムの自由な信仰を求めてこの地にたどり着いたとされている。

→イギリス側は清教徒たちの移住を引き止めるばかりか、紛争の火種が消えて好都合であると考え、むしろ積極的に移住を促進した。イギリスの植民地は他国よりも自由自治が認められたが、こうした事情のあるニュー・イングランドは他にも増して自由の原理が適用されていた。

 

「ニュー・イングランドではすでに1650年代には、自治体(タウン)が完全かつ決定的に形成されている。住民の利害と感情、義務と権利は一つ一つのタウンを単位にまとめられ、堅く結びついた。」 p.66

「社会がその成員に対して負うべき義務について、ニュー・イングランドの立法者が当時のヨーロッパの立法者より高次の、より広範な考えをもっており、他の国ではいまだ社会の責任となっていなかった責務をこれに課しているのは明瞭である。」 p.67.

→社会保障、インフラ管理、財産相続、住民票などの雛形がすでに形成されていた。それ以上にアメリカ文化の独創性を形作るのは、教育に関する規定である。

 

「イギリス系アメリカ人の文明に正しい光を当てるために、私はもう十分に語った。この文明はまったく異なる二つの要素の産物であり、この出発点は絶えず念頭に置かなければならない。この二つの要素は他の場所ではしばしば相争ったのに対し、アメリカでは両者をいわば混ぜ合わせ、見事に結びつけることに成功したのである。すなわち、私が言うのは宗教の精神と自由の精神のことである。」 pp.69-70

→ニュー・イングランドの移植者たちは、宗教的信念で固く結ばれていながらも、あらゆる政治的偏見からは自由でいることができたのである。

 

 

第三章 イギリス系アメリカ人の社会状態 p.75-88

「社会状態は通常ある状況の所産であり、ときには法律の産物でもあるが、この二つの原因が相まってこれをつくる場合がもっとも多い。しかし、一度社会状態が定まると、それ自体が国民の行動を律する法律、習慣、観念の多くの第一の原因になると考えられる。社会状態から生じたわけではないものも、それによって修正される。一つの国民の法と習慣を知るには、だから社会状態の研究から始めねばならない。」 p.75

→北部ハドソン川以東では前章で見ていたように著しい平等が支配していた。他方、フロリダにいたる南部では弱々しく活力に欠けた貴族制が政治的機能を独占していた。しかし革命期には有力層が次第に解体され、習慣も法律も同一の目標に向けて動き出した。

 

○しかし、平等に向けての最後の一歩は他ならぬ相続法の制定によるものである。

→相続法は以下の異なる2つの方向で作用する原理がある。

①相続法が長子相続を基礎にする場合……財産=家(土地)は次世代に変わらず受け継がれていくため過去の保証が揺るがない。特定の人々に財産が集中する、寡占に向かう推進力。

 

②相続法が均等分割を基礎にする場合……兄弟で分割されて受け継がれていくため、世代ごとに家は小さくなっていく。

→後者は家の意識は世代ごとに刷新され、恒常的に安定性が低い状態をもたらす。

→後者の流動性の中にこそデモクラシーは芽吹く。貴族などの特権階級がおらず、万人が対等な社会状態。

 

 

第四章 アメリカの人民主権原理について p.89-93

「国民の意志という言葉は、あらゆる時代の陰謀家や専制君主が最大限に乱用したものの一つである。ある者は権力の手先に買収された投票にその表現を見出し、他の者は利害や恐怖に動かされた少数者の投票にこれを見出した。人民の沈黙にその完全な定式を発見し、服従の事実から命令の権利が生ずると考えたものさえある。」 p.89

→アメリカでは植民地時代に国民主権を謳う事は困難だったが、革命が勃発し新たな法律が制定されるようになると、諸個人が利己主義を訴え、上流階級はこれを抑制するどころか自らの手で促進した(ゆえに上流階級が多い州ほど民主主義が高揚した)。

