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Hacikng,Ian 1998 『記憶を書きかえる―多重人格と心のメカニズム』

 http://www.amazon.co.jp/記憶を書きかえる―多重人格と心のメカニズム

 

 本書は80~90年代にかけて起きた「多重人格」の一大ムーブメントを、タイトルにある通り「記憶の書き換え」という観点からその原因を探っていく内容になっている。当時の「医師―患者―多重人格」の関係性の中にハッキングの主要概念である「ループ効果」の実態を見ることができる。

 

 序説

 

1.それは本当か?

 

2.それはどのようなものか?

 

3.運動

 

4.幼児虐待

 

5.ジェンダー

 

6.原因

 

7.測定

 

8.記憶の真実

 

9.分裂病

 

 

 

10.記憶以前

 

11.人格の二重化

 

12.最初の多重人格

 

13.トラウマ

 

14.記憶の科学

 

15.記憶政治学

 

16.心と身体

 

17.過去の不確定性

 

18.虚偽意識


 

0:序説

「私は記憶を考える上での、きわめて特異な事例を調べようと思っている。それは多重人格だ。」(10)

「私は記憶に関する新しい科学が、魂を宗教から分離するという明確な意図のもとで創造された過程を論じるつもりだ。」(11)

→「記憶の科学」の理論/その対象である多重人格者 の相互作用を考えるのが本書の目的。多重人格の理論は複雑な理論であるようで、実は人を「つくりあげる(make-up)」話。

 →「研究対象になっている人(多重人格者)」、「研究をするという行為」、「研究をする人(科学者、セラピスト)」の三点間の力学を明らかにする(12)。

 

 

 

1:それは本当か?

◆ハッキングはDSMにおける多重人格の規定の変遷を紹介した上で、これらの用件を満たした者=多重人格者の実存を問う。「それは本当か?」、と。

→哲学者としてはそもそも「それは本当か?」という問いの立て方に問題がある。

 

J.オースティン「あるものが本当であるとか、本当の何々であるという主張に明確な意味が伴うのは、それが本当では“ない”または本当では“なかった”かもしれない可能性があるような、特定の状況の中で考慮するときに限られる。」(18)

→つまり「それは本当の“N(なん)”なのか?」という問いでなければ成立しえない。二重人格の「本当の精神医学上の単位とは”なん”なのか」=生物学的なものなのか、社会的なものなのか 等

 

◆二つの疑問

①多重人格は医原性のものではなく、本当の“障害”なのか?

→実在し、医師による虚構ではない。しかし、多重人格者のより目立つ行動の多くは医原性かもしれないため疑問の余地がある。

②多重人格は社会的に構築されたものではなく、本当の“障害”なのか?

→一概に多重人格を人為的・でっちあげとはいえないため留保。

 

◆多重人格の理論

多重人格への疑問は「セラピストによる介入」と「医学的な理論」のふたつを生み出した。

→理論はさまざまな多重人格の規定(DSM2、DSM3など)を生み出したが、それぞれの視角に共通していたのは多重人格を児童期のトラウマとの因果関係で説明しようと試みているところ。

→そのため治療では過去の「真の」記憶を思い出さなければならない。

 

 

2:それはどのようなものか?

◆なぜ時代によって多重人格者の像が違うのか

「医者の見解が違っているのは、患者が違っているからだ。」(29)

←→「患者が違っているのは、医者が期待するものが違っていたからでもある。」(同上)

→「環状効果(ループ効果)」

「ある方法で分類された人々」は「分類する方法」通りに変化していく(ラベリング)。一方で、「ある方法で分類された人々」によって「分類する方法」も絶えず改訂されていく。

 →多重人格の顕著な症例を示す者の多くがセラピーを受けていた。

 

 ◆「カテゴリー化」とはどういう作業か

 一般的にカテゴリー化に際して必要十分条件を用いる。

Ex)「鳥」は「空を飛べ」て「嘴がない」といけない(必要条件)

  「空を飛べ」て「嘴があるもの」は「鳥」にカテゴリー化される(十分条件)

→ダチョウやペンギンは「空を飛べない」が「鳥」にカテゴリー化される(反証)

→①「家族的類似性」(Wittgenstein)

類似性はあっても家族全員に共通する性質はない=カテゴリー化において必要十分条件などはいらない。

②「プロトタイプ理論」

「鳥」と聞いて多くの人が思い浮かべるのは「ツグミ」や「ツバメ」であって、「ダチョウ」や「ペリカン」ではない=「鳥」というカテゴリーはプロトタイプ(「ツグミ」)を中心とした放射状のものである。

 

◆多重人格のプロトタイプ

・(ホスト人格/交代人格の入れ替わりによる)健忘や時間の喪失、頭痛や幻覚、アル中やヤク中など

・ホスト人格は自制的で控えめ、交代人格は元気で快活

→加えて現代の多重人格は3つ以上の人格からなる

・多くの場合、子どもの交代人格を持っており、その人格が児童期の虐待の証人になる。

 

◆プロトタイプとはなにか

 「それは人々が概念によって理解するもの、つまり、人々が何かを説明したいときに指し示すものの一部をなしている」(43)

 「プロトタイプ的な例を使用することは科学そのものであり、多くの場合、意味を伝えるのに不可欠になる。まさにこの理由から、プロトタイプはわれわれを現実の人間から遠ざけてしまうのだ。」(44)

