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寝ながら学べるはずがない構造主義


※本稿は内田樹先生著の伝説的悪書『寝ながら学べる構造主義』(2002)を、冷酷な突っ込みを入れながら精緻に読解することによって、正しい構造主義について学んじゃおう!という意図をもって書かれました。学問ガチ勢が口を揃えて言うように内田樹先生は、他に比類する者がいない優良な反面教師です。

 

 

↑レヴィ・ストロース先生もお怒りである😡😡😡




0:読解の前に愚痴
 まずね、そもそも構造主義が「寝ながら学べる」という発想がどうにかしてると思うんですよ。フランス系の哲学ってだけで、ただでさえレトリックが難解で読むのに骨が折れる。その上に構造主義には人文・社会科学オレ的最難解学者のジャック・ラカン御大がいらっしゃる(次点はルーマンかドゥルーズ)。メルキオールって哲学者が皮肉交じりに「ラカンの思想を理解できたのは有史以来2人しかいない。すなわちラカン本人と神だけである。」って言ってたけど、本当にそのレヴェルで何言ってるかわからないのがラカンなんすよ。著者もルイ・アルチュセールとか、ジュディス・バトラーとかを読むため、果敢にもラカンのテクストに定期的にチャレンジしてきたわけですが、本当に頭を悩まされた。そして幾度となくジジェク斎藤環の入門書に助けられた苦い思い出があります。だって「想像界から象徴界に参入する際に<父の名>の下に<去勢>され、象徴的男根である<ファルス>を獲得し、<大文字の他者>の支配下に置かれることになる」んだよ?本気で何が訴えたいんだよ!😡お前はノムリッシュ翻訳か?😡😡😡
 こんな感じに構造主義(というか主にラカン)に苦しめられてきた身としては、本書の著者、そして本書を読んで構造主義についてわかってるつもりになってる「にわか」共がクッソむかつくんよ。控えめにいっても学問の神様に『存在と時間』のドイツ語版原典で殴られて●ね!って思いますね。ほんまにケシラカン!っつってね。というわけで本稿の執筆モチベは9割が私怨で残り1割が学習意欲って感じです。以上!









 

 

↑荒木飛呂彦大先生によるジャック・ラカン(よく見るとネクタイが某モナリザ発情マンのものだ)
 

1:構造主義は「常識」化したってそれマジ?
※本書対応箇所:「第一章 先人はこうして「地ならし」した――構造主義前史」 p.16-58

 本書において最も致命的な誤解を流布させることになったのが、おそらくこの第一章だと思われる。要所に正しい記述があることも混乱を助長する要因でしょう。ともかくこれはひどい。「本書のおかげで構造主義をなんとなく理解しているよ」って人に「じゃあ説明してみろや」と問いかけると、だいたい「自由意志や主体性などは幻想であり、実は諸個人の思考や行為というものは社会的因習や慣習によって規定されているとする考え方」(大意)という回答をいただく。これは間違いではないけども、構造主義の本懐を理解しているとは到底言い難い。というのも社会学にしろ政治学にしろ経済学にしろ哲学にしろ心理学にしろ、ほとんどの近代以降における社会科学のディシプリンは主体を上述のように想定するためである。裏を返せば別に構造主義についての説明じゃないじゃん……というツッコミができてしまうのだ。ただこの社会科学一般に見られる考え方自体はあとあと構造主義との差異を考察する際に有用なので、ここで便宜上(マンハイムにでも倣って)<存在被拘束性>という思考様式と命名しておこう。それはともかくとして「じゃあ構造主義に特有な思考様式」って何よ?という疑問が生じることになるのだが、回答は本節の最後に回すとして、とりあえず内田のどのような記述がこうした構造主義/社会科学一般の混同という誤謬を生じさせるのか検討していこう。

 内田によれば現在は「ポスト構造主義」の時代にあるという。

「思想史的な区分によりますと、いま私たちが生きている時代は「ポスト構造主義の時代」と呼ばれています。「ポスト」というのは「……以後」を意味するラテン語です。つまり、いまは「構造主義以後期」ということになります。」p.16

