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Schmitt,Carl 1923→2015 『現代議会主義の精神史的状況』

カール・シュミット 1923→2015 『現代議会主義の精神史的状況』

 

序言 p.9-14

○議会主義が登場してから、幾つかの立場から批判がなされてきた。

①反動と王政復古の土壌の上で、議会主義に屈服させられた政治上の敵対者からの批判。

 

②実際上の問題として、政党支配の欠陥を指摘する批判。

 

③左翼急進主義による原理的な批判。

→イタリアのモスカがムッソリーニ政府に関する討議での主張に、これらの状況に対する議会主義の抜本的転換の手立てがある。

①プロレタリア独裁

 

②官僚絶対主義

 

③サンディカリズム的支配形態(労組による議会の代替)

 

○ベルテルミはサンディカリズムを論ずるに値しないものとして批判。「権威が権威者から、統制権が統制者から発せられるならばうまくいく」といった考えを馬鹿げたものとした。

→では統治のすべての権威が統治者から由来する民主主義の教義はどうなるのか?

 

○1919年あたりから議会主義の不当性を訴える言説や運動が顕著となってきた。

→比例代表と名簿式という制度によって、国民の声と政治が乖離していると考えられるようになっていった。

○さらに、民主主義敵基盤に対する批判も加わる。19世紀中庸では大衆に対する危機感としてあったが、より昔から大衆操作・公論支配に対する問題は提起されていた。

 

「以下の学問的関心は、これらの著述の正しさを確認したり反駁したりすることに向けられるのではなく、近代議会主義の究極の核心にふれようとすることにむけられる。そうすることによってもはや、近代議会主義を成立させた体系的基礎がどれほど、把握できないものになっているか、この制度がその基礎を道徳的および精神的に喪失してしまい、空虚な装置として、単に機構的な惰性により、自分の重みでまだ維持されているのに過ぎないのか、明らかになるだろう。」 p.13

→民主主義や自由主義、合理主義や個人主義といった概念は近代議会制と結びついているが、このように議会主義がすでに失効してしまっているため、それらの区別も検討していく必要がある。

 

 

 

第一章 民主主義と議会主義 p.15-32

○19世紀におけるヨーロッパの政治的思想の歴史は、単純な理念系―つまり民主主義によって語ることができる。20世紀における西洋諸国はいずれも民主主義の伝播に抵抗することはできず、また20世紀に入ってもこの在り方は変化しなかった。

→その時代からすれば、政治的思想は明証的で自明のものである。

○社会主義とも連帯したことからもわかるように、君主制の否定という限りにおいて、いかなる政治的志向とも民主主義は結託した。

 

○しかしながら、妥当すべき君主制がなくなったとき、内容の明確さを喪失し、民主主義はその価値を自問する必要性が当然ながら生じるようになる。

→先述の通り、民主主義はいかなる政治的方向性とも結託しうるため、それ自体はいかなる内容も持たず、単に一つの形式的な組織形態に過ぎない事実が露呈した。

○民主主義の価値を経済鳴るものの中に見出す方策がまずとられたが、ウェーバーがいうように国家は社会学的には大きな企業であり、もとより政治/経済の区別が茫漠としているため失敗した。

→上部構造のルールを、下部構造のルールに転用するのは無理がある。

 

「それなら民主主義には何が残るのか?民主主義の定義にとって、一連の同一性というのが残る。下された決定は決定する者自身にとってのみ妥当する、ということが民主主義の本質に属する。ということは、理論上かつ外見上のみ困難を引き起こすにすぎない。実際は、そのことは、民主主義の論理の中でたえずたちあらわれてくる同一性に基づいており、また、多数決で敗れた少数派の意思は実は多数派の意思と同一なのだという本質的な民主主義的論拠に基づいている。」p.21

→これはルソーやロックの社会契約論においてとりわけ顕著な主張である。

Ex.1) 法律は一般意思(general will)の体現であり、これに違反する者は認められない。

 