→カテゴリー化によって対象は「複雑性が縮減」され、他者に伝達され、理解される。

 

◆ラベリングと自己執行カテゴリー

 「彼らは流行の耳慣れない言葉を選んで、他人が語るのと同じように自分自身のことを語る。これが言語の機能だ。」(44)

→カテゴリー化の対象となる多重人格者の自己もまた、カテゴリー化の際に用いられるプロトタイプに準拠しており、結果的には特に治療を施すはずのセラピーがベッカーのラベリング理論的に機能する。

 しかし、「時には、知られる側が状況を自らの手の中に収めることもある。」(45)

→ハッキングはここでゲイの解放を例として挙げる。ハッキングの言葉なら「自己帰属類」、サックスなら「自己執行カテゴリー」に相応する例。

 

→多重人格者に関して「現段階では」この現象は見られないが、いずれ変わる可能性もある。

 

 

3:運動

◆特定の社会的な運動が世間に受け入れ可能になるためには、その土壌となる社会的状況が必要である。

→多重人格に関しては「魅惑と嫌悪と怒りと恐怖が入り交じった幼児虐待に対するアメリカ人の脅迫観念」(50)

→これについては次章で。

 

◆「多重人格運動」の前進となった三人の先駆者

・コーネリア・ウィルバー:伝記『失われた私(シビル)』

主人公のシビルはた多重人格者であり、家庭から虐待を受けていた人物。

→これにより「多重人格―児童虐待」という回路がつながった。ただしシビルは父親や兄弟ではなく、母親からの虐待だった点が後のプロトタイプと異なる。

・アンリ・エレンベルガー:『無意識の発見』

 フロイトの影に隠れた黎明期の精神医学者ジャネに再注目した研究。フロイト以前に実は「解離」のモデルが登場しており、多重人格(に相応するもの)がすでに当時から研究対象となっていたことを紹介。

 

・ラルフ・アリソン:<内部の自己助力者>

 アリソンはセラピストを個々人の良心(内部の自己)からくる愛情の塊である<内部の自己助力者>と位置づけ、セラピーの方向性を整理した。

 

 

4:幼児虐待

◆「幼児虐待」という概念

 幼児虐待とはふつう自然で所与の概念とされるが、実は誰もが理解できるという明確な概念ではない。

→「そうした出来事(親からの暴行)がどれほどつらく恐ろしいものであったとしても、新しい意識が目覚めなければ、それが”幼児虐待として”経験されたり、思い出されたりすることはない」(68)

 

◆「子どもへの残酷な行為」(過去)/「幼児虐待」(現代)の差異

これらは悪、階級、性、医学化の4つの点で異なっている。つまり以前の「こどもへの残酷な行為」はこれらには該当しなかった。

 →特に4つめの医学化が地味ながら重要。

「この観点からすると、「幼児虐待する者」や「虐待をうける子供」といった種類の人間が存在することになり、科学的知識の対象となりえる。[…]次には数多くの種類の虐待という行為と、虐待する者と、虐待される者が存在し、さまざまな医学と精神医学と統計学の法則に従うということになる。」(73)

→多重人格は“知識の対象としての”幼児虐待の概念の上に立脚している。

 →特に「児童虐待する親は、子どもの頃に自身が児童虐待を受けていた」という命題が、明確な科学的論拠のないまま自明の「科学的知識」として流布された。

 

◆幼児虐待≒性的虐待の関係性

 成人期の精神的問題の原因として幼児・児童期の虐待が考えられるようになり、さらにここに虐待≒性的虐待という図式が加わる。

→今まで黙していた女性が一斉に告発をし、さらにこの言説が信憑性を帯びるようになってくる。

 

 しかし、統計的にも疫学的にも心理学的にもこれが「正しい」と思えてもなお疑う余地はある。

→例えばニュージーランドにおける成人女性の精神的な問題の原因は児童期の虐待ではなく、貧困にあることが統計で明らかになっている=ローカル性の問題

 本書で問いたいのは「児童期の虐待が成人期に影響を与えるか否か」という命題ではなく、「そうした過程に導かれて人々が自らの過去を新たに書き直す過程なのである。」(84)

 

 

5:ジェンダー

◆なぜ多重人格者は女性ばかりなのか?

→この問いに対する仮説として「男性の多重人格者も多数いるのだが、診断されていないだけだ」という推論が提示される。

 →コーネリア・ウィルバー「男性のMPD患者のほとんどは刑務所の中にいる」

つまり、女性は医師・セラピストという権威によって、男性は警官という権威によってそれぞれ多重人格者/犯罪者として「矯正」-ラベリングされている。

 

 

◆一般に思われる「女性ばかり」の理由とジェンダー的観点

一般に「女性ばかり」である理由として四つの解説がある

①男性多重人格者は犯罪にいたりやすい

②女性の方が臨床環境に適応しやすい

③多重人格の原因は(性的)虐待であるため、必然的に女性が多くなる

④女性の方がセラピー=暗示の影響を受けやすい

 

→(社会的性としての)ジェンダーの視覚がない。

「幼児虐待は、現状の父権制権力構造に固有のものである暴力を表現したものである」(91)

→ルース・リーズ「女性を助けようとする目的のセラピーが、実際には女性から権力を奪う旧体制を存続させる結果を招く。」―「女性は弱きもの」というカテゴリー化が作用している。

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