 「「ポスト構造主義期」というのは、構造主義の思考方法があまりに深く私たちのものの考え方や感じ方の中に浸透してしまったために、あらためて構造主義の書物を読んだり、その思想を勉強したりしなくても、その発想方法そのものが私たちにとって「自明なもの」になってしまった時代(そして、いささか気ぜわしい人たちが「構造主義の終焉」を語り始めた時代)だというふうに私は考えています。」p.17

 のっけから問題発生である。ここで言われる「現在」とは①科学的実践ないしは思想史上での現在のことなのか、それとも②日常的実践ないしは一般ピーポーの生活上における現在のことなのか、釈然としない、というより峻別できていないのではないか。もし前者であるならば「ポスト構造主義期」という呼称は正しい。構造主義がオワコンとなり、デリダやドゥルーズ、ローティーみたいなポモ野郎どもがわらわら出てきて、ポストモダニズムないしはポスト構造主義という思想的潮流が隆盛しているためである(最近はポモもオワコンになりつつあるけど)。
 しかしながら、上に引用したp.17の解説を見るに、内田はポスト構造主義とは日常的実践における時代区分で(も)あると説明している(つまり②)。しかも構造主義の考え方が広く共有されることによって構造主義はオワコン化した、という指摘と共に。これはいくらなんでもいただけないだろう。ツッコミどころが多すぎて辟易しているのだけれでも、根源的な問題は以下の2つの命題にあるといえるかな。
 

[a]構造主義における思考様式が日常的実践において自明視されるようになった

[b]構造主義はオワコンになった


 順に見ていくと、まず命題[a]は偽。というのは内田による構造主義の解説が、先述の存在被拘束性の説明に完結してしまっている/構造主義の特殊性を捉えていない説明だからに他ならない。すなわち存在被拘束性の思考様式が日常的実践において自明視されるようになった、と主張するのであればあながち間違いでもないが、存在被拘束性の思考様式とは一線を画している構造主義の思考様式(存在被拘束性≠構造主義)は日常生活において自明視されるには至っていないよ、ということである。よって偽。
 次に命題[b]は先述の通り真。ただし、オワコンになったというのはあくまで思想的・学術的領域における議論であり、日常的実践の領分においてではないことには要注意。そもそも構造主義について一般ピーポーが理解しているわけでも、流行しているわけでもないのに、オワコンになるもクソもないですね。
 で、内田の解説の根源的なねじれは「構造主義における思考様式が日常的実践において自明視されるようになった」から「構造主義は(日常的実践において)オワコンになった」(a⊃b´)としているところに求められるわけですよ。まず先の通り、[誤1]日常的実践において自明視されるようになったのは存在被拘束性の思考様式であって構造主義のそれではない。そして[誤2]構造主義がオワコンになったのは科学的実践においてであり、日常的実践においてではない。最後に[誤1]を[誤2]の論拠としているため、複合命題(条件法なので要素命題2つが偽ならa⊃b´も偽)として新たな[誤3]が生じている、と整理できるかな。論理学って便利~。


 内田はここまでで何度も述べているように、構造主義に対して単に存在被拘束性的説明しか与えていない。

 「構造主義というのは、ひとことで言ってしまえば、次のような考え方のことです。私たちは常にある時代、ある地域、ある社会集団に属しており、その条件が私たちのものの見方、感じ方、考え方、を基本的なところで決定している。だから私たちは自分で思っているほど、自由に、あるいは主体的にものを見ているわけではない。むしろ私たちは、ほとんどの場合、自分の属する社会集団が受け容れたものだけを選択的に「見せられ」「感じさせれ」「考えさせられている」。そして自分の属する社会集団が無意識的に排除してしまったものは、そもそも私たちの視界に入ることがなく、それゆえ、私たちの感受性に触れることも、私たちの思索の主題になることもない。」p.25

