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Russell,Bertrand 1910→1988 『プリンキピア・マテマティカ』

アルフレッド・N・ホワイトヘッド&バートランド・ラッセル 

1910→1988 『プリンキピア・マテマティカ序論』

※タイトルは魔法の呪文ではなくて“Principle Mathematics”のことだよ

 

まえがき p.17-24

○本書で展開される数理論理学(mathematical logic)は以下の3つの主題から構成される。

(ⅰ)数理論理学において最大限の分析を行い、<無定義な諸概念(undefined ideas)>つまり<原始概念>と<証明されていない諸命題(undemonstrated propositions)>つまり<原始命題>の数を最小限に減らす(※原始命題って公理のこと?)。

→数学の推論過程における全ての概念と段階を完全に枚挙する(※論理主義というやつ)

 

(ⅱ)諸記号(symbols)によって数学的命題の正確な表記法を試みる。

 

(ⅲ)記号論理学と集合論の学者を悩ませてきた一群のパラドックスの解決。

→タイプ理論(theory of types)はパラドックスを解決するばかりか、この誤謬の所在まで明らかにしてくれるだろう。

→特にこのうち困難を極めるのは(1)と(3)の主題であろうと現段階では予測される。

 

○本書では日常言語を用いるのではなく、上述の3つの目的を、整合性を損なわず果たすために特殊な記号体系を用いる。このことは以下の5点から正当化される。

(1)日常言語よりも本書で用いられる諸概念のほうがより抽象的である。

→日常言語が具体的である以上、そこに特殊なインプリケーションを事あるごとに付与していく必要が生じてしまう。

 

(2)本書に登場する諸々の概念は確かに抽象的である。しかしこれは複雑であることは意味しない。

→本書の概念はむしろ単純であり、一意性(unique)を表現するのに適している。

 

(3)提示された領野の抽象性が高い場合、演繹過程における概念の規則的関係性を確認することによって、直観的な把握が可能となる。

 

(4)記号表記は簡潔であるため、命題の文節が把握しやすい。

→これは瑣末であるように思えるが、(3)を可能にするためには重要な点である。

 

(5)本書の主題・目的における「(a)<原始概念>と<原始命題>の排除」を実現するためには単に簡潔さのみならず、命題における最大の形式性を強調することが求められる。

→次章ではまずこの特殊記号(概念)についての外郭が述べられる。

 

 

 

第一章 種々の概念と表記法についての予備的説明 p.25-125

※まぁ全部大事だけど、本論の中心的主張(特に主題の1と2)に関るところはピンクのマーカーしてある。

【変項(variable)】

○数学における変数が一義的に数のみ代替しないのとは異なり、論理学の「変項」は、未規定の意味(meaning)の代替として機能する。ただ変数と同様に、同一の命題における変項は同一性を保つ。

→値(value)となりうるものも、存在者(entity)、命題(propositions)、関数(function)、関係(relation)など様々である。

 

○しかし言明によっては、その値が規定される場合もありえる。

[ex] 言明「氏」によって変項「A氏」「B氏」は存在者しか値になり得ない

→この例のように変項の値が一定のものであると規定される場合、「被制限的(restricted)」と呼び、逆に自由に開放されている場合は「無制限的(unrestricted)」と呼ぶ。

→本書では後者の自由度が高い無制限的変項を用いるが、「無制限」と言ってもそれが現れ場所によっては無意味になるということは念頭に置いておく必要がある(例えば関数の変項がクラスの変項に現れることはない)。

 

 

【種々の文字の用法】

○変項と定項(constant)は原則的に単一のアルファベットないしはギリシャ文字で表記される。

→ただし一度定項として確定した文字は、変項の表記に用いられてはならない(※命題40以降では該当しないよ)

定項を表す文字……B、C、D、E、F、I、Jとギリシャ文字ε、ι、η、θ、ω

→加えてギリシャ大文字も時折ここに入ることになる

 

変項を表す文字……p、q、rは命題文字であり命題変項を意味する

f、g、φ、ψ、χ、θ、Fは関数文字であり関数変項を意味する

             これ以外のギリシャ小文字はクラス変項を、

      これ以外のアルファベット大文字は関係変項を、

     p、q、r、s、t、u以外のアルファベット小文字は不明な変項を意味する

→要点としてはクラス変項にはギリシャ文字、関係性の変項にはアルファベット大文字、用途が不明な変項にはアルファベット小文字が入るということである。

 

 

【いくつかの基本的な<命題の関数>】

○ここで<命題の関数>と呼ばれているものは、諸々の命題の結合した命題のこと。

※<命題の関数>とは後世で言う「要素命題」の結合した「複合命題」のこと

→<命題の関数>には重要な4つの事例があり、それをここで検討する(※これは否定、連言、選言、条件法のこと。うざいから『概念記法』よろしく表記は現代版に直す)

→これらの関数は相互依存的であり、うち2つを原始概念としてしまっても、うち2つからその正当性を導出できる。

(a)「矛盾関数(Contradictory Function)」

命題を否定する関数。命題「p」の否定ならば「¬p」。

 

(b)「論理和」ないし「選言関数(Disjunctive Function)」

要素命題のうちpかqのどちらが真であるということを意味する関数。「p∨q」。

 

(c)「論理積」ないし「連言関数(Conjunction Function)」

要素命題のうちpもqも両方とも真であるということを意味する関数。「p∧q」

→ちなみにこれは単に¬(¬p∨¬q)に過ぎない

※ラッセルは連言記号∧ではなくドット▪をなぜか使う。しかし後に括弧にも同様にドットを使う(詳しくは後述)。

 

(d)「含意関数(Implicative Function)」

ある命題におけるpにqが含意されていることを意味する関数である。「p⊃q」。

→フレーゲの言う通り、「pが真/qが偽」の時のみ、複合命題「p⊃q」は偽である。換言すれば「¬p∨q」。

→またこれもフレーゲが主張するように日常的語法における「実質的含意」のみならず「形式的含意(material imprecation)」もこれに含まれる(※因果的連関性が不必要であるというアレ)。

→これら4つが<命題の関数>を構成する基礎となる

 

 

【同値性】

○先の<命題の関数>から導出される少しだけ複雑な複合命題の一つに「同値性」がある。

→要素命題pとqが互いに互いを含意する時、「p≡q」と表記できる。

→これは「(p⊃q)∧(q⊃p)」から導き出すことができる。

○重要な点として、同値性は日常的語法における実質的含意のみならず、形式的含意においても成立することが挙げられる(前節参照)。

[ex] 「ニュートンは人間である」⊃「太陽は高熱である」∧「太陽は高熱である」⊃「ニュートンは人間である」が成立する時、両要素命題は同値である。

 

 

【真理値】

○ここまでで登場した<命題の関数>(複合命題)であるp∨q、p∧q、p⊃q、¬p、p≡qの真理値はそれぞれ、要素命題であるpとqの真理値によって規定されている(※ラッセルは真理値計算やってるけどめんどいし知ってるから割愛)。

→このように要素命題の真理値によって、<命題の関数>(複合命題)の真理値が一義的に規定されてしまうような関数を「真理関数(truth-function)」と呼ぶ。

 

 

【主張記号】

○「├」は「主張符合」と呼ばれ、単なる考察対象として現れている命題から区別される完全な命題を意味する。ゆえにこの符号がついている場合、その命題は真をとる必要がある。

[ex] ├(p⊃q)は真であるが、(p⊃q)ならばその真理値は未規定である。

 

 

【推論】

○推論とはある命題から異なる命題が導出されていく過程である。

[ex] 命題「p」が真であるならば、「pはqを含意する」も真であり、これによって命題「q」も真である。つまり「├p」から「├(p⊃q)」が導出され、最後に「├q」が導かれる。

→この場合ならば「├p⊃├q」と表記することで、「├p」と「├(p⊃q)」と「├q」の全て意味できる。

 

 

【ドットの使用】

○すでに見たとおり、ドットは論理積(連言)を表記する際に用いられていた。しかし、本書では命題を区切る括弧としての機能もドットが担っている。

→直前または直後に「∨」、「⊃」、「≡」、「├」が来る際、あるいは「(x)」、「(x,y)」(名辞)や「(∃x)」、「∃(x,y)」(量子記号)などが来る際には、括弧としての機能をドットが果たす。そしてより少数のドットが括弧の内側を示すことになる。具体的な作用域については以下の3区分を参照。

グループⅠ:含意⊃、同値≡、選言∨、同等=Df を表す記号の隣にあるドット

 

グループⅡ:命題内部の変項(x)、(x,y)や量記号(∃x)、(∃x,y)、あるいは関数(ιx)(φx)の後に現れるドット

 

グループⅢ:単に論理積(連言)を表すドット

 

・これらを強さ順に並べるとⅠ>Ⅱ>Ⅲとなり、ドットが多いほど力も強い(※ただしグループとドット数が一意的対応にあるわけではない)。

・作用域は①主張された命題の終わりまでか、②より多数のドットか同等、つまりより強力なグループか同数のドットに至るまでを含む。

・また論理積(連言)のドットは両方向に、括弧としてのドットは①隣にある選言、含意、同値性記号から遠ざかるように、または②グループⅡ以外の記号の右方向にのみ作用する。