○どこの国でも選挙権と納税の改定に手をつけ始めると、往々にして最終的には普通選挙に行き着く。

 

 

第五章 連邦政府について語る前に個々の州の事情を研究する必要性 p.94-156

○本章ではアメリカ政府の形態と行動手段の長短を検討する。

→合衆国は①(当時)二十四の小さな主権国家が集い、②一大連邦国家を形成しているという入れ子構造にある。現在のアメリカの重大な政治的諸原理は州に生まれ・育ったものであるため、本章では①の州に焦点を当てる。

タウン(地域共同体)<カウンティ(群)<ステイト(州)(<ネイション(連邦政府))

 

○以下では北部のニュー・イングランドを例として小さなレベルから順に検討する。

【タウン】

○タウンには理事(select man)と呼ばれる役職があり、彼は選挙で決められ、州法に課されたタウンの義務における代表者となる。

「人が社会に従うのは、自分が指導者より劣っているからでも、自治能力が他人より低いからでもない。仲間と手を結ぶことが有益に思われ、しかもこの結合はある調整権力なしには存在しえないことをしっているから、社会に従うのである。」 pp.103-104

→前章で見たように合衆国における共同体は人民主権の原理の上に立脚している。この原理をタウンに当てはめると、中央政府(共同体レベル)はタウン(個人レベル)が主権を持つことで成り立っている。

○よって原理においては、以下のような表現が適切である。

「タウンがその権限を授与されたのではなく、逆にもともともっていた独立性の一部を州に割譲したようなものである。」 p.105

→独立と権力の異なる側面を併せ持つのがタウンに他ならない。

 

【カウンティ】

○面積の問題から司法はタウンではなく、群を単位に行う。

○しかし群に予算はありながらも、議会は存在せず、したがって政治的実体がない。

→タウンと州で十分機能している。

 

【ステイト】

○アメリカの独自的なところは成文法があるにもかかわらず、行政や統治がどこにあるかわからないということである。

→権威の活動を減ずるために社会の諸力の行使を複数人に分散しているため。

「合衆国の行使権の仕組みには、組織の中心も頂点もまったく見られない。行政の存在が目に付かないのはこのためである。権力は存在するが、どこにその代表者がいるかわからないのである」 p.116

○群は先述の通り実体がないためよいとして、それぞれ独立性を有するタウンを州法に従わせることが州の難問となる。

→公務員が①法を犯した場合は先述の裁判所が、②行政上の過失であれば行政が、③職務怠慢や熱意の欠如ならば公務員の属するタウンがそれぞれ判断する。つまり州政にタウンの公務員の監視の業務は含まれない。

 

○これらはニュー・イングランドの場合に当てはまることで、他の州・タウンが該当するとは限らない。

→南部に下るほど地方自治の活発さはなくなり、タウンの権利や役職、タウンミーティングの数が減少していく。この相違はニューヨーク州あたりから顕著になる。

○いずれにしても、上記の組織方法は以下のような原理に集約できる。

「各人は自分にのみ関わる事柄についての裁量の判定者であり、個人の欲求を充足する最適者は当人であるという観念がそれである。すなわちタウンと群とはその固有の問題にはそれ自身で対処するのである。州は統治するが、管理はしない。この原則の例外には出会うが、反対の原則は見当たらない。」 p.130

 

「アメリカで私がいちばん感心するのは、分権の行政上の効果ではなく、その政治的効果である。合衆国では祖国の存在がいたるところで感じとれる。村のレベルから連邦全体に至るまで人はこれを思ってやまない。住民の郷土の利害一つ一つを自分自身の利害としてこれに執着する。国民の栄光を誇りとし、国民の収めた成功を自分自身の成果のように思って、鼻を高くする。」 p.150

→政治の舞台が分散しており、ある種の利己主義から諸個人がその舞台に立つことができるため、協調と繋がりが生まれる。

 

 

第六章 合衆国における司法権とその政治社会に対する作用について p.157-170

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