 この記述は非常に誤解を生む。この一節によって構造主義=存在被拘束性の思考様式という俗説が産出されまくったといっても過言じゃあないね。しかしながら存在被拘束性の思考様式というのは、冒頭に書いたように特に近代以降の社会科学においてオスティナートに見出すことができるものである。例えばエマニュエル・カントらの啓蒙思想が決定論/自由意志についての考察を展開したのも、タルコット・パーソンズが経済学における目的合理性に対するアンチテーゼとして価値合理性を掲げたのも、ジョン・ロールズによる主体モデルをコミュニタリアンが「負荷なき自己」として反駁したのも、この存在被拘束性の議論の変奏に他ならない。本当に枚挙に暇がないんだな。でクソ乱暴にいうとだいたい「自由な主体なんてないよ派」が論争の場面では勝利することも留意しておこう。これは構造主義にも当てはまる話で、事実、その登場によって、ひとつ前の思想的潮流であるサルトルらの実存主義はオワコン化してしまった。
 ともかく社会科学において存在被拘束性の思考様式の議論は珍しくもなんともないよ、というお話でした。その点において、内田が本章でマルクス、フロイト、そしてニーチェの名前を挙げていることはまぁ納得できる。彼らは構造主義に対して絶大な影響を与えた、そして存在被拘束性の議論を突き詰めて検討した3人だからだ(というよりも20世紀以降に登場した哲学・思想において、この3人いずれの影響下にもないものを探す方が困難だ)。マルクスは虚偽意識としてのイデオロギーによる(ブルジョワジーの)拘束を唯物論的史観に基づく考察で、フロイトは無意識による拘束を精神分析の手法で、ニーチェは倫理という思考様式の拘束を歴史遡行のアプローチでそれぞれ明らかにしている。そもそも「存在被拘束性」という用語自体、マルクスの議論を批判継承した現象学的社会学者のカール・マンハイムからとってきているわけですしおすし。

 じゃあ最後に構造主義/存在被拘束性の差異について吟味しよう。

 「構造主義とは、何かを説明する時に、観察された様々なことの背景に構造を読み取り、観察された様々なことが構造においてどのような意味を持っているかを考える発想のことである。構造主義の源となったのはソシュール Ferdinand de Saussure の『一般言語学講義』つまり構造主義言語学であるが、その要点は以下の2つである。
 第1は、構造というものがありのままの存在の次元ではなく記号的なものの次元として想定されていることである。ここには有意味性が存在の側から根拠付けられるのではなく、記号的なものの次元で成立するという発想がある。
 第2は、構造の中の要素が1つの要素であることは相互差異によるということ、つまり、分節による一性とでもいった仕方で1つの単位となっていることである。分節(articulation)とは、切れ目を入れて分けること、そして分けられたそれぞれが別々のものとして関係付けられることである。分節という概念を理解するためには、切れ目があることと別々の要素があることとが循環的に成立することを理解しなければならない。これは、音楽における息継ぎとフレーズの成立に似ている。息継ぎがフレーズを作るのだが、フレーズとフレーズの間に息継ぎがあるとも言える」(田村 2006 p.272)

 「構造主義は直接的にはレヴィ=ストロースのものだ。しかし、その考え方の源流はソシュールに発する。ソシュールは言語がシステム(構造)であることをはっきりと意識していた。歴史法則主義的な考え方によれば、言語は徐々に発展し複雑になるはずだ。だから原初のコトバは叫び声のようなものだったに違いない。ソシュールはそういう考えに真っ向から反対した。
 イヌというコトバを考えてみよう。日本語のイヌは、英語ではdogと呼ばれるから、そこいらへんを歩いている実在の個物である「イヌ」を指し示す記号(コトバ)として、何を使うかはいわば勝手に決っていることはだれにでもわかる。ソシュールはたとえばinuといった音のまとまり(ソシュール言語学ではシニフィアンと呼ぶ。この場合は指示対象としての「イヌ」)の対応関係が恣意的であると主張した。コトバの恣意性がこれだけの話なら、別にソシュールなんて偉くない。ソシュールが偉大だったのは、シニフィエがみずから外にある実体やあらかじめ決っている観念ではなく、出来事や想念を恣意的に分節した何かであることを示したことにある。すなわち、世界にはコトバ以前に、名付けられることを待っている何らかの同一性を有した事物や観念があらかじめあるわけではなく、これらは名付けられ、コトバによって切り取られることにより、はじめて、あたかもある同一性を有した確固たるもののようにみえるのだ。コトバはあらかじめ存在する事物や観念を指し示す目録ではなく、コトバによってはじめて世界は、何らかの同一性と差異性の体系として我々の前に立ち現われてくるのである」(池田 2002 p.359)