Ex.2) 投票による集計結果は一般意思の体現であり、敗れた者は一般意思に反しており、自分が間違っていたことに気付く。またルソーが言うように一般意思は自由であるため、敗者は同時に自由ではなかったことになる。

→また法が国民(一般)意思を反映している以上、それが保持され続けている限り民主主義は損なわれてはいないため、場合によっては少数による多数の支配も民主主義の名において正当化されうる。

○また選挙権が広く流布されていくことも、国民と国家の同一性を実現していく努力のメルクマールである。

→ここでの同一性とは、統治者/被統治者、支配者/被支配者、国家権威の主体/客体、国民/代議員、国家/法律、量的なるもの(多数決による集計)/質的なるもの(法律の正しさ)などが含まれている。

○ただしこれは現実化した事態ではなく―つまり真の同一ではなく、あくまで同一化の結果に過ぎない。

→多数者が誤ることもありえるし、逆に少数者が国民の意思を有している場合もありえる。また大衆操作という古典的な議論も今のところ解決されてはいない。

 

「この逆説は民主主義の歴史と同じくらい古く、ルソーやジャコバンたちをもってはじめて始まったのではない。近代民主主義の初期においても同じように、急進的民主主義者が、自分たちの民主主義的急進主義を、自分を国民意思の真の代表者として他のものから区別するための選別規準とみなし、そこからきわめて非民主主義的な排他性が生じたという奇妙な矛盾にぶつかる。」 p.24

→確実に民主主義的に選出された代表者によって、新たに貴族政が始まるという逆説は今のところ解決されたことはない。

○このように民主主義の内容的価値を獲得するや否や、それはもはや民主主義的ではなくなるという問題を内包している。

→実際少数者が民主主義側であるという事態はありえる。こうした場合、教化によって民主主義に迎合的な意思が形成されることになる。しかし、この教育理論の行き着く先は、独裁に他ならない。

「そのことは、理論上、民主主義を放棄するわけではない。それどころか、民主主義が独裁の対立物ではないことを示しているがゆえに、そのことに着目するのは重要なことである。独裁者によって支配される過渡期の間にもなお、民主主義的同一性は支配しうるし、国民の意思だけが決定的でありうる。」p.27

→実際上の問題は同一化をいかにすることにあり、その国民意思を形成する母体が誰か(軍事的権力か、宣伝か、新聞か、教育か、政党か……など)ということにかかっている。

→この問題は、政治的権力が国民意思に由来しているのにもかかわらず、その国民意思を自らの手によって形成することができてしまうため生じる。

Ex.1) ソ連は全体主義として批難されているが、共産主義こそが真の民主主義をもたらすとし、国民意思を形成した。

→一部の例外(ファシズム)を除き、民主主義は普遍的に承認されてきたと言わざるを得ない。

 

○政治体制はいつの時代も正統性を必要としてきた。

→かつて専制だったものが、いまは民主主義に移っている。

○現代では国民生活への不当な干渉は専制に基づくものであり、民主主義的な正統性はない。しかしながら、自由な意思や主権の回復という民主主義的名目を叶えるためには、干渉は承認されることになる。

○あらゆる権力が国民によって承認されたものであるという考え方は、専制における統治者が神に認められたものであるとする主張と同様である。

 

 

 

第二章 議会主義の諸原理 p.33-62

○「議会主義的政府」は議会の政府に対する関与を含意しているが、本書で問題になるのは、議会主義の究極的精神的基礎であって、議会の権力の拡大ではない。

 

○議会を正当化する際の伝統的な理由としては、「便宜性」が挙げられる。

→国家の人口的に直接民主主義は事実上不可能であり、ゆえに代議員を立てることが正当化される。

○しかし、便宜上という論拠に基づけば複数の代議員ではなく、国民に信任を得た特定一人による統治も正当化されるため、これは不十分である。

→よって議会が国民によって信任を受けた人々の会議的集合であるということは、議会主義の本質ではない。

 

 