 

※ドットとかフォントがないので以下1ドットは▪、2ドットは■、3ドットは▌、4ドットは█で表記する。

 

[ex1]主張「『pまたはq』は『qまたはp』を含意する」

├■p∨q▪⊃▪ q∨p

→この場合は主張記号├の作用域が最も大きいので、命題の終わりまでを■が含む。

 

[ex2]「『pまたはq』がqを含意するか、またはpが真である」

p∨q▪⊃▪q■∨■p

→下位の作用域[p∨q⊃q]と上位の作用域pの選言となっている。

 

[ex3] 「『pまたはq』ならば『p』または『qがrである』ならば、pもしくはr」である

p∨q▪⊃▌p▪∨▪q⊃r■⊃p∨r

→さらに主張記号をつけると、作用域は以下のようになる。

├█ p∨q▪⊃▌p▪∨▪q⊃r■⊃p∨r

→ポイントとしては命題を作用域から見るのがよい。

→グループⅠの記号をいくつか含む命題においては、ドットの数が一番多い記号が命題全体を広い作用域を有している。

 

 

【定義】

○定義とは既に明らかになっている記号が、異なる記号によって置換されることを意味する。符号「=」と、定義を意味するインデックスの「Df」を用いる。またこの二つの記号は別個に用いられることはない。

→ここまでで明らかになっている定義の一つとして、含意関数(条件法)の論理和(選言)への置換が挙げられる。

[ex.]  p⊃q▪=▪¬p∨q Df

→この左辺が「被定義項 (definiendum)」であるのに対し、右が「定義項(definiens)」と呼ばれる。

→被定義項と定義項のなかに現れる変項について重要な注意点があるが、それは後に「見かけ上の変項」という概念が導入されてから再び立ち戻って検討する。

○定義は理論的には必須なものではないが、便宜上の理由と判断の強調、そしてカントールが主張するように日常言語をより明晰にしてくれる点において有用である。

 

 

【これまでの叙述の要約】

○ここまでで見てきたうち、3つの原始概念がすでに登場している。

→すなわち否定「¬」と選言「∨」(<命題の関数>の節参照)、そして主張記号「├」(「主張記号」の説参照)の3つである。これらはそれ以上遡行する必要のない概念であり、定義によって別の記述に還元することも意味をなさない。

 

○さらにその上で同じく3つの定義も既出である。

連言    p∧q▪=▪¬(¬p∨¬q) Df

条件法   p⊃q▪=▪¬p∨q Df

同値性   p≡q▪=▪p⊃q∧q⊃p Df

 

 

【原始命題】

○同様にそれ以上遡行する必要性がない命題を原始命題と呼ぶのであった。

→原始命題は遡行不必要性において強力な命題であり、多くの複雑な命題をこれに還元すればするほど単純に論理的耐久度は上がる(まえがきの目的1番目)。

○他方で原始命題を自明視しすぎてもならない。真理値不明の命題もまた自明視されることが往々にしてあるからだ。むしろ論理体系に厳密に求められる条件は以下の2つである。

十全性(adequacy)……演繹した命題のうちに、真であり演繹する前提となる命題からのみ導出できる全ての命題を含んでいる必要がある。

 

整合性(coherence)……推論過程において矛盾が表出するようなことはあってはならない。具体的には排中律により「p」または「¬p」が同一命題に真として現れることはあってはならない。

 

○そして次に示す6つの命題が、命題の計算に用いられる原始命題に他ならない。なおインデックス「Pp」は原始命題(Primal Proposition)を表す

(1) 「真なる仮定が含意するものは全て真である」 Pp

→これがないと推論が正当化できない

 

(2)├■p∨p▪⊃▪p Pp

→「pまたはp」が真ならば勿論「p」は真である

 

(3)├■q▪⊃▪p∨q Pp

→「q」が真ならば「pまたはq」も真である(※連言は要素命題の一方が真なら真)

 

(4)├■p∨q▪⊃▪q∨p Pp

→「pまたはq」が真ならば、「qまたはp」も真である。

 

(5)├■p∨(q∨r)▪⊃▪q∨(p∨r) Pp

→「pまたは『qもしくはr』」が真のとき、「qまたは『pもしくはr』」も真である。

 

(6)├▌q⊃r▪⊃■p∨q▪⊃▪p∨r Pp

→「qならばr」が真のとき、「『pもしくはq』ならば『pもしくはr』」も真である(※これは3と同じ理由)

○さらにこれに加えて「真の変項の同一視の公理(the axiom of identification of real variable)」と呼ばれる原始命題も必要とする。

→これは本論の命題3・03と1・7、1・71、1・72及び命題関数と不特定的主張についての説明を参照(※これは確か命題関数φによって確定する変項の同一性、つまり外延の話だったはず)。

 

 

【いくつかの単純命題】

○前述の原始命題に加え、演繹過程における諸命題の基本的所属のうちでもとりわけ重要なものを以下に挙げておく。

(1)「排中律(the law of excluded middle)」―命題2・11

├▪p∨¬p

→命題pの真理値は必ず真/偽のどちらか一方である。

 

(2)「矛盾律(the law of contradiction)」-命題3・24

├▪¬(p∧¬p)

→いわゆる矛盾命題はありえない、ということ。

 

(3)「二重否定律(the law of double negation)」―命題4・13

├▪p≡¬(¬p)

→否定の否定によって、命題の真理値は元に戻る(「反対の反対で賛成なのだ」)。

 

(4)「対偶の原理(the principle of transposition)」―命題4・1、4・11、4・14

├■p⊃q▪≡▪¬q⊃¬p

├■p≡q▪≡▪¬p≡¬q

├▌p∧q▪⊃▪r■≡■p▪¬r▪⊃▪¬q

→「逆・裏・対偶」の対偶。元の命題とその対偶の真理値は同じになる。

 

(5)「自同律(the law of tautology)」―命題4・24、4・25

├■p▪≡▪p∧p

├■p▪≡▪p∨p

→いわゆるトートロジー。論理代数と通常の代数の区別は、この同一律による帰結によるものである。

 

(6)「吸収律(the law of absorption)」―命題4・71、4・73

├▌p⊃q▪≡■p▪≡▪p∧q

→「pならばq」が真であるとき、論理積の要素命題qはpに吸収される(p∧qがpと同値である)。これに関連した、以下の重要な原理もある。

├▌q▪⊃■p▪≡▪p∧q

→「q」が真であるとき「pは『pまたはq』と同値である」も真である。さらに、命題4・4と4・41で後に解説されるように論理和と論理積は、以下の2つの分配律に従う。

├▌p∧q∨r▪≡■p∧q▪∨▪p∧r

├▌p▪∨▪q∧r■≡■p∨q∧p∨r

→特に後者の「「『pまたはq』かつr」は「『pまたはq』∧『pまたはr』」と同値である」によって、論理和と論理積の関係が、算術の和と積の関係から区別される。

 

 

【命題関数】

○命題の内部に現れる変項をx、その述語を関数φとしたとき、φはxの「命題関数(proposition function)」であると言うことができる。これは以下のように整理できる。

→ただしφxは何も特定していない点において未だ命題にはなりえない。

※ここでラッセルは命題関数をφỳ、その値φyとして区別している。しかしこの区別は現在では一般的でないし、特に必要不可欠であるというわけではないので、以下では関数も値も同じくφyの表記で統一する。

 

○また異なる変項yが同じ文脈に現れるときであっても、それがxの「値(value)」と同一であるかということについても未規定である(同じあるとも、同じでないとも断定できない)。

→ただしφxの変項に何らかの定まった意味を持つaが代入された際に、φaはφxの定まった値であると言うことができる。

 

 

【値の変域と全称量化】

○命題関数における変項の値の変域について、特に重要な3パターンについて以下で検討しよう。

(1)変域内の全ての値が真である場合

→「全てのxがφである」……(∀x)▪φx

※ラッセルは全称命題の記号表記を、普遍量記号を用いずに「(x)▪φx」としているが、これも現在では主流とはいえない表記のため、この読書メモでは普遍量記号を使うよ。

 

(2)変域内の一部の値が真である場合

→「一部のxがφである/φであるxも存在する」……(∃x)▪φx

 

(3)変域内の全ての値が偽である場合

→「全てのxはφでない」……(∀x)▪¬φx

→よく(1)と(3)が互いに相反するものであると見受けられるが、これは明らかに誤りである。というのも、「全称量化(total variation)」命題(今でいう全称命題)(1)の矛盾は、¬{(∀x)▪φx}のみだからである。つまり、定義としては

(∀x)▪φx▪=▪¬¬{(∀x)▪φx} Df

ゆえに ¬(∀x)▪φx▪=▪¬{(∀x)▪φx} Df

となる。

→さらに第二章で詳しく検討される理由によって、(∀x)▪φx▪や(∃x)▪φxを原始概念としては扱わず、これらの否定を定義しておく。その定義とは以下のようになる。

全称命題の場合……¬{(∀x)▪φx}▪=▪(∃x)▪¬φx Df

存在命題の場合……¬{(∃x)▪φx}▪=▪(∀x)▪¬φx Df

→さらに全証命題/存在命題が選言の<命題の関数>(複合命題)における要素命題を構成する際には、以下のように定義が可能である。

(∀x)▪φx▪∨p■=▪(∀x)▪φx▪∨p Df

→つまり「『全てのxがφである』が真であるまたは『p』が真である」は「全てのxがφであるまたはpが真である」に変換することができる。

 