「[…]構造は、主体が否応なくそこに組み込まれている無意識的な社会構造とされる。サルトルの実存主義は意識的な主体の活動を重視したが、そうした活動を生み、それを組み入れてしまうような構造の分析をぬきにしては、主体性の主張は心情倫理にとどまるであろう。構造主義も社会変革への志向は持つが、それは固定化された関係の網目を緩め、ずらしていくような活動として提起されるのである」(片山 1997 p.93) 

 ごめんなさい🙇🙇🙇めんどくさいから適当に構造主義の概説書からそれっぽいところ引用してきたわ。これらの説明のうち構造主義を理解する上で決定的に重要なのは①構造とは象徴ないしは記号的秩序のこと、②構造はふだん当該社会の成員によって自明視されている/主体は無意識に拘束される、という2点である。一番上に引用した田村が強調するように、構造が存在するレイヤーは「記号的なものの次元」である。これは後に各論者の主張を見ていくと明らかになることだが、ソシュールもストロースもラカンも、共通して象徴や記号すなわち言語作用の領域に着目しているのがわかる。記号に対する着眼点は、他ならぬ構造主義の特殊性であり、これを解説から抜いちゃあお終いよ。
 そして②。無意識をフロイトが発見したことは周知の事実だが、構造主義にとって記号の体系である構造はふだん意識することができないものだ。これは特に精神科医であり自称・最強のフロイディアンのラカンが強調している議論で、象徴界という概念などに顕著に表れているといえるだろう。まぁ具体例は後に見ていくとして、ともかく構造主義を理解する上で、①記号と②無意識というキーワードは常に念頭に置いておく必要があるだろう。

2:これ本当にソシュールの章?(後期)ウィトゲンシュタインの解説かと思った(笑)
※本書対応箇所:「始祖登場――ソシュールと『一般言語学講義』」 p.59-76


 ソシュールとウィトゲンシュタインは生まれた時代はおろか、専攻も、出身国も異なっており、通常この2人を比較して検討することはまずない……と思ってciniiで調べてみると両者を繋げた論文出てくるから研究って奥深いですよね。この論文にも書かれているように2人(ウィトゲンシュタインは日常言語に着目した後期に限る)は全く面識もないにも関わらず、かなり似通った言語論を展開しているのですよ。実際、yahoo知恵袋にはこんな質問とかあがってて面白い。で、結論から申し上げるとこの章での内田の解説は前章同様間違ってはいない。しかしながら例によって説明があまりに浅すぎるので、結果として誤解を招く記述になっているわけです。これじゃあ後期ウィトゲンシュタインの解説ですと言われても、まぁいけなくはない。
 ソシュールとウィトゲンシュタインの言語観における共通点は、かなり複雑性を縮減して整理すると、「世界があり、それを言語が記述する」という一般的な言語観を否定し、「言語の記述によって、世界はあらわれる」という発想をしたところに求められると言えるだろう。すなわち「なんか上にある青い空間」を「空」と呼び、「なんかめっちゃ可愛くて気まぐれな小型の生き物」を「ネコ」と呼ぶのではなくて、「空」というコトバないしは概念によって「なんか上にある青い空間」を、「ネコ」というコトバないしは概念によって「なんかめっちゃ可愛くて気まぐれな小型の生き物」をそれ自体として認識――世界と分節して記述することができるようになるという、逆転した考え方をしたよ、というわけだ。例えば以下のような内田の記述にも、こうした言語観の一端を窺うことができるだろう。

 「英語のdevilfish「悪魔の魚」は「エイ」と「タコ」の両方を含む概念です。英語には「エイ」を指すmantaという単語がありますし、「タコ」はoctopusという名前があります。ですから英語話者はこの二つを形態的にちゃんと区別しているのですが、同時にこの二種の動物を「忌まわしい生物」という意味で同一の概念のうちにまとめてもいるのです。このような包括的な名称は日本語にはありませんから、「悪魔の魚」なる生物は英語話者の意識の中だけに存在していて、日本人が日本語で思考する限り、概念化することのできない奇怪な生物だということになります。」p.64