[公開の討論]

○議会の存在理由として、スメントは「動態的・弁証法的なるもの」を挙げる。

→つまり正しい国家思想を生み出すための意見の討論、対立が不可欠であるという考え方であり、さらにその討論の公開性も求められることになる。

 

○さらに議会主義の代表的論者であるギゾーは以下の3つの条件を議会主義に求める。

①「諸権力」が討論し、そのことを通じて共通の真理を求めること。

 

②すべての国家生活の公開性が、「諸権力」を市民の統制のもとにおいていること。

 

③出版の自由が市民をして、自ら真理を求め、それを「権力」に向かって発言するように促していること。

→③の出版の自由は手段であり、独立した要件ではないが、上2つを実現するための特徴的な手段である点において正当である。

 

○さらに自由主義において、この討論に与えられるべき意味が正しく認識されるときにのみにおいて、合理主義的自由主義の主要な政治的要求の意味も明瞭となる。この要求とは以下の2つである。

①政治生活の公開性の要求

 

②権力分立論……対立する権力の均衡から正しいもの(平衡状態)が自ずと産出されるという考え方。

→後者においては民主主義がその明らかな対立物となっており、自由主義的には権力が分立することが望ましいが/民主主義的には1章で述べられたように権力の同一性が希求されることになる。

○以下では上述の公開性と権力分立という政治的要求をめぐる議論から、議会主義の精神史にかかわる思想を取り上げる。

 

 

[その一、公開性]

○多くの文献で誤解されて流布されている概念。

→政治に秘密がつきものだという考え方を特有の敵と見なすことによって、公開性はそれ単独で価値があるものと考えられるようになる。

○こうした考え方は18世紀の啓蒙主義によって伝播され、リヴィエールやカントが主張するよう公開性の保持によって、恣意的な権力の行使を防ぐことができるとされた。

→しかし個人の意見すら公開されることになれば、少数者が仮に真理により到達していても、その表明の機会が剥奪されるかもしれない。

→ここでも民主主義(公開性)/自由主義(意見の自由)が対立することになる。

 

 

[その二、権力分立(均衡)]

○均衡の概念は議会の制度に適用されて始めて、特別の意義を持つ。

→一般的に立法府(議会)と行政府(内閣)を区別するというモンテスキュー流の権力分立論が教科書的に引き合いに出され説明されてきた。

 

○しかし、議会はそれが制定するのが法であるがゆえに、行政との対外的な関係のみならず、その内部においても権力分立/均衡がとられるべきものである。

○従来的に権力分立の議論においては、「法律を制定する機関が自らそれを失効するのは危険である」という、ロックがいうような通俗的な命題が引証される。

→さらにこれに加え、憲法それ自体を権力分立と見なし、それが議会に宿っている以上、先述の通り議会に立法権があるという考え方は容認されることになる。

「それゆえにまた、独裁は、かような思考様式にとっては、民主主義の対立物ではなくて、本質的に権力分立の破棄、すなわち立法権と執行権の分離の廃棄なのである。」p.47

※ここでの議論はかなり重要で、例えば集団的自衛権行使容認の事例に対し民主主義から反駁はできないが、議会主義や立憲主義の観点からは正統性がないと見なすことはできるだろう。

 

 

[議会主義の法律概念]

○ブルートゥスの『反暴君論』から、様々な変遷を経つつも、法は「普遍的なるもの」としていつの時代も扱われてきた。

→マイヤーが提示し、ロックも明瞭に述べている図式においては、普遍的な法に対し、特殊的な命令の存在が示唆されている。

→そしてボダンによればこの特殊な命令を行うのは統治者に他ならない。

 

○均衡論者であるボーリングフルは統治を「意思による統治」と「憲法による統治」と区別した上で、憲法は「いつでもつねに」に妥当する規則であるのに対し/統治は「なんらかのばあい」に適用される規則であると区別した。

→憲法を一般意思の体現とした上で、個別意思にも価値を認める18世紀来の考え方が、ここでは顕著である。

 