 

【見かけ上の変項】

○「φx」は命題になり得ないが、「(∀x)▪φx」は一つの定まった命題である。

→確かに(x)のとる値が不特定であるが、「(∀x)▪φx」や「(∃x)▪φx」の領界は規定されており、ゆえに変域としては定まっているからである。

→そして「(∀x)▪φx」や「(∃x)▪φx」の中に現れるxのことを、ペアノに倣って「見かけ上の変項(Apparent variables)」と呼ぶ。

※つまり量記号付きの命題関数が命題に現れたとき、それは「見かけ上の変項」である。

 

○「見かけ上の変項」の議論は命題中におけるxの変域に関するものであるが、xの「作用域(scope)」についても確認する必要がある。

→変項の全てか一部の値が確定するために必要な関数のことを意味する。

[ex](1)「φx」におけるxの全て(一部)の値を主張する際、作用域は関数「φx」である。

(2)「φx⊃p」におけるxの全て(一部)の値を主張する際、作用域は関数「φx⊃p」である。

→記号表記としては、(∀x)か(∃x)の後のドットの数で示される。要領としては「├」や「∨」などといった記号の作用域と同様に考えればよい(※「ドットの使用」の節を参照)

[ex] 「(x)■φx▪⊃▪ψx」が「φxならばψxである」を意味するのに対し、

  「(x)▪φx▪⊃▪ψx」は「φxが常に真ならば、そのときψxはその代入項xに対して常に真である」となる

○ちなみに後者の命題におけるφxの「x」と、ψxの「x」はそれぞれ別の「x」であるということは重要な留意事項である。

→(x)のドットが1であるため、φxに対してしか作用域を持っていないからである。

→本来ならxとyとして別の記号による表記をすればよいところではあるが、そのように異なる文字を使う論理的必然性はないし、ときには同じ記号表記することの方が利便性は高いこともある。

 

 

【不特定主張と真の変項】

○見かけ上の変項は、変域を規定している他方、その値は未規定であったため「見かけ上」という表がんがされていた。

→ゆえにこれが主張されると不特定主張と呼ばれることになる。

├▪φx

 

○こうした不特定主張はそれ以上遡行できない点において、原始概念であり、この原始概念であるという特性によってそもそも変項を用いることの意義が見出される。

→しかしφxにおける値を検討したり主張したりすると、この段階にてxは「真の変項(real variable)」となる

[ex] 排中律「aはbであるか、もしくはbでない。」

→ここでaとbは命題における変項を構成する。しかしこれらが確定しない間、命題はいかなる主張しておらず、主張されているのは当該の命題関数の任意の値に過ぎない。

→これが真である場合、いかなるaとbが選ばれても複合命題の値が真である場合のみである。よってこの排中律は以下のかたちと同義である。

(a,b)▪aはbであるか、もしくはbでない

→このように真の変項を含むなにごとかを主張する際、変項に代入する値は任意の値(何らかの規定がされていてはならない)である必要がある。よって、任意の値である以上は、全ての値が真である場合にしか正当でない。よって

├▪(∀x)▪x=x

 

○上記のことをまとめると、我々が真の変項を含む主張する際、変項がとりうる全ての値のうち、まったく決定されていないうちの1つの値が主張されているのである。

→これを「命題関数の主張(asserting a propositional function)」と呼ぶことができる。

※つまり量記号が付いていない命題関数が命題に現れた際、それは(量記号による)限定されていない点において、真の変項である。

 

 

【定義と真の変項】

○定義項が一つ以上の変項を含む場合、被定義項もそれを含んでいる必要がある。

→定義である以上、被定義項は定義項と同じ変項を含んでいる必要があるからである。

[ex] p∧q、p⊃q、p≡qはいずれにしてもpとqという真の変項を含んでおり、その定義項も同様である(例えばp≡qの定義項であるp⊃q▪∧▪q⊃pは同様にpとqを含む)。

 

○¬{(∀x)φx}の定義であるφzにおいて、xが被定義項に現れる必要はない。

→しかしこの場合のように真の変項である関数の代入項(φz)として、見かけ上の変項((∀x)φx)がある場合、見かけ上の変項を使わずにすませるのは難点がある。ゆえにxは被定義項に用いる。

[ex] 例えばφxではなく、特定の関数であるxを取り上げ、「x=a」とする。すると、

¬{(∀x)▪x=a}▪=▪(∃x)▪¬(x­­=a) Df

となるが、このとき不特定な値である(x=a)が被定義項に現れるような記述をもし採用したとしたら、猥雑な表記となってしまうだろう。

 

 

【真の変項と見かけ上の変項を関連付ける命題】

○真の変項と見かけ上の変項を関連付ける命題として、以下の4つのパターンが挙げられる。

(1)「任意のxについて成立するときは、全てのxについても成立する」

→これは前々節の排中律を例に出したところで述べられたことの逆である。つまり任意のxについて関数φが成り立っているのであれば、全称量化することができるということ。「真の変項→見かけ上の変項」の順序。

 

(2)「すべてのものに成立するとき、任意のものにも成立する」

→例えば、

├■(∀x)▪φx▪⊃▪φy

のように、全てのxにφが成り立つ際、任意の変項yにもφは成り立つ。「見かけ上の変項→真の変項」の順序。

 

(3)「もしφxが全て真ならば、φxは真になることもある」

├■φy▪⊃▪(∃x)▪φx

→(∃x)は「存在定理(existence theorem)」と言い、任意のものにφが成り立つとき―「全てのものにφがなりたつ」とき(全称命題)、「一部のものにφが成り立つ」が同時に含意される。この証明はツェルメロによる。「真の変項→見かけ上の変項」の順序。

 

(4)「もしφxが全て真であり、かつψxが全て真であるならば、φx∧φyも真である」

├▌(∀x)▪φx∧(∀x)▪ψx▪⊃▪(∀x)▪φx∧ψy

→xの全称量化が2つの関係に対して成り立つのであれば、その真の変項は論理積になる。ちなみに、この命題は逆も真であるため、

├▌▪(∀x)▪φx∧ψy⊃(∀x)▪φx∧ (∀x)▪ψx■

 

○さらに見かけ上の変項と真の変項を関連付ける命題のうち、いくつか本書において原始命題とされるものがある(これは命題9に関わってくる)。

(1)├■φx▪⊃▪(∃z)▪φz

(2)├■φx▪∨▪φy▪⊃▪(∃z)▪φz

→つまりφxかφyのいずれかが真ならば、一部のzに対してφが成り立つ。

 

(3)yを真の変項としてφyが真であるとき、(∀x)▪φxを主張することができる。これは先の命題群のうち1番目の「任意の対象に対してφが成立するとき、全ての対象にφが成立する」と同義。

 

 

【形式的含意と形式的同値】

○まず含意に関して、以下のところで(∀x)▪φx▪⊃▪ψxが成り立つとき、φxはψxを「形式的に含意する(formally implies)」と言う。これはつまり日常語法とは異なり、含意(条件法)において、因果論的連関性は必須ではない、ということを意味する。

→これは以下の2つの論拠から正当化されるだろう。

(1)「ソクラテスは人間である」⊃「ソクラテスは死ぬ」

→両命題の間には因果論的連関性が認められる。つまりこの<命題の関数>は実質的含意に他ならない。これは確かに含意として成り立っているが、それによって実質的含意以外が含意と見なされなくなるのは誤りである。

 

(2)実質的含意を含意として知りうるのは、既にその仮定が偽であるか、結論が真であるか既に判明している場合のみにおいてである(因果関係を認めている時点で、仮定か結論の真理値はすでに明らかである)。

→よって仮定が偽ならば結論はそもそも真ではなく、結論が真であるならば結論を導出する必要がそもそもないことになるため、いずれにせよ命題を検討する意義がない。

→対する形式的含意は未だ明らかでない結論を、そこに至る理路を整理し、演繹的に明らかにする。

 

○(∀x)▪φx▪⊃▪ψxを形式的含意とする利点は、真理値が機械的に明らかになることに他ならない。

→条件法の要素命題の真理関数によって、φxが偽であるならば複合命題はすべて真になるため、実質的には、①全てのφxが真になるxの値に対し、②ψxが真になる場合だけを検討すればよいのである。

 

○さらにφxとφyが、因果的連関性がある場合に限らず互いに互いを含意しあうとき、これは「形式的同値(formally equivalent)」と呼ばれる。

(∀x)■φx▪≡▪ψx

→もしこの関係性が成り立つのであれば、いかなる真理関数においても、互いを交換することができる。つまり、いかなる命題においてもφžとψžは可逆的に成立しあう。

→加えてφxとψxが形式的同値であるということは、φžとψžが同じ外延を持つことも意味する。つまり一方を充足するxの値が、もう一方をも充足しえるということである。

○したがって本書において「関数定項(constant function)」が現れる際、それを含む命題の真理値は、その関数の外延にのみ依存する。

→関数φzを含み、真理値がφzの外延にのみ依存する命題を、「関数φzの外延的関数」と呼ぶ。

 