 「言語は世界に存在する事物と一意的な対応関係にある」という考え方を、ソシュールは「言語名称目録観」(nomenclaturism)(p.61には「名称目録的言語観」として紹介されているけど、こんな訳は聞いたことないゾ!)と呼び、その否定から主張を展開している。実は後期ウィトゲンシュタインの場合も同様で、こやつの場合は他ならぬ前期の自分が提示した世界―言語の一意的対応について否定するところから、『探求』の議論を始めている。そんなわけで2人はやっぱり似ている。
 そんでもって内田の解説が問題なのは、ソシュールの説明が上述の言語観の説明で完結してしまっている、という点に求められる。これはちょうど前章で構造主義の説明が「存在被拘束性の思考様式」の説明に完結してしまったのと相似形の問題だ。要するに解説が表面的すぎるんだよこのおっさんは😡。というわけでここでソシュールの主張を内田を捕捉するかたちで深く掘り下げてもよいのですが、あまりに普通過ぎて解説としてはつまらないんで、ついでに後期ウィトゲンシュタインとの差異を検討しながらソシュール言語論について理解する、っていうちょっと高度なことをしてみたいと思います。

 

【2人の共通点】

・「世界/言語」の一意的対応関係=言語名称目録観の否定

→世界を記述するのが言語なのではなく、言語によって世界が現れるという一見すると逆説的な主張

 

・このような言語観をゲームというメタファーを用いて解説している。

→後期ウィトゲンシュタインが提示した言語ゲーム(language game)の概念は有名だが、実はソシュールも『一般言語学講義』の中でチェスに例えて解説している。


 

【ソシュール特有の主張】

・シニフィアン(signifiant-意味するもの)/シニフィエ(signifie-意味されるもの)の区別

→音声記号としてのシニフィアンと、物象や概念といった指示対象としてのシニフィエの恣意的な結びつき

 

・共時態(synchrony)/通時態(diachrony)の区別

→時間を考慮した上での言語の区別。ある一時点の言語を切り取った側面が共時態/時間に沿って変化する言語の側面が通時態。

 

・ラング(langue)/パロール(parole)の区別

→前者は慣習や社会的因習に基づく言語の規則性で、後者は具体的個別的な発話における躊躇や中断を含む話し言葉のこと

 

 

【後期ウィトゲンシュタイン特有の主張】

・定義/使用の区別
→言語は定義からではなく、それが実際に使用される場面ないし文脈から検討される必要があるとした

・言語ゲーム(sprachspiel)という基本概念

→同じ言語であっても埋め込まれている文脈によって語の意味内容は異なることを示すための概念。同じトランプでも遊ぶゲームによってカードの持つ意味は変わる(例えばポーカーと七並べにおけるジョーカーの意味は異なる)。

・言語ゲームの家族的類似性(Familienähnlichkeit)