 

[議会権限の立法への制限]

○執行権は「行動」し、立法権は「審議」するという考え方もアリストテレス来の伝統で、2つの機能を区分することにより、均衡を保つ考え方である。

→しかしこれらのバランスは歴史の中で様々な変遷をたどってきた。

①「フランス啓蒙主義における合理主義」……執行権の犠牲の上に、立法権を強化しようとする考え方。

→『フェデラリスト』の記述に顕著なように、立法権における合理主義を執行権にまで拡張しようとすることが、均衡理論的に正しくないという思考。

 

②「コンドルセの絶対的合理主義」……上述のものとは逆であり、法律=真理とすることによって均衡を破棄するような考え方。

→理性の独裁をもたらす。

→前者の相対的合理主義においても確かに議会(立法)における真理追究は行われる。しかしながらそこでの真理は、相対的な「真理」であり、諸党派の討議によって均衡を維持されている。

「敵対的な対立は議会主義を廃棄するものであり、議会主義の討論は、争われることのない共通の基礎を前提とする。国家権力も何らかの形而上学的確信も、直接的な断定性を持って登場してはならず、すべてが、わざと複雑にされた均衡過程の中で媒介されなければならない。」p.55

 

 

○そして均衡が保たれた上で展開される自由な討論が先述の公開性と結びつく際、ヘーゲルが主張するように国民の理性的能力はよりいっそう高次のものとなる。

→ヘーゲルはこうした類の議会主義を「ひとつの教育手段、しかも最大の教育手段の一つ」と位置づけている。

○ここにきて公開性という自由主義的発想が機械的な均衡理論から、公論という有機性を備えた均衡理論になったということができるだろう。

→しかし、国民意思が反映されるのはすでに述べたように、「法-立法権-普遍的なるもの」であり、「統治―執行権―個別的なるもの」ではない。ゆえに具体個別的な判断については、議会の旧来の観念がつきまとったままである。

 

 

[討議への信念の一般的意義]

○ここまでの議論を整理すると、「討論」と「(討論の)公開性」という議会主義的思考と自由(立憲)主義的思考が、首尾一貫として包括的な一つの体系をなすことによって均衡が保証され、正義と真理が体現されていたということだった。

 

○しかしながら今日的状況において、これらの信念はすでに失われてしまっている。

→今日の政治決定が公開の討論(公論)や、議会における討議の帰結だと見なす者は今やいなくなった。

○無論、言論や出版の自由を破棄したほうがよいと考える者は少ないだろう。しかし、これらや議会の討議が正しい立法を生み出すという信念は、やはり微々たるものに過ぎない。

「[…]しかし、それこそが議会への信念である。議会の活動の事実上の実態において公開性と討論が空虚で実質のない形式になってしまったとき、これまで[19世紀に]発展してきた制度としての議会もまた、その[従来の]精神史的な基礎と意味とを失ったのである。」p.62

 

【1-2章整理】

○貴族政や専制の本質的な対立物は民主主義ではない。

→民主主義は一般意思が実現されていれば条件は満たされるが、その意思を構成するのが政府である場合、民主制と独裁はむしろ両立しうる。

 

○そうではなくて独裁の対立物は均衡理論(権力分立)である。

→均衡は「統治―執行権―個別的なるもの」/「法―立法権―普遍的なるもの」の分断によって成立する。

○立法権は「①議会における討議」「②討議の公開性による公論」からなる。

→しかし、今やこれらの立憲主義・議会主義の重要さは忘れ去られており、議会主義の精神史的状況も変化している。

 

 

第三章 マルクス主義の思考における独裁 p.63-86

○19世紀ヨーロッパの専制から民主性に移行する時期において、立憲議会主義が正しい中庸としてあった。

→独裁の対立物としてあったのは民主制ではなくて、こうしたブルジョワ王制・立憲議会主義である。

○そして立憲議会主義の敵は両方とも非常なエネルギーからこれに対抗した。

→直接的に合理主義から生まれた独裁は啓蒙主義に始まり、ナポレオンの凋落によって失効したかと思われたが、マルクス主義と結託し(ゆえにヘーゲルを形而上学的理念としながら)存続しえた。