 

【便宜的縮約】

○以下の定義は、論理的必然性はないものの、簡便な表記を与える。

φx▪⊃x▪ψx■=■(∀x)■φx▪⊃▪ψx Df

φx▪≡▪x▪ψx■=■(∀x)■φx▪≡▪ψx Df

→「φx▪⊃x▪ψx」はペアノに負っているが、彼は全称命題(∀x)φxの表記法を持っていない。それを次のように書いたのであれば、括弧としてのドットの使用例である。

 

φx⊃xψx▪=▪(∀x)▪φx⊃ψx Df

φx≡xψx▪=▪(∀x)▪φx≡ψx Df

→これらはペアノの表記を、本書の表記に変換しただけである。

※小さいxによって、それが付属している命題関数のxと、すでに命題に表れているxと同じものである、ということが意味されている。例えば最後の命題にあるφxの「x」とψxの「x」は、ψxの手前にあるxによって同じものであることが示されている。

 

 

【同一性】 ※ラッセルの記述理論に関する話なので瑣末なようで超重要

○論理学だからといって、「同一性(identity)」を異なる記号を用いる必要はなく、算術と同様に「=」を用いればよい。つまりxとyが同一であるときには、

x=y

と表記する(ただしこの定義は、実はかなり複雑なので、2章を参照のこと)。

→同一性の性質については以下の3つがありえる。

(1)├▪x=y

→いわゆる「同一律(the law of identity)」で、ある項とその項自身、あるいは別の項と常に同じ関係が成り立つ場合、その関係を「反射的(reflective)」であると呼ぶことができる。

 

(2)├■x=y▪≡▪y=x

→xとyに成り立つ関係が、yとxにおいても同様に成り立つ場合、その関係は「対照的(symmetrical)」と呼ぶことができる。

 

(3)├■x=y∧y=z▪⊃▪x=z

→いわゆる三段論法に見られる関係であり、これは「推移性(transitive)」と呼ぶことができる。

 

 

○xとyが同一であるならば、この2つを入れ替えても命題の真理値は変わらない。すなわち、

├■x=y▪⊃▪φx≡φy

→これは基本的な同一性の属性であり、これから他の同一性の性質が大半は導出できる。

○同一性は瑣末な議論であるように感じる。というのも、xとyが同一である際、それらがせいぜい異なる名前で呼ばれている同一の対象程度の状況しか想定できないからである。

→しかしこれは誤りである。固有名が、確定記述と同一である状況が存在するからである。

[ex] 「夏目漱石」―x /「『夢十夜』の作者」―y

→ ├x=y

 

※本節における同一性の議論は著名なラッセルの記述理論に他ならない。周知の通りこれはソール・クリプキが反駁し、現在では確定記述は固有名に還元できないという見解が主流である。

 

 

【クラスと関係】 ※たぶん第一章で一番大事な節

○集合体や多様体とも言うことができるクラス(class)とは、ある命題関数を全て充足する値に他ならない。例えば「クラスα」が「命題関数φx」から規定されているのであれば、「aはφxによって規定されるクラスである」と言うことができる。

→クラスに一切のメンバーを含まなく(空集合)とも、クラスは成立する。

 

○またφxによって規定されているクラスのことを「ž(φz)」と書くこともできる(zは任意のアルファベット)。」

[ex1] 規定関数φxは「xは足を二本持ち、翼を有さない」である。

→ž(φz)は「人間」のクラスとなる。

 

[ex2] 規定関数φxは「0<x<1」である。

→ž(φz)は真分数のクラスとなる。

○同一の対象からなるクラスであっても、その規定関数は様々である(φxが「xは足を二本持ち、翼を持たない」でも「言葉を用いて、政治を行う」でも、クラスは同じく「人間」である)。

→特に規定関数を指定する必要がない際には、現段階で使われていない(※「種々の文字の用法」の節参照)任意のギリシャ文字を用いて表現する。

 

○形式論理学においては2つの問題がある(これが本論の主題)。ここでは一方の「クラスと関係」に関連する問題を述べてく。

→クラスに関する限りにおいて述べることにすると、クラスはその規定関数の代入項として適切な対象にはなり得ないということである(自己言及性のパラドックス!!)。

[ex] aをクラスとし、規定関数をφxとし(つまりa=ž(φz)のとき)、命題関数φを「嘘である」とすると、

φx は「xは嘘である」となり、クラスαはxを充足する対象全てから構成される。

→しかしこのxにクラスα自体を代入することによって、「この命題は偽である」という「真」の命題が導出されることになってしまい、パラドックスが生じる。

→この議題については本書の2章について詳しく論じられ、また本論全体における主題の一つを構成している(※ちなみに前書きの目的3番目)。

 

○クラスについてもまた原始概念によって基礎付けられており、これは日常的語法とそこまで齟齬を来たすようなものでもない。ただしここではクラスと関係の取り扱いに関しては、新しい原始概念を持ってくる必要はなく、以下の2つの原始命題によって十分である。

→この原始命題は変数をクラスに還元する、2つのかたちの還元公理に他ならない。

○「xはクラスαの要素である」はペアノに倣って、 

x∈α

と記法上は表記する。

→例えば「x∈人間」であるならば、「xはクラス人間の1要素である」となる。さらに表記の便宜上、次のような定義もしておく。

x¬∈a▪=▪¬(x∈α) Df

x,y∈a▪=▪x∈α∧y∈α Df

→さらに「クラス」を表すためにはインデックス「Cls」と書く、よって「α∈Cls」ならば「αはクラスに含まれる」を意味する。

 

○次に以下の命題を検討する。

├■x∈ž(φz)▪≡▪φx

→「『xはクラスž(φz) に含まれる』はφxと同値である」が成り立つ。換言すれば「xがž(φz)に規定される」は「φxは真である」と同値である。

 

○このことからクラスの要素が何か知られている際、同一の(全ての)要素を持ったクラスは1つしか存在しない、ということが帰結する。

→φxとψxが本質的に同じ関数から成るならば、両者クラスは同一である。つまりφxがψxを、ψxがφxを互いに含意しあうことになるので、

├▌ž(φz)=ž(ψz)▪≡■φx▪≡x▪ψx

となる。

 

○以下の諸命題は明らかであるものだが、重要でもある。

(1)├▌α=ž(φz)▪≡■x∈a▪≡▪x▪ψx

→つまりαがφžによって規定されるクラスと同一なのは、「xはαに含まれる」が「φxと形式的に同値である場合のみである(これは本節の冒頭で述べられたことの繰り返し)

 

(2)├▌α=β▪≡■x∈α▪≡x▪x∈β

→2つのクラスであるαとβが同一であるのは、同一の要素xを持つときのみである。

 

(3)├▪x(x∈α)=α

→つまり「xはαに含まれる」を規定関数とするクラスはαである。換言すればαはαの要素となっている対象のクラスである(クソ自明)

 

(4)├▪ž(φz)∈Cls

→規定関数φžによって規定されている要素群はクラスである(クソ自明)

 

○以上によれば、変数(項)のいかなる関数も、それと同値である「x∈α」という形式の関数によって変換できるということがわかる。

→ゆえに「ž∈α」という、外延的な<関数の関数>が成立する際には、内包されるφžについても「φz∈α」が成り立つことになる(クラス「有機体である」に対し、「犬」が代入項になる場合、「犬」の外延である「人間」についても成り立つ)。

 

○現段階では単に二項つまり単なる「関係」についての議論が展開されているが、幾何学に足を踏み込む際には、三項関係、四項関係といった「多項関係(multiple relation)」にまで及ぶことになるが、目下のところでは、とりあえず関係について念頭に置いておけばよい。

○関係もクラスと同様に、外延から把握されるべきである。

→関係RとSが同じ項の対の間に成り立っているのであれば、両関係は同一である。つまり対(x,y)はもしxがyに関係Rを結ぶのであれば、xとyは関係Rを構成するための対のクラスの一員である。

→換言すればφ(x,y)のφをxとyによって構成される関係であると見なせば、(x,y)とは(x,y)を真にするような対のクラスである。

 

○ゆえに関数φ(x,y)によって規定される関係(xがyにRという関係を持つ)は、

x(ヽ),ỳφ(x,y)

と表記する。

 

○また規定関数が明らかでない際の表記法は、

xRy

としておこう。これは日常的語法に近い表現であり、例えば「xはyと等しい(x equals y)」や「xはyよりも大きい(x is greater than y)」などが関係節を日常的語法においては表している(※もちろん日本語には該当しないよ)。

→さらに関係を表すインデックスは「Rel」である。よって、

R∈Rel

と書けば、「Rは関係に含まれる」を意味することになる。

 

○さらに関係を外延的に捉えることによって、

(1)├▌ҳ,ỳφ(x,y)=ҳ,ỳψ(x,y)≡■φ(x,y)▪≡x,y▪ψ(x,y)

→2つの二変項関係が同一であるということは、両関数が形式的同値である場合のみに限られる。

 

(2)├z{ҳ,ỳφ(x,y)}w▪≡▪φ(z,w)

→「zはwに対して関数ҳ,ỳφ(x,y)によって規定される関係を持つ」は、「zとwは関係φにある」と同値である。

 