→言語ゲームそれ自体も本質的形式=厳密な定義があるものではなく、ちょうど家族関係のようにゆるやかな類似性があるよというお話。

 細かい差異を挙げていったらきりがないのでこの辺にして、一応ソシュールの章なのでそっち中心で詳しく見ていこう。まずシニフィアン/シニフィエの恣意的な結びつきというのはソシュール言語学において中核をなす考え方なので、とても重要(むしろ内田が言及していないのが謎過ぎる)。といっても音/指示対象の間には必然的な関係性がないってそれだけの話なんだけど。例えばさっきの例でいえば、「ネコ」のことを「空」と呼んでもいいし、「うんこうんこうんこ」でも「ルリム=シャイコース」でも何でもいい。つまり「なんかめっちゃ可愛くて気まぐれな小型の生き物」(シニフィエ)が「ネコ」(シニフィアン)と呼ばれることには何ら必然性がないよ、ってこと。
 次に共時態/通時態の区別についてだが、これもそんなに難しい話ではない。要するに言語をヨコの広がり=共時態として見るか、タテの流れ=通時態として見るかということの区別。静画か/動画かって言った方がわかりやすいかもしらんね。で、ここからが重要なのだけど、ソシュールは通時態よりも共時態の研究を優先させるべきだと考えた。これには様々な理由があるのだけど、1つはソシュールが、言語の意味はその相対的な位置関係によって規定されると考えたからだ。この共時性に注目する考え方に、タテの流れである時間軸―通時態をぶち込むと加味する要素が多すぎて分析が混沌としてしまうのは想像に難くない。というかそこまで視野を広げると、もはや全体像を把握できなくなってくるし、したがって分析として現実的な着地点が見えなくなってしまう。動画を解析するより、写真1枚を解析する方がはるかにスマートでやりやすいし、方法論上的にも望ましい、ということだね。
 最後にラングとパロールの区別について。フランス系の思想を齧ったことがある人にはお馴染みのパロールという概念も、最初に注目したのはソシュールさんでした。これらは言語の2つの側面のことで、そのうち国家や民族といった特定の共同体内部で共有されている体系的な言語規則がラング、より状況指向的な話し言葉がパロール。そしてソシュールによれば言語学が分析するべきはパロールよりもラングの方であるという。実際の場面における言語使用は「言いよどみ」だったり「声の抑揚」だったりといった不確実な要素が含まれることになるため、分析に向いていないわけだ。ざっくり整理するとソシュールの主張に従えば、「シニフィアンとシニフィエは恣意的に結びつくもの」という前提に立った上で、「共時態におけるラング」の科学的分析が言語学の役割だということになる。
 後期ウィトゲンシュタインの解説すると話が脱線するので詳しくはしないけど、両者の決定的な相違点はソシュールによるラング/パロールの区別に求められると個人的には思うな。先述の通りソシュールはラングに注目したわけだが、後期ウィトゲンシュタインに関しては実際の言語使用の場面すなわち、個々の状況に埋め込まれた言語について考察を展開している。これはどっちかといえばラングよりもパロールに関心があったといえるだろう。少なくとも『探求』には「言いよどみ」や「声の抑揚」について中心的に言及している箇所はなかった(と思ってざっと読み返したら「台石!」のくだりのとこで少し触れてたわ)が、後期ウィトゲンシュタインのアイディアをより体系化し、方法論として踏襲したエスノメソドロジーにおける会話分析とかでは、これらの一見すると不確実に思える要素も、会話を構成するうえで重要な機能を有しているとして、分析の俎上に載せられている(こともある)。
 まぁだるいのでこの辺で終わるけど、ソシュール/後期ウィトゲンシュタインの共通点・相違点の考察は面白そうだし、分析哲学とかEMとかに示唆的なところも多くあるはずなので誰かやってくだされ。

3:フーコーは構造主義なのか否か問題
※本書対応箇所:「「四銃士」活躍す その1――フーコーと系譜学的思考」 p.78-122

 本章の内容を見ていく前に、そもそも構造主義者としてフーコーが取り上げられることの是非について考えたい。先に言っておくと、これは内田の見解が間違っているというよりかは、論者によって意見が分かれるところなので、なかなか慎重に検討しなきゃいけないところだ。
 例えば『現代社会学辞典』(2012)をペラペラとめくってみると、

 「20世紀後半にフランスに現れ、現代思想に大きなインパクトを与えた思想・運動。人類学の分野で構造主義を唱えたレヴィ=ストロース,Cをはじめ、バルト,R、フーコー,M、アルチュセール,L、ラカン,Jらの業績を総称する。なおこの思潮は同時にさまざまな批判をよび起こし、修正提案がなされて、それ以降をポスト構造主義とよぶこともあるが、その境目はあいまいである」(橋爪 2012 p.407)

 なんて記述がある(強調は著者によるもの)。橋爪大三郎もあまり好きな学者じゃない、というのはこの際おいておくとして、こういった教科書的な説明だとフーコーが構造主義の論者に数えられることは珍しくない。んで、こうした見方はフーコーの本の中で一番売れた(そして一番読みにくい)『言葉と物』の副題に「構造主義の考古学」とつけられたことに起因しているとされる。しかしながら、他でもない当の本人が「自分構造主義者じゃないっスよ~」と否定している事実は絶対に見落としちゃいかんでしょ。

 「私は構造主義者ではない。自分が構造主義者であるなどと一度も言ったことはありませんし、むしろ自分が構造主義者ではないということを常に強調しさえしてきた。このことは既に何度も述べたとおりです。」 (Foucault 1971→2006)

 

 ちなみにこの一節は「大いなる収監」って論文(日本語訳はちくま学芸文庫の『フーコー・コレクション4』(2006)収録)に記載されているので見てみ。というわけでフーコーは構造主義者じゃなくて、むしろポスト構造主義者側の学者になるのです!……ってwikipediaには書いてあるけど、実はこれはこれで手放しには首肯できる話ではないんだな。なぜならフーコー自身が自分はポスト構造主義者でもないって否定しているから。例えばヨハンナ・オクサラって人のフーコー解説本には次のように書かれている。

