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Goffman,Erving 1963 →2009 『スティグマの社会学——烙印を押されたアイデンティティ』

アーヴィング・ゴフマン 1963→2009 『スティグマの社会学』

 

Ⅰ スティグマと社会的アイデンティティ p.11-75

「スティグマという言葉を用いたのは、明らかに、視覚の鋭かったギリシア人が最初であった。それは肉体上の徴を言い表す言葉であり、その徴は、つけている者の徳性上の状態にどこか異常なところ、悪いところのあることを人々に告知するために考察されたものであった。[…]今日ではこの言葉は、最初のギリシア語の字義上の意味と似た意味で広く用いられているが、不面目(disgrace)を表す肉体上の徴ではなく、不面目自体を言い表すのに使われている。」p.13

→スティグマの構造的前提条件を考察するために、以下で簡単に概念自体に定義を与える予備的考察を展開しておく。

 

予備的考察

 「社会は、人々をいくつかのカテゴリーに区分する手段と、それぞれのカテゴリーの成員に一般的で自然と感じられる属性のいっさいを画定している。さまざまな社会的場面(setting)が、そこで通常出会う人々のカテゴリーを決定している。」p.14

→一般的に「焦点の定まった/定まっていない」に関わらず、社会的場面において我々は一瞥してわかる情報から他者の<社会的アイデンティティ>を想定する。なお<アイデンティティ>という表現には<社会的身分(status)>とは異なり、「職業」といった社会構造上のカテゴリーに加えて、「正直」といった人柄も含意されている。

〇順序としては、①上述の想定にまず依拠した上で、②次に想定を集団・社会内部で基準的・標準的とされている期待――「基準的期待」の要求に変化させる。

→基準期待の要求はそれが満たされるか否かという実際的問題が生じて、初めて現前に現れる/普段は自明で意識されない前提である。したがって、この要求は「<実効をもつ(in effect)>要求」であるといえる。

〇さらに「社会的アイデンティティ」は以下の2つに整理できる。

①対他的な社会的アイデンティティ(a virtual social identity)……相手の人に我々が帰属させている性格。予想された行為から顧みて(in potential retrospect)行われる性格付与。

 

②即自的な社会的アイデンティティ(an actual social identity)……彼が想定される事実を持っていることを、要求することによって明らかにできるカテゴリーないし属性のこと。

 

「未知の人が、われわれの面前にいる間に、彼に適合的と思われるカテゴリー所属の他の人びとと異なっていることを示す属性――極端な場合はまったくの悪人であるとか、危険人物であるとか、無能であるとかいう――をもっていることが立証されることもあり得る。このような場合彼はわれわれの心のなかで健全で正常な人から汚れた卑小な人に貶められる。」p.15

→この種の属性こそがスティグマに他ならない。換言すれば、対他的/即自的の間にある特殊な乖離(真面目そうな人/実は不誠実な人)を構成している。

※ゴフマンは対他的/即自的乖離を以下の3つに整理している。

①対他的・プラスorニュートラル評価→即自的・マイナス評価の乖離 (スティグマのパターン)

②対他的・プラスorニュートラル評価→対他的・プラスorニュートラル評価の乖離 (単にカテゴリーの再分類)

③即自的・マイナス評価→対他的・プラスorニュートラル評価の乖離 (人の評価を見直したときなど)

「そこでスティグマという言葉は、人の信頼をひどく失わせるような属性を言い表すために用いられるが、本当に必要なのは明らかに、属性ではなくて関係を表現する言葉なのだ。」p.16

→ある人にとってスティグマの属性が帰せられるものであても、別のある人にとってみれば正常性を保証するものかもしれず、したがって固定的な属性ではなく、流動的な関係に依存している。

 

〇またスティグマには以下の2つの状況的区別がありえる。

[a]すでに信頼を失った者の苦境

 

[b]信頼を失う事情のある者の苦境

→同様の状況でも①、②の経験には重大な相違があるが、本書では必ずしも別々に論じるわけではない。

〇さらにスティグマの種類についても以下の3の区別もできる。

①肉体的醜悪さ……肉体上の奇形にかかわるスティグマ

 

②個人の性格……臆病、意志薄弱、異常性欲あるいは精神異常、麻薬・アルコール中毒、同性愛者、犯罪者、失業者など、個人の性質に帰せられるスティグマ。

 

③集団的特性……人種、民族、宗教など集団に帰属されるスティグマ。家系を通して伝播し、家族全員を汚染する。

→いずれも私たちの基準的期待から逸脱する特性が共通する。他方で、こうした期待に対する逸脱的性向を有していない者を、今後「常人(the normals)」と呼ぶ。

 