○加えて、

├▌R≡ҳỳφ(x,y)▪≡■xRy▪≡x,y▪φ(x,y)

├▌R=S▪≡▌xRy▪≡x,y▪xSy

├▪ҳ,ỳ(xRy)=R

├▪{ҳỳφ(x,y)}∈Rel

→これらの命題は、ここまでで見たクラスに与えてきた考察から類比することができる。つまりいかなる二変項関係であってもxRyのかたちに還元できる。

 

 

※以下では通常の<命題の関数>を、クラスと関係に援用する試みがされる。そんで勝手に連言、選言、否定、条件法のそれぞれの場合に番号を振っておき、かつピンクのマーカーを対応語句にしておいた。

○クラスにしても関係にしても、否定と論理和(選言)から生じる命題の性質に類比的な性質を持っている。

(1)2つのクラスの論理積(連言)は、それらのクラスの共通要素の項からなるクラスである。両クラスの論理積を示す場合、α∩βと以下では表記する。ゆえに、

α∩β▪=▪(x∈α∧x∈β) Df

と表記することができる。さらにこれによって、

├■x∈α∩β▪≡▪x∈α∧x∈β

→つまり「xが論理積α∩βに含まれる」ということは「xがαとβの両クラスにそれぞれ含まれる」と同値であるが導出される。

 

(2)2つのクラスの論理和はα∪βと表記され、これはαとβの合計(つまり和)を意味するクラスである。定義は以下の通り、

α∪β=ҳ(x∪α▪∨▪x∪β) Df

○さらに命題の論理和との関連は、

├▌x∈a∪β▪≡■x∈a▪∨▪x∈β

→つまり「xがクラスαとβの合計域に含まれる」は「xがαに含まれ、かつβにも含まれる」と同値である。によって与えられる。

※「∩」は今でいう「積集合」を意味する。反対派「和集合」で、「∪」のこと。両者の集合域に関しては、以下のベン図を参照。ちなみに論理積「∧」と積集合「∩」、論理和「∨」と和集合「∪」の形が似ているのも偶然じゃないはず。

 

 

○先述の通り、クラス及び関係はそれぞれ否定や論理和の関係と似通っているのだった。次に否定の場合を見てみよう。

(3)クラスの否定がされる際、それは「x∈α」が有意味かつ偽であるような項xからなる。有意味であるということは、αの要素ではない適切な変項のクラス、ҳ(x¬∈a)である。このクラスのことを「-α」と書くこととする。すると定義は、

-α=ҳ(x¬∈α) Df

となり、命題との関係としては、

├■x∈-α▪≡▪x¬∈a

と表記することができるだろう。

 

 

○ここまでで論理積、論理和、そして否定と、クラス・関係の対応について検討してきた。これらと同様に含意に対応して、包含(inclusion)という関係もある。

(4)クラスαの全ての要素が、クラスβの全ての要素になっているとき、すなわち、

x∈α▪⊂x▪x∈β

のとき、「クラスαはクラスβに含まれる」ということができる。この「αはβに含まれる」は、以下で「α⊂β」と表記することにする。ゆえに、

α⊂β▪=■x∈α▪⊂▪x▪x∈β Df

と置く事ができる。見ての通り、「αがβに包含される」ということは、『xがαに含まれる』が『xがβに含まれる』」に包含されると定義できる。

 

○肝心なことは、p∧q、p∨q、¬p、p⊃qのほとんどの論理式は、クラスのα∩β、α∪β、-α、α⊂βに変換しても、真理値は同じままであるという点である。

→これは同値性「p≡q」を「p⊃q∧q⊃p」に変換できるのと同じ要領で、「α⊂β∧β⊂α」が成り立つときに、「x⊃α▪≡▪x▪x∈β」が成り立つためである。

 

 

○クラスに関しても<命題の関数>の諸命題と類比できる、以下の命題を挙げることができる。

(1)├▪α∩β=-(-α∪-β) Df

→すなわちαとβの共通部分は、「αとβ以外の部分」の否定である。これは論理積p∧qが、論理和¬(¬p∨q)によって定義できるのと、同じ原理によるものである。

 

(2)├▪x∈(α∪-α)

→排中律と同様に、「xはクラスαの要素または要素ではない」は必ず真になる。

(3)├▪x¬∈(α∩¬β)

→矛盾律と同様に、「xはクラスαの要素かつ要素ではない」は必ず偽になる。

 

(4)├▪α=-(-α)

→二重否定律。

(5)├■α⊂β▪≡▪-β⊂-α

├■α=β▪≡▪-α⊂-β

→対偶の原理。

(6)├■α▪=α∩α

├■α▪=α∪α

→自同律。

 

(7)├■α⊂β▪≡▪α=α∩β

→「『αがβに包含される』は『αと、αとβの論理積は同一である』と同値である」を意味する。つまりこれは吸引律のクラス版である。

→これに従えば、「『全てのクレタ人は嘘つきである(All Cretans are liars)』は『クレタ人は嘘をつくクレタ人と同一である(Cretans are identical with lying Cretans)』と同値である」ということになる。

 

(8)├■α⊂β▪∧▪β⊂γ▪∧▪α⊂γ

→これは「バルバラ(Barbara)」と呼ばれる三段論法。ただし表現としては「もしすべてのαがβに包含され、かつβがγに包含されるならば、αはγに包含される」と読む。伝統的な三段論法における表現のように、「ゆえに」等は不正確である。

(8´) ├■x∈β▪∧▪β⊂γ▪∧▪x∈γ

→伝統的な三段論法をクラスによって表現するのであれば、小前提が主語としての個体(※たぶん名辞)を持っているためこうなる。

→しかしこれは上述の(8)の特殊系ではない。「x∈β」は「α⊂β」の特殊系ではないからである。この点は本書の目的を果たすために極めて重要な点であるため留意されたし。

 

 

○上述のクラスの場合に加えて、関係の場合においても同様に以下の諸命題が成立する(※こっちは<命題の関数>の類比ではなく、クラスの諸命題からの類比)

(1)R∩S=ҳỳ(xRy∧xSy) Df

これによって、以下の命題も導出される。論理積とクラスの積と同様の定義。

(1´)├■x(R∩S)y▪≡▪xRy∧xSy

 

(2)R∪S=ҳỳ(xRy▪∨▪x) Df

→論理和とクラスの和と同様の定義。

(3)-R=ҳỳ{¬(xRy)} Df

→否定とクラスの否定と同様の定義。

(4)R⊂S▪=■xRy▪⊃x,y▪xSy

→含意と包含と同様の定義。

※ここではクラスと関係の<命題の関数>を区別するために、ラッセルは∩(・)、∪(・)などといった具合にドットを使用している。ただフォント的な意味で厳しい上に、あんまり意味がない(ぶっちゃけクソ面倒い)ためここでは同じ記号を使ったよ。

 

 

○クラスが少なくとも1つの要素を持つとき、「存在する(existence)」と言われる。以下では「クラスαが存在する」を「∃!α」と表記することにする。

→定義としては以下のようになる。

∃!a▪=▪(∃x)▪x∈α Df

→すなわち「クラスαが存在する」は「一部のxがクラスαに含まれる(αに含まれるxも存在する)」。

 

○逆に一切の要素をもたないようなクラスは「零クラス」(※現在の空集合)と呼ばれ、記号としては「Λ」で表す。例えば、「xはxと同一でない」という関数には一切の要素を含まないため、「零クラス」であると言えるだろう。ゆえに、

Λ=ҳ(x≠x) Df

→このように常に偽であるような命題関数は零クラスの規定関数である。

 

○常に真であるような関数によって規定されているクラスは、普遍クラスと呼ばれ「Ⅴ」によって表記される。これはさっきの逆なので以下のようになる。

Ⅴ=(x=x) Df

→したがってⅤはΛの否定である。

※これ普遍量記号のことやんけ……しくじったで。ここまで勝手に現在の「∀」で表記してきたものを、ラッセルがここにきて「Ⅴ」で表記し始めた。ただし命題関数としての∀/クラスとしてのⅤなので、元ネタであっても差異はある。

 

○上述の「存在する」、「零クラス」、「普遍クラス」によって以下の命題が帰結する。

(1)├▪(∀x)▪x∈Ⅴ

→全称命題は常に真であるため、「その要素xは普遍クラスに含まれる」は真となる。

 

(2)├▪(∀x)▪x¬∈Λ

→先述の通り、ⅤはΛの否定であるため、全てのxが成り立つとき、「要素xは零クラスには含まれない」は真であり、これによって以下の命題も導出される。

 

(3)■α=Λ▪≡▪¬∃!α

→すなわち「『クラスαが零クラスである』は『クラスαが存在しない』と同値である」

 

(4)∃!R▪=▪(∃x,y)▪xRy Df

→関係についてもクラスと同様の表記法を用いる。この命題ならば、「『関係Rが存在する』は『一部のxが一部のyに対して関係Rをとる』であると定義できる」となる。

→ゆえにΛは絶対に成り立たない関係を意味し、Ⅴは絶対に成り立つ関係を意味することになる。よって、

├▪(∀x,y)▪¬(xΛy)

├■R=Λ▪≡▪¬∃!R

もそれぞれ成立する。

 