 

 「ジャック・デリダ、ジル・ドゥルーズ、ジュリア・クリステヴァら影響力をもつ思想家と並んで、フーコーは通常、ポスト構造主義者と分類されている。しかしながら、彼はこのレッテルを拒絶し、それが何を意味するかさえ理解できないと主張している。」(Oksala 2007→2011 p.12)

 

 この発言が出てくる原典(もしくはインタビューかも)が何か気になるところだけど、まぁガチのフーコー研究者が言っとるんやけ信じようや。いずれにせよフーコー本人は構造主義者とかポスト構造主義者とかっていうカテゴライズされんのが嫌だったっぽいね。というよりそもそも構造主義とかポスト構造主義とかっていう思想的潮流に対してあんまり関心がなかったのかもしれんね。
 こういう学史上の分類ってけっこう厄介な問題で、例えば有名なところではフェミニズムにおけるクィア理論とか、政治哲学におけるフランクフルト学派なんてカテゴライズは実はもともと他称だし、そういう例を考え始めると躍起になって分類することの正当性自体がない気もしてくる。他方で思想的な繋がりないし対立関係を明らかにするために「○○主義」とか「○○学派」といった括りが非常に役立つ場面も多々ある。例えば社会学で、ブルーマーの後にベッカーゴフマンをシカゴ学派として位置づけることで、両者の理論枠組みの連関性が見えてきたりね。

 だいぶ話が脱線したので元に戻すと、重要な点は①学史上の分類にめっちゃ固執する必要はない/他方で②様々な主張の共通点・対立点を考える際に学史上の分類は有用、というまぁプラグマティックなところに行きつくんじゃなかろうか。そんでもってここから重要なお話なのだけど「フーコー構造主義者か否か問題」は、けっきょくフーコーが(当の本人の意見は置いとくとして)構造主義的な思考枠組みに強く影響されたか否かという問題に帰着するはずだと思うんですよ。で、結論から言うと答えはNO。というのは1章のところで確認した構造主義の特徴――つまり 明 確 に は ①記号的秩序としての構造を強調しているわけでも、②無意識下にある構造を想定しているわけでもないから。ついでに補足しておくとあんまりポスト構造主義っぽくもない。まぁこの辺は具体的にフーコーの主張を見ていくのが話が早いわな。というわけでいよいよ内田の解説の検討に入ろう。

 本章における内田の解説の決定的な問題点は、フーコーの多岐に渡る主張を十把一絡げにニーチェによるアプローチ、すなわち「系譜学的」という形容で終わらしてしまっているところだろう。

 「[…]その答を知るためには、出来事が「生成した」歴史上のその時点――出来事の零度――にまで遡って考察しなければなりません。考察しつつある当の主体であるフーコー自身の「いま・ここ・私」を「カッコに入れて」、歴史的事象そのものにまっすぐ向き合うという知的禁欲を自らに課さねばなりません。そのような学術的アプローチをフーコーはニーチェの「系譜学」的思考から継承したのです。」p.86

 