○独裁は社会主義が空想から科学へ移行したことによっては解消されず、それどころかむしろ啓蒙主義的独裁と並ぶ水準の高揚を見せた。

 

 

[マルクス主義の科学性は形而上学である]

○科学的社会主義は「科学」という客観的明証性によって、かつてないほどの洞察力と正当性を有した暴力的行使への免罪符を獲得した。

→ただしこの「科学」とは、自然科学やあるいはマルクス主義者当人が主張するような唯物論(いわゆる「鉄の必然性」)とは似て非なるものであり、ゆえに単に科学の政治転用とは異なる。

「それは古き啓蒙主義の合理主義であり、政治を数学的及び物理学的な厳密さによって獲得しようとする、18世紀以来好んでなされた試みの一つであって、ちがいは18世紀にはまだ支配的だった強度のモラリズムが建て前上は放棄されたということだけにある。その結果は、あらゆる合理主義におけるのと同様に、指導する合理主義者の独裁とならざるを得ないだろう。」p.68

 

○このようにマルクス主義の魅力は自然科学性に求められるのではなく、いかにして人類の歴史における弁証法的発展を体現するか、ということに認められる。

→ゆえにイノベーションによる共産体制への帰着というのも本来的な目的ではない。

○以下からはマルクス主義特有の独裁概念を明瞭にするため、まずはヘーゲルの史的弁証法の議論から考察を展開していく。

 

 

[独裁と弁証法的発展]

○一見すれば、独裁は(弁証法的)発展を阻害するため、相互排除的であるように思える。

→しかしながらヘーゲル哲学においては、そうした中断も発展の契機となると見なされ、独裁さえも弁証法的精神世界に吸収されることになる。

「本質的なことは、外部から、発展の内在性の外に例外がたちあらわれるのでは決してない、ということである。」p.72

 

○ヘーゲル哲学においては善/悪の倫理的な区別はなく、代わりに「時宜にかなう」/「時宜にかなわない」という図式しかない。

→倫理的判断がない以上、独裁者による一方的な命令さえ「時宜にかなって」いれば正当性を持ちうる。

→独裁を破棄しうることもあれば、逆に永続性を与えることもある。合理主義的独裁の可能性に開かれている。

 

 

[マルクス主義的社会主義における独裁と弁証法]

○マルクスの主張は史的唯物論によく例えられるが、多くの人は世界史が階級闘争の歴史であることをすでに知っていた。またブルジョワジーが憎むべき敵であるということも多くの人は認知しており、その点で『共産主義宣言』の新規性はない。

→マルクスやエンゲルスの主張が画期的だったのは、あらゆる階級闘争や対立を、最終的に唯一の闘争で緊張の弁証法的最高頂である、ブルジョワジーとプロレタリアの対立に凝集する点にある。

○ヘーゲルの弁証法的発展の議論で言われるよう、歴史的経過は常に高次のものに発展しなければならず、ゆえに資本主義的体制が間違っているということ、共産主義的ユートピアがその先に必然的に待っているということが、マルクスの主張からうかがい知ることができる。

 

○またラッサール曰く、史的弁証法における現在時点での先端は、自分たちが過去のものになったと感じる前に、最高の完成度に達しなければならない。

→歴史的発展の最先端にいるのであれば、過去のものはすべて克服され、暫定的には最も正しい真理であり、そのすべてが認識される必要があるため。

○ヘーゲル主義者は未来を予見できる、というのは明らかな俗説であり、実際のところは、むしろ過去を顧みることによって、現在における発展の先端が過去と対立していたことを発見するに過ぎない。