 

 

【記述】

○「記述」という語によって、「かくかくのもの(the so-and-so)」という形式ないしはこれと同値の意味である句を指すことにする。

→さしあたって注目すべきは定冠詞「the」であり、これは「一意性(uniqueness)」を意味する語である。

[ex] 「Aの息子B (B is the son of A)」」において定冠詞によって一意的対応が意味されるので、息子Bは一人しかいないという帰結がもたらされる(二人以上の時には「the」は使えない)。

→このように記述における変項xはある1つの値によってしか充足しない。また他のいかなる値によっても充足されない命題関数φxを必要とするのである。

 

○記述句を命題関数φxによって表わす際(つまりxが1つの値しか充足しない関数を表わす際)、

(ιx)(φx)

と表記する。これは先述の通り「φҳを充足する1つのx(the x witch satisfies φҳ)」を意味する。

→ただしこれは原始概念ではなく、ゆえに定義が可能である。つまり、

E!(ιx)(φx)

と表記できる。これは目下のところですぐに解説される。ちなみに(ιx)(φx)もE!(ιx)(φx)も、xは1つの値しか取りえないが、その値が何であるかは明らかになっていない場合にしか使えない表記であることは重要である。

 

○さて予告通りE!(ιx)(φx)の定義について考察しよう。これは以下のようになる。

E!(ιx)(φx)▪=■(∃c)■φx▪≡x▪x=c Df

→すなわち「φxを充足するただ1つのx」は「『一部のcについてφxが成り立つ』が『xとcが同一である』と同値である」と定義することができる。言い換えれば (ιx)(φx)が存在する。

 

○ただ1つのxは諸属性によって還元することができる。

→例えば固有名「スコット」は、「ウェイバリーの著者」という指示句によって一意的に対応付けられるため、定冠詞「the」を含んでいなくとも、(ιx)(φx)におけるxは決定され、ゆえに「スコットは存在する」はE!(ιx)(φx)と表記できる。

※これが所謂「ラッセルの記述理論」だね。同一性の節でもメモっておいたが、固有名はクリプキが批判するように単独性/特殊性(確定記述)に区別でき、記述が書き換わっても前者はそのままであるため、ここでのラッセルの主張は誤謬を含んでいる。

 

○だがしかし「(ιx)(φx)」という表記は長くて不便なため、以降からは次のような表記に改める。

R‘y

→つまり「yに対して関係Rを持つ唯一の対象」がこれによって表される。また上述の通り定義は、

R‘y=(ιx)(φx) Df

となる。さらに同様に、

∃!R‘=E!(ιx)(φx) Df

 

○ちなみにこの逆向きのコンマ「‘」は、「of」と読むことができ、よってR‘yは「the R of y」となる。またR‘yはyの関数でありながら命題関数ではない。よってこれを「記述関数(descriptive function)」と呼ぼう。

→記述関数は「存在の領域(domain of existence)」ないしは「定義の領域(domain of definition)」なるものを有しており、これは当該の関数R‘yとするとき、∃!R‘やE!(ιx)(φx)が成り立つとき、つまりR‘yが存在するとき、代入項yのクラスである(勿論yのクラスには1つの要素しか有り得ない)。

 

○さらにRが関係であるならば、R‘yを「随伴記述関数(associated descriptive function)」とする。

→Rが明らかでないとき、記述関数の意味を割り出すことによって、Rが関係か否かが明らかになる。

 

 

 

【関係の様々な記述関数】

○Rを関係としたときにRの「逆(converse)」は、xがyに対して関係Rが成り立つ際、その逆にyがxについて成り立つ関係のことを意味する。

[ex] 「より大きい←→より小さい」、「より前である←→より後である」、「原因である←→結果である」、「夫である←→妻である」 など

→以後のところで、Rの逆を「Cnv‘R」ないしは「Ř」と表記する(二項関係である以上、Rの逆のクラスには1つの要素Řしか含まないため、「‘」が使われる)。定義としては、

Ř=ҳỳ(yRx)  Df

Cnv‘R=Ř Df

 

○さらにR=Řのとき、つまりxのyに対する関係が、yのxに対する関係にも成り立つとき、その関係は「対称的(symmetrical)」と呼ぶことができよう。

→ここまででは同一性や相違性がこれに該当する。

○他方で「R∩Ř=Λ」となるような関係、すなわち関係Rとその逆Řが両立しない(共通のクラスが零クラス)場合、これを「非対称的(asymmetrical)」と呼ぶ。

→前/後、大/小、先祖/子孫などといった「系列(series)」を構成するような関係は多くの場合、非対称的である。しかし「妻の兄」といったように系列を構成しつつも、非対称でない場合もありえる。

 

○加えて、非対称的でも対照的でもないような関係もありえる。

[ex.1] α⊂β/β⊂αはα=βなら成り立つが、α≠βならばせいぜい片方が真になる程度であり、ゆえに対称的とは呼べない。

 

[ex.2] 英語の“brother(男兄弟)”は対照的でも非対称的でもない。xがyのbrotherであっても、yがxのbrotherかもしれないし(対照的)、あるいはyから見たxがsisterの可能性もある。

(※漢字ならば兄弟/兄妹などの漢字の使い分けがあるので、これは例にならないね)

 

 

○命題関数xRyにおいて、xを「関係項(referent)」、yを「被関係項(relatum)」と呼ぶことにする。

→よって、クラスҳ(xRy)は「yに対してRの関係をとりうる関係項x」についてのクラスであるし、逆にクラスỳ(xRy)ならば「xに対してRの関係をとられる被関係項y」のクラスとなる。

→以下からは前者ҳ(xRy)を「R(→)‘y」とし、後者のỳ(xRy)を「R(←)‘x」と表記する。よって、

ҳ(xRy)=R(→)‘y Df

ỳ(xRy)=R(←)‘x Df

[ex] これは日常的語法にもしばしば姿を現しており、例えば「xはロンドンの住人である」/「xはロンドンに住んでいる」の微妙な差異がこれに該当する。

→ここで「住(inhabits)」を関係Rとすると、

「xはロンドンに住んでいる」は「xRロンドン」であり、

「xはロンドンの住人である」は「x∈R(→) ‘ロンドン」(inhabitants of London)となる。

 

○またラテン語で矢を表す「sagitta」(※サギタ・マギカっていう攻撃魔法が某漫画に出るね)のインデックス「sg」さらにその逆を意味する「gs」を用いて、R(→)とR(←)を表記することもできる。

sg‘R=R(→)  Df

gs‘R=R(←)  Df

→こちらの表記が有用なのは、問題となっている文字がRだけでなく他の文字を含む場合である。例えば「R(→)∩S(→)」よりも、「sg(R∩S)」の方が簡潔だろう。

 

 

○「あるものに対しRなる関係を持つ全ての項」のクラスを「Rの領域(domain)」と呼び、これを「D‘R」と表記することにする。定義は、

D‘R=ҳ{(∃x)▪xRy} Df

→つまり「yに対して関係Rをとる関係項x」のクラスがRの領域となる。

○同様に「あるものに対しRの関係をとられる全ての項」のクラスを「Rの逆領域(converse domain)」と呼ぶ。これはいわばRの逆領域であり、表記は「Đ‘R」となる(※本当はDを逆向きにしたものだけどそんなフォントないからĐでいきます)。

Đ‘R=ỳ{(∃x)▪xRy}  Df

 

○さらに領域と逆領域の「和」は「領界(field)」と呼び、これは「C‘R」によって表される。したがって、

C‘R=D‘R∪Đ‘R Df

→つまりクラスD‘RとĐ‘Rの論理和(和集合)のことである。

○領界が重要になってくるのは、主に系列に関連するときである。これは以下のように整理できる。

Rが系列の関係であるならば、

C‘Rはその系列を構成する全ての項のクラス

D‘Rは系列の(もしあれば)最後の項以外の全ての項のクラス

Đ‘Rは系列の(もしあれば)最初の項以外の全ての項のクラス  をそれぞれ意味する。

 

さらに最初の項がもしあるならば、それはクラスD‘R∩-Đ‘Rの唯一の要素であり、

   最後の項がもしあるならば、それはクラスĐ‘R∩-D‘Rの唯一の要素となる。

→前者の場合、初項は「先行者(predecessor)」ではあるが「後続者(follower)」でない唯一の項であり/後者の場合、その逆だからである。

※系列において先行者だけがクラスD‘RないしはĐ‘Rとの積集合に含まれない/後続者だけがĐ‘RないしはD‘Rとの積集合に含まれない

 

→ゆえにある系列が終わりを持たないための条件は「Đ‘R⊂D‘R」つまり先行者が同時に後続者であるような系列(循環)となり、逆に系列が始まりを持たないためには「D‘R⊂Đ‘R」である。

 

 

○「相対積(relative product)」とは「『中間項yがあり、xがyに対して関係Rを持ち、かつyがzに対して関係Sを持つとき』のxとz間の関係」である。