「人が実際に要求されている水準まで達することができず、しかも比較的この失敗に傷つかないという場合もあり得る。たとえば疎外感によって孤立し、独自のアイデンティティに関する信憑に守られて、自分は完全に申し分ない正常な人間であり、常人こそいい加減な人間なのだ、と感じている人がそれである。」p.21

→ユダヤの選民思想や、厚顔無恥の悪党など

「しかし現今のアメリカでは、集団ごとの独立した対面(honor)の体系は衰退する傾向にあるように思われる。スティグマのある者も、アイデンティティについては常人と同じ考え方をもつ傾向がある。」p.22

→彼らは(対人関係、集団、社会)より広い社会(the wider society)——包括社会から得た基準によって、自分の欠点が何かということを重々理解しており、要求が満たせないということも自覚している場合が多い。

→つまりスティグマは、よく曖昧にいわれる「受け容れ」の問題と密接に関わってくる。交渉者によって敬意と顧慮が払われないとき、スティグマのある人の即自的な社会的アイデンティティはどのように呼応するのだろうか。

〇「受け容れ」については様々なケースを想定できる。以下はその一例。

①スティグマのある人が自分の弱点の客観的基盤と見做すものを矯正する。

→例えば弱視の者が目の治療を受けたり、セクシャル・マイノリティが心理療法を受けたりする場合がこれに該当する。矯正が成功しても、完全なスティグマの変化は望めず、「スティグマを克服・矯正した者」というアイデンティティが後に残ることが多い。

 

②本来的には肉体的・随意的理由によって閉ざされている分野を特技にする。

→車椅子のバスケットボール選手や、盲目のピアニストなど

 

 「しかし、本書は<両者間の接触>という問題――すなわちスティグマのある者と常人が同一の<社会的場面>にある場合、すなわち双方が直接相手を目の当たりにしている場合(それは両社が出会って話をする場合でも、とくに当てもなく人が集まったときに両者が居合わせるといった場合でもかまわない)に特に関心を払っている。」pp.30-31

※社会的場面の区別(焦点が定まった―/定まらない―)については別著『集まりの構造』参照

→特にこのような対面的なやり取りが起きる場合、調整がよりいっそう必要なはずのスティグマのある人の側に、大きな結果を生じさせると考えられるだろう。

 

〇スティグマのある人/常人の対面的やり取りも様々なケースを想定できる。

①スティグマのある人が自分をどのようなカテゴリーに分類されるか不確実に感じる/仮に好意的なカテゴライズであっても、受け容れ側がスティグマと関連のある分類を行っているかもしれないと感じる。

「率直な人たちについても、私はつねに次にように感じている——彼らは私に好意的であって、気持ちよく付き合ってくれていても、本当のところはつねに心の底で、私を犯罪者であって、それ以外のなにものでもあないと評価しているのだと。」p.33(犯罪者)

②スティグマのある人の欠点が、一瞥してわかるような場合(つまり彼がすでに[a]信頼を失った者である場合)、彼は常人の間にいることで、自分のプライバシーが暴露されている感覚に陥る。

③スティグマと常人が接するとき、あらかじめ直面する者が予期できるのならば、前者は先を見越して防衛的な反応をとる。

「路を行くとき、私には自分が普通の市民たちとは比べものにならないように思われ、私は後ろ指をさされているような気がした。私は本能的に人と会うのを避ける。」p.38(失業者)

④スティグマのある人が委縮せずに、敵意に満ちた虚勢をはって、常人と接することもある。スティグマのある人は、よく委縮と虚勢の間を素早く揺れ動く。

 

「以上のような事情から、私が指摘したいのは、スティグマのある人——少なくとも<一見してそれと分かる>スティグマのある人——は、両者の接触の行われる社会的場面は気づまりな表面的な相互交渉の場になるという独特の感情をもつ、ということである。」p.40

→「相手に潜在的な居心地の悪さを与えているかもしれない」「居心地の悪さを抱いていると察知されているかもしれない」……といった相手の気持ちを汲み取るのが互いに連鎖しあう様を、ミードは「相互的考慮の無限後退(the infinite regress of mutual consideration)」と呼んでいる。

 

同類(the own)と事情通(the wise)

 「すでに指摘した通り、個人の即自的アイデンティティと対他的アイデンティティの間に乖離があることがある。この乖離が他人に知られたり、顕わになったりすると、その人の社会的アイデンティティは傷つく。乖離の露顕は彼を、社会からも自分自身からも、遮断するような効果をもっているので、彼は自分を受け容れない世界を前にして、信頼を失った者として立つことになる。」p.43