→よってプロレタリアを積極的に規定できるようになるのは、現階級が過去のものとなったときに他ならず、現段階では以下のような消極(否定)的な規定しかできない。

「将来の社会について正当に言えるのは、そこにいかなる階級対立もないということだけであり、プロレタリアについては、それは剰余価値に預かることなく、所有もなく、家族も祖国も知らない……ような社会階級だ、ということだけである。」p.81

 

 

[マルクス主義の自己保証]

○先述のようにプロレタリアという階級は未だ弁証法的発展の先端には至っていないため、否定的・消極的にしか規定することができなかった。

→しかしブルジョワジーに関しては現段階での暫定的な先端であるため、積極的な定義を試みることができる。

→むしろ先述の通り階級のすべてが究明された際、その階級は過去のものとなるのであり、マルクスが並々ならぬ意気でブルジョワジーの考察に力を入れていたのもこうした理由からだろうと推察される(究明しつくすことによって、資本主義・ブルジョワを過去のものとする)。そしてマルクス主義的にはこれは科学的考察や戦術的な分析ではなくて、歴史的必然として解されるべきだろう。

→これこそまさにマルクス―ヘーゲル主義の自己保障的循環に他ならない。

 

○しかし弁証法的発展の名の下に、ここで暴力的行使も容認されることになる。

→ヘーゲルらの主張が単に知的洞察として読まれるだけではなく、現実の闘争において明確な敵としてのブルジョワジーを構成するに至り、かつての合理主義的態度とも決別する、より強力な暴力理論が独裁をもたらすことになるだろう。

 

 

 

第四章 直接的暴力行使の非合理主義理論 p.87-107

○ヘーゲル―マルクス的な史的弁証法の議論がまだ合理主義的伝統に依拠してきたのに対し、新たな直接行動l主義―暴力行使の理論は非合理主義に基づいている。

→ボリシェビキ政権は無政府主義者を弾圧したのにもかかわらず、明らかにその変遷の中でアナルコ・サンディカリズムを経由しており、現実の歴史の中で、マルクス主義からの非合理主義的行動主義に移行する過程を観察することは大変興味深いものとなっている。

 

 

〇ベルクソンの主張を受けたブルードンとバークニンは、あらゆる統一性(それは啓蒙主義の熱狂によるものも、民主主義によるものも結局は大差がない)に刃向かい、無政府主義を掲げた。

→ソレルの基礎となった神話の理論であり、このサンディカリズムは合理主義とも鋭く対立したが、それ以上に均衡-権力分立を志向する議会主義の相対的合理主義に真向から衝突する。

 

〇ソレルによれば特定の社会集団がふさわしい歴史的役割を有しているか否かということの試金石となるのは神話であり、その熱狂の中に身を置くプロレタリアとゼネストを結び付けようと試みた。

→これにより果たすべき徳(virtue)が達成されるかが問題となる。

 

〇こうした決定主義においては、もはやブルジョワ的穏当な討論に立脚した立憲議会主義は怯懦なものでしかない。

→これに対立する以下の2つの立場が台頭することになる。

①アナルコ・サンディカリズム……先述のプルードンらの立場で、急進的な無政府主義

 

②伝統・保守的な秩序……スペインのカトリック系であるコルテスが筆頭

→いずれにせよ、この両者はマルクスのように机上の議論ではなく、現実化した直接的な対立であったために、緊張した終末論的感覚をもたらした。

〇しかしながらプロレタリアはその当人たちに権威があるのであり、それゆえに大衆的な暴力行使は確かに野蛮ではあるが、他方で冷酷な組織的実践ではないため、それすなわち独裁であるということにはならない。

→プロレタリア独裁とは1793年に国民議会からジロンド派が追放され、ロベルピエールが政権を握った事態が象徴しているように、イデオローグと知識人による支配に他ならない。

→ただしこれによってプロレタリア独裁が修正主義的・平和主義的であるということの証左にはならない。むしろそれが直接的な暴力に訴えているということは変わらず、ゆえにその本質的な対立物はいまだ立憲主義議会主義のままである。

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