→以下ではRとSの相対積をR|Sと表記する。よって定義は以下の通り。

R|S=ҳỳ{(∃y)▪xRy∧ySz}  Df

さらに、

├■x(R|S)z▪≡▪(∃y)▪xRy∧ySz

が成り立つ(RとSの相体積は一部のyがxとの関係Rの被関係項かつzとの関係Sの関係項になると同値である)。

[ex] 「父方の叔母」―「女性の兄弟」と「父」の相対積

    「母方の祖父」―「男性の親」と「母」の相対積

 

○さらに以下のような諸法則が相対積には成り立つ。

(1)結合法則

├▪(P|Q)|R=P|(Q|R)

→「『関係PとQの相対積』と関係Rの相対積は、関係Pと『関係QとRの相対積』の相対積と同一である」

 

(2)論理和の分配法則

├▪P|(Q∪R)=(P|Q)∪(P|R)

├▪(Q∪R)|P=(Q|R)∪(R|P)

 

※論理積も成立するが論理和と大差なく、自同律は成立しないためR|R=Rは成立しない(関係RとRの相対積はRとは同一ではない)。

 

(3)推移的(transitive)

2R=R|R DF

とする。すると例えば以下が成り立つ。

父方の祖父=(父)の2乗

母方の祖母=(母)の2乗

そして以下の

2R⊂R

のとき―「xRyかつyRzならば常にxRzが成り立つ」とき、すなわち、

xRy∧yRz▪⊃x,y▪xRy

のとき、この関係は「推移的」であると呼ぶことができる。

→系列を生み出す関係は全て推移的である。例えば、

x>y∧y>z▪⊃x,y,z▪x>z

 

○さらに以下では系列を生み出す関係をPとする。そしてこのPが 2P⊂Pだけでなく、 2P=Pも成り立つとき、この系列は「稠密(compact)」と呼ぶことができる(※稠密とは同じところに凝縮している様だよ)。

→系列関係Pが稠密であるとき、そこにおける二項の間には項が常にいくつか存在する。

xPz▪⊃▪(∃y)▪xPy∧yPz

→このようにxがzに先立つならば、xがyに先立ちかつyがzに先立つような―つまり中間のyが存在するということである。

 

 

 

【複数記述関数】

○クラスαのいずれかの要素に対して、関係Rをもつような項xからなるクラスを「R‘‘α」ないしは「Rε‘α」と表記する。定義は以下の通り。

R‘‘α={(∃y)▪y∈α▪xRy} Df

[ex] αを「街」のクラスとし、Rを「住んでいる」を意味する関係とする。

→このときR‘‘αは「街の住人」のクラスとなる。

 

 

 

【単位クラス】

○ペアノとフレーゲが主張するように「xをただ一つの要素とするクラス」と要素xは同一ではない。

※これは『算術の基礎』でフレーゲが基数1と0を概念それ自体ではなく、概念を内包する自存的対象であるといっていた話かと思われ。

→以下では「ι‘x」によって「xをただ一つの要素とするクラス」すなわち「単位クラス」を表記する。

ι‘x=ỳ(y=x) Df

→よってxとyのみからなるクラスを「ι‘x∪ι‘y」と表記できる。さらにクラスαにxだけのクラスを付け加えたいならば「α∪ι‘x」となる。

 

○このように1を持ち出さずとも「単位クラス」は定義できる。それどころか単位クラスを用いて1が定義できる。

1=â{(∃x)▪α=ι‘x} Df

→「αについて『一部の要素xがクラスαに含まれ、かつそのαが単位クラスである』は1と定義できる」となる。

※これはまさしくフレーゲの主張と一致する見解。要素ではなく、要素を含むクラスが基数1ないしは0の問題となっている。

 

 

 

 

第二章 論理的タイプの理論 p.127-207

※この章から表記を一部変項。ここまでのҳを原文通り「x(∧)」とすることにします。

Ⅰ 悪循環原理 p.129-132

○いくつかの回避すべきパラドックスに共通するのは、「ある集まりが、その集まり全体によってしか定義できない要素が含まれている」という点である。

[ex] 命題「全ての命題は真か偽である(全称の排中律)」

①この命題が正当であるためには「全ての命題」というすでに決定された範囲の集合に言及するものでなければならない

②他方で「全ての命題は真か偽である」という言明によって「全ての命題」に含まれる新たな命題が産出されることになる。

→このように①と②は矛盾している。

→よって「全ての命題」についての言明が無意味になってしまう。

○より一般的に言えば「ある集合が、その集合が全体を持つと考えると『その全体を前提化してしまう要素』が含まれるのであれば、そのような集合は全体を持つことができなくなってしまう」。

 

○このような場合を解決する理論こそが本書で提示されるタイプ理論に他ならない。

→後々明らかになるように、タイプ理論は集合をさらに下位の集合に分解することでこの解消を試みる。

 

○前述のような「不当な全体(illegitimate totality)」を排するための原理は、以下のように記述することができるだろう。すなわち「ある集まりが、全体を持つと仮定すると、その全体によってしか定義できないような要素を含んでしまう場合、その集まりは全体を持たない。」

→この解決原理のことを以後、「悪循環原理(vicious-circle principle)」と呼ぶことにする。さらにこれによって排されるものを「悪循環の誤謬(vicious-circle fallacy)」と名付ける。

○つまり「全体集合」と「その全体集合に含まれる要素」が一致することがないように、何らかの制限を設ける必要があり、この制限は先述の通り「集合」から「全体」を排するものである。

 

※ややこしいから整理

①クラスαの要素すべてに成立する命題(全称命題)を提示

 

②全称命題のためクラスαそれ自体もクラスαの要素に含まれるとき、

 

③実のところは、そのクラスαは全称命題ではなかったんだよ(「悪循環原理」)

→論点先取りするとクラスはそのクラスの要素には含まれないよ

 

 

○さらに「悪循環の誤謬」に関して前述の命題の例に加えて、以下のような例も提示することができる。

[ex] 懐疑論が「私は無知である」という言明をとったとする。

→「私は無知である」は「不当な全体」を形成しており、換言すれば「私は全てのことを知らない」。

→集合「全てのこと」は命題「私は全てのことを知らない」をその要素として含むことになるため、矛盾が生じる。

 

○この悪循環を断ち切るためには、懐疑論者は「その集まりに含まれる要素に関して私は無知である」という言明によって、制限を設ける必要がある。

→「その集まりに含まれる要素に関して私は無知である」という命題自体は集合から切り離される。

 

 

Ⅱ 命題関数の性質  p.133-140

○「不当な全体」について問題は命題関数に関しても生じる。

→つまり命題関数における変項に、その命題関数自体を代入することによって悪循環が生まれる。この問題の解消は極めて示唆的なもので、後述の通りここではタイプの階層体系が要請される。

 

○命題関数の性質を一元化することは困難であるが、その本質として「不特定性(ambiguity)」を挙げることができるだろう。

→変項xが未規定である以上、命題関数φxの定義も未規定であるため、関数の決定のためには変項の値を定義する必要がある。

○よって命題関数を正しく定義するためには、適切な変項の値を代入する必要があるが、当該の関数それ自体を変項に代入しても値が定まらないため、当該の関数は変項の適切な値ではない。

→なぜなら、命題関数は1つの全体(全ての変項の値によって決定される命題)を不特定に表すためのものであり、悪循環原理から自身を命題に含むことは否定される。

 

○これを混同せず表記するために、「命題関数」と「命題関数の不特定な値」を区別することが決定的に重要になってくる。

→1章で確認した通り不特定な値は「φx」と表記できるのに対し、命題関数は「φx(∧)」と表記することができる。つまり「φx」が命題であるのに対し、「φx(∧)」はその命題関数に他ならない。

→よって前者に対する言明は「φx(∧)」がとる不特定な値の1つについての言明であるのに対して/「φx(∧)が存在する」は不特定な値についての言明ではなく、単に「『φx(∧)』という命題関数がある」という言明である。

 

○このことから「φx(∧)」自体は「不特定な値が代入される単一の関数」であり、よって悪循環原理より変項xの値として「φx(∧)」が代入されるようなことはあってはならない。

→φxの代入項として「φa」は有り得ても、「φ(φx(∧))はあり得ないということ。

○ゆえにφx(∧)が成立する変項の値を「xの可能な値(possible value of x)」と呼び、代入された命題関数φx(∧)が値を持つとき、これを「代入項xに対して有意味である(significant with argument x)」と言う。

 

○重要なことは代入項xに対して「有意味である/無意味である」ということが問われているのであって、その真偽に関する問題ではない、という点である。

→φx(∧)にxを代入するということは、命題が偽になるどころか、そもそもその命題がそもそも無意味であるという帰結をもたらす。

→繰り返しになるが、関数「φx(∧)」における変項xへの代入によって得られるのは、「代入した命題の真理値」であって、「代入される命題関数の真理値」ではない。

[ex] φxを「x(∧)は人間である」とし、xに「ソクラテス」を代入したとき、

「代入項ソクラテスに対する「xは人間である」の値は真である」となるのではなく、

「「ソクラテスは人間である」という命題は真である」とならなければならない。

 

○本節を総括すると、全称命題に対してもある帰結がもたらされる。

→1章で見たように全称命題は「(∀x)φx」と表記された。このときxの値は不特定ではあるが、あらゆるxが可能であるというわけではない。というのも、先述の通り「代入項xに対して無意味である値」が存在するからであり、この場合ならば「φx(∧)」がそうである。