 確かにフーコーがこういう歴史遡行のアプローチを得意としていたのは間違いないし、それがニーチェ由来の方法論であるところも間違ってはいない。しかしながらフーコーほどのレベルの学者になると、前章のウィトゲンシュタインとかが好例だけど前期/(中期/)後期といった思想史的な区分がされるもので、それらのプロジェクトをまとめて系譜学的だとしてしまうのはいくらなんでも乱暴すぎるわ。完全な余談だけど、ソシュールには前期/後期の区分がない、というより区分ができない学者だったってことも豆知識的に知っておくと良いかもしれん。ソシュールは『一般言語学講義』という一冊の本しか出してないし、その本も実は学生の講義録をもとに作ってある(どうも本人は講義が終わるたびに授業メモを破り捨てる変人だったらしい)ため、主張的な変遷を追うことが現実的にはできない学者なんだな。まぁそれは置いておくとして、フーコーに話を戻すと、最低限アルケオロジー(archéologie)≒言説分析(analyse du discours)/<権力>論くらいの思想的区分はしておいたほうがよいと思われる。
 前者はフーコーが比較的初期の著作で展開したプロジェクトで、内田本でいうと『狂気の歴史』(1961)がこれに該当するね。アルケオロジーや言説分析は名前の仰々しさとは裏腹に直観的に非常にわかりやすい方法論で、今でもイアン・ハッキングとかって分析哲学者がチューンアップして使ったりしていたりすることで知られている(実は著者も卒論で理論枠組みとして援用した黒歴史があるよ!)。端的にいえばアルケオロジーは、現在において自明視される言説の歴史的変遷を遡行的に分析することで、実はその言説がその時々の社会の成員によって全く異なる扱われ方・受容のされ方をしている事実を明らかにする。いわばある観念の脱自然化をする方法論のことで、いわゆる社会構成主義的な考え方だよね。「狂気」という概念も今では治療の対象として見られているけど、これは決して自明で所与の事実ではなくて、15~16世紀には健常者の生活領域から隔離される「分割」の対象であったこともあれば、17世紀半ばのように監獄に閉じ込められる「排除」の対象になったこともあった。狂気が治療の対象になったのは精神医学なるものが登場した近代以降に特殊な事情だというわけだ。『狂気の歴史』自体は長ったらしい上にレトリックも難解な本だけど、そこでの議論はこんな感じに比較的理解しやすいんじゃなかろうか。ちなみに学史的にいえば、アルケオロジーのアプローチは、フーコーの師であったフィリップ・アリエスとかロバート・カンギレムとかに多くを負っているとされる。特にアリエスの『<子ども>の誕生』(1960)とはかなり似通っているよ。
 問題は後者、<権力>論の方ですよ。一般に後期の著作、内田本にも登場している『監獄の誕生』(1975)や『知への意思  性の歴史Ⅰ』(1976)くらいから系譜学的なアプローチと併せて展開されるようになったとされる政治哲学的な論考(?)思想的プロジェクト(?)なのだけど、マジでわけわかめで、正直なところいまだに自分も胸張って理解できていると断言できない😭😭😭。まずフーコーのいう<権力>なるものが日常的な権力のイメージからかけ離れているため、直観的に把握しにくい。ふつう権力といったら上から下に向かう圧力や抑圧の力といったふうに想像されるけども、フーコーによれば今日的な<権力>はそんな階層的秩序――ヒエラルキーに基づくものではなくて、諸関係に潜みながら諸個人を抑圧する網の目状のネットワークを構成しているという。1つ例を挙げてみよう。フーコーによれば、西洋の歴史において、権力は常に死をコントロールしてきた。例えば中世における死刑制度は、階層的権力が「死」を諸個人に命じていると表現できるだろう。しかし19世紀以降で転換が起こり、権力はむしろ「生」に注目するように変化するようになったという。具体的には「身体の規律化」と「人口統制」が制度的実践として発現するらしい。両者は相互補完的な関係にあり、例えば性教育の文脈においては、人工統制の観点から諸個人に身体の規律化(不用意な性交の禁止など)を啓発するのに対し、倒錯の医学においては身体の規律化を根拠として、人口統制について論じられることになる。このように様々な関係の陰に潜みながら諸個人をコントロールする近代特有の「生」に関する<権力>こそ、フーコーが『知への意志 性の歴史Ⅰ』で提示したよく知られた概念「生-権力(bio-pouvoir)」に他ならない。ね、よくわかんないでしょ?こうした難解さは、後期フーコーが政治色が強い主張をしていることに起因すると思うな。なによりフーコー本人がセクシャルマイノリティだったわけだし、昔からけっこうアクティビストな側面もあったらしいからね(すごく知り合いっぽい言い方)。
 ここまで見てきて冒頭のフーコー構造主義か否か問題を再訪すると、やっぱりあんまし構造主義っぽくないってことはご理解いただけたのではないだろうか。特に後期の<権力>論などはもはや構造主義の枠組みに収めることのできないポリティカルな批判性の契機に開かれているよう思えるよ。実際、規範理論の文脈とかでもよく参照されているわけだしね。

​↑「な~んだ、そんなことだったのか(苦笑)」

​↑フェルディナンド・ソシュールさん ニーチェのプロフ画にそっくりである

↑ミシェル・フーコー御大 『監獄の誕生』についてはまた今度……。

※ラカンはいけるけど4-5章のストロース&バルトは原典どころか概説書すら読んでないのでスローペースで勉強してます。

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