→しかし多くの場合、彼は人生の途上で自分のスティグマを受け容れてくれる人を発見することになる。以下に紹介する同情的なカテゴリーは2つある。

 

【①同じスティグマのある人——「同類」】

〇スティグマのある人が「同類」と出会うのは、障害者や離婚者、老人による自助団体。あるいはアルコール・麻薬依存症の寄宿制クラブ。刑務所出所者による相互扶助ネットワーク。犯罪者や同性愛者、エスニックマイノリティのコミュニティなど枚挙に暇がない。

→しかしカテゴリー(ここでは特定のスティグマのカテゴリー)分けは以下の点に留意する必要がある。

「全集団構成員が、もっとも厳密な意味で、一つの単一集団を形成していないことがある。この場合、彼らはまとまって集団として行為(collective action)」する性質/能力も、永続的で包括的な相互交渉のパターンも持っていないのである。」p.48

→カテゴリーの成員である場合、互いに同類と見なすことで扱いを変えたり、一定の関係をもったりすることができるが、それでも厳密な境界線引きができる一つの集団を形成するとは限らない。

〇また出版やそのスポンサーによって、特定のスティグマをもつカテゴリーの成員としての帰属意識を高めることも多々ある。特にアメリカでは、どれだけひどい暮らし向きで、マイノリティであっても、見解が公表される機会は与えられる見込みがある。

→これらの指導的地位は、往々にしてスティグマを持ちながらも高い職業上、政治上、財政上の位置に立つ人がいると、否応なしに押し付けられる。

 

【②事情通、わけしり】

「正常であるが、このスティグマをもつ人々の秘密の生活に内々に関与して、その生活に同情的で、さらにある程度受け容れられている。すなわち彼らの同類の特別会員的存在である人々である。」p.55

→スティグマの人々から見れば、常人とのマージナルなカテゴリー。事情通はさらに以下の2つの分類が可能である。

[a]職業上の関係から、スティグマのある人を目撃する機会が多い人

→医者、看護師、異教徒の従業員、同性愛者の集まるバーのバーテンダー、売春粉の小間使い、あるいは犯罪者を取り締まる警察も。

[b]社会構造上スティグマのある人と関係がある人

→精神病患者の妻、刑余者の娘、肢体不自由児の親など。包括社会はスティグマのある人と彼らを何らかの点(例えば憐みの対象など)で同一視する。また彼らは常人がスティグマを持っている人に適切に接するための「常人化(normalization)」のモデルにもされる。

 

 

精神的経歴(moral career)

「ある特定のスティグマをもつ人びとは、その窮状をめぐって類似の学習経験をもち、自己についての考え方の類似した変遷——個人的な調整の類似した方途を選択する原因とも結果ともなる類似の<精神的経歴>——をもつ傾向がある。」p.61

→様々な局面があるが、そのうち一つはスティグマをもつ人が常人の視覚を獲得し、自己のものとする社会化過程で、包括社会のアイデンティティとスティグマを有することに対する知識を得るもの。

〇もう一つの過程は、特定のスティグマをもつことで招来される諸結果を仔細に知るステップであり、こちらはさらに以下の4パターンがありえる。

①先天的なスティグマを持つ人を含める。自分たちに不利な社会状況へ社会化するが、その間にも自分たちでは満たせない基準を学習・吸収する。

→例えば孤児は「子どもは親を持つ」ことを学習しつつ、自分には不在であることも理解する。そしてその間に「息子に対する父親の接し方」も自然に理解する。

 

②年少者を庇護する家庭や近隣社会が、スティグマを抱えた児童への情報を管制する。

→社会階層、スティグマの種類、庇護膜の機能度合いによっても異なるが、小学校入学がスティグマを自覚する機会になっているというケースは多い。ほかの児童による嘲笑や揶揄などによって精神的経験をする。

 

③後天的にスティグマを抱えたり、あるいは信頼を失うことに気づいたりする場合。

→特に後者はこれまでの経験を再編する必要があり、アイデンティティの再認と自己の拒絶という特殊な可能性に開かれている。また医療という専門職は、こうした気づきを後押しする必要がある。

 

④同類以外で社会化し、後に周囲の人々が妥当で真実だと思う第二の生き方を選択するようになる場合。

→特に自己のスティグマをアンビバレンスに感じている場合、同類意識は消長するのは必然である。また青年期には同類意識が縮小し、更年期には逆に増大するといった<帰属感の周期(affiliation cycle)>の存在も留意する必要がある。

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