→命題関数の不特定性は、その値に全てが代入されうるということとは同一ではない(代入されてはならない値が存在する)。

 

 

 

Ⅲ 真と偽の定義・並びにその体系的な多義性 p.141-156

○先述の通り、「(∀x)φx」の変項の値として命題関数φx(∧)は不適切であった。しかし、これには以下のような例外があるように思われる(本当は例外ではないけど)。

[ex] 命題「pは偽である」を考える。関数は「p(∧)は偽である」/論理式で書くと「(∀p)pは偽である」。

→「全てのpが偽になる」ということは明らかに間違っているため、この命題は偽である。よって「『pは偽である』は偽である」

→しかしこれでは変項pに関数「p(∧)は偽である」が代入されていることになってしまう。

→この例外はもちろん悪循環原理によって否定される必要がある。

→それは真理値の階層における多義性の区別によって、すなわち真/偽はそれが適用される命題の種類に従った多数の異なった意味の区別によって解消される。

 

○すなわち、

(1) 任意のφxを想定し、φaがその可能な値の1つとしたとする。

→こちらに適用される真理値は「第一次の真/偽(first truth/false)」となる。

 

(2)次に命題「(∀x)φx」を想定する。

→こちらに適用される真理値は、「第二次の真/偽(second truth/false)」となる。

 

○値を不特定なまま留保した全称命題「(∀x)φx」において、第二次の真が成立するのであれば、その全称クラスに含まれる要素xについて第一次の真が成立することになる。

○特殊命題「(∃x)φx」において、その要素であるxについて第一次の真が成立するのであれば、少なくとも1つの値について真であるため、「(∃x)φx」も第二次の真をとる。

 

○真理値の階層区分によって、冒頭の「(∀p)pは偽である」も解決される。

→この命題によって第一次の偽が意味されるのであれば「関数p(∧)は第一次の偽を持つ」となり、pが第一次の偽をもつ場合にのみ有意味となる。しかし、この命題自体は「第二次の偽」を持っているため、「関数p(∧)は第一次の偽を持つ」の可能な代入項ではない(第一次の真/偽しか代入できない)ことになる。

※ここちょっとややこしいから整理

例:「全ての言明は偽である」 (∀x)φx

①第一次の真理値は真偽ともにとりうる

→「全ての言明が(第一次の)真になろうとも、偽になろうとも、それは偽である」

 

②第二次の真理値は偽しかとらない

→命題「全ての言明が(第一次の)真になろうとも、偽になろうとも、それは偽である」は(第二次の)偽である。

→そして第二次の真理値は、第一次の真理値の可能な代入項ではない。

 

 

○同様の考察によって、否定¬と選言∨の関数も扱うことができる。

→というのは真理値の「多義性(ambiguity)」と同じく、否定も選言も多義性を有しており、ゆえに関数が適用される階層を区別することができるからである。そのことを以下で論証しよう。

 

○多くの判断を構成する要素は「aとbは関係Rを有している」といったように複合的判断である。

→「判断する主体」と、その「対象a/b」と、「関係R」といった多項関係が判断に含まれている/他方で判断それ自体は「判断する主体」と「対象」の二項から構成される。

→前者を「知覚判断」/後者を単に知覚と以下では呼ぼう。

 

○命題は不完全な記号であり、単に二項関係から構成されるのではなく、知覚判断のように本来的には多項関係からなっている。しかし言明として現れるときには判断は言葉によって補足されるため、完全なものとして表れてしまう。

[ex] 「ソクラテスは死ぬ」が言明として表れるとき、その命題はすでに完全なものとなっており、不完全性が覆い隠されている。

※ここ後期ウィトゲンシュタインっぽい。

 

○しかしながら、判断は常に知覚判断のように主語がはっきりしているわけではない。例えば「人は死ぬ」や「1人の男に出会った」などといった不特定の語が含まれる判断もありえる。

→以下ではこの判断を検討するが、併せて以下の2つの概念ついても解説する。

「複合体(complex)」……「性質aを持つ対象q」や「Sなる関係に立つ対象a、b、c」といった、(大雑把に言って)世界に生じるもののうち、単純ではないものすべてのこと。単一の対象ではなく、諸要素が複合した対象。

 

「要素的判断(elementary judgment)」……「対象qは性質aを持つ」や「対象a、b、cは関係Sにある」といった複合した対象の要素に関する判断。

→両者を総合すると、要素的判断にはそれに対応する複合体がなければならないということが明らかになる。

[ex] 「死ぬものソクラテス」

→要素「ソクラテス」と「死ぬ」から構成される「ソクラテスは死ぬ」という命題。

 

○さて、知覚判断ないしは要素判断のように、個々の要素が明確でないような判断があるとのことだった。こうした判断は単一の複合体ではなく、複数の複合体に対応している。

[ex] 「全ての人間は死ぬ」

→「ソクラテスは死ぬ」、「プラトンは死ぬ」、「アリストテレスは死ぬ」といった単一ではなく、複数の複合体に対応していることがわかる。

→上述の例にあるような「全ての人間は死ぬ」は、複数の複合体を含んでいる。

→つまり指定された属性に関する判断を、さらにその上位の判断によって主張することができるのである。そしてこの上位の判断は前述の「主語のはっきりしない判断」に他ならず、これを「一般的判断(general judgment)」と呼ぶことができるだろう。

 

 

○さらにここに先ほどの「第一次の真/第二次の真」に類似する真理値あることがわかる。

→つまり要素的判断における真理値が「要素的真/偽(elementary truth/false)」であるのに対して、一般的判断における真理値は「第二階の真/偽(second-order truth/false)」と呼ぶことができると言えるだろう。

[ex]「全ての人間は死ぬ」=「(∀x)xが人間であるならば、xは死ぬ」

 

○この判断をpとすれば、「pが真である」=「第二階の真である」となる。

→さらに「第二階の真」であるならば、それに含まれる下位の判断である要素的判断も真である必要があるため、

 

「(∀x)xが人間であるならば、xは死ぬ」ならば「ソクラテスは死ぬ」も真である。

→しかし(∀x)▪φxが真であるということと、φxが真であるということは同義ではない。φxがもし要素的判断であるならばそれが真になったところで、全称命題すなわち一般的判断における第二階の真理値が規定されるわけではないからである。

[ex] φx「家系ラーメンはカロリーが高い」という要素的真がありえても、それによって(∀x)φx「全ての麺類はカロリーが高い」の第二階の真がもたらされるわけではない(この場合では第二階の真理値は偽である。フォーとかヘルシーだし)。

 

※この章ではさらに存在量記号∃、否定論理結合子¬、選言論理結合子∨における要素的真理値/第二階の真理値が検討されるが、この辺はぶっちゃけ普遍量記号∀の場合を応用すればよいので割愛しやす。

 

 

 

Ⅳ なぜ関数は特定のタイプの代入項を要求するか p.157-160

○ここまででの最重要点を整理すると<関数は、当の関数によって定義されたいかなるものも、有意味な仕方で代入項に持つことはない(不当な全体の回避)>となる。本節ではこのことをより直接的に明確にするために、「関数を代入項にとる種類の関数」と、「関数とは異なる代入項をとる種類の関数」を比較検討する。

→関数φžは①それ自身や②それ自身から派生したいかなるものも代入項に持たないばかりか、③他の関数ψžが存在し、「φa」と「ψa」が同時に有意味になる代入項aが存在するとき、ψž(とそれから派生したもの)もφžの代入項として適切にはならないことが示される。

※ここはすごくややこしく書いてあるけど、単に当の関数が代入項にならない場合に加えて、関数が違っても、代入項が共通に成り立ってしまうような関数も、元の関数の代入項にはなり得ないってことだね。

 

○このことは、前々節で確認された関数の不特定性という特徴によって生じる。以下の場合を確認しよう。

(1)関数が有意味な仕方で代入項になるとき

→(∀x)▪φxは「全ての場合にφx」に含まれる諸々の場合が特定されていないことに依存している

 

(2)関数ではないものが有意味な仕方で代入項になるとき

→「φx(∧)は人間である」はxに代入されるもの(人の名前や、人種など)を特定しないことに依存している。

 

○上述により「代入項の有意性」はそれが特定されていないことに依存している必要があると整理できる。

→ここまでで見てきた「関数の変項に当該の関数が代入されることの不当性」は、不特定性を論拠にしては反駁されてきてはいない。不特定性を持ち出して、これを反証する必要性がある。

→そしてこのことの論拠は、命題が単一の存在者ではなくて、複数の言明によって構成されているものであり、かつ諸項がその言明という構成要素に還元できるものであることによって示される。

→よって「(∀x)φx」は構成要素に還元できないため、「{(∀x)φx}は人間である」といったように代入項にする仕方は有意味になり得ない。

 

 

 

Ⅴ 関数および命題の階層体系 p.161-180

○Ⅰ-Ⅲにおける悪循環原理の論証が、Ⅳにおける直接の検討が、以下のような帰結をもたらした。

→つまり対象aが代入項となりえる諸関数は、互いに対する代入項(φaとψa)となることができず、この関数が代入項となりえる諸関数とは、いかなる項も共有し得ない。             

 

○よって階層体系が要求されることになる。端的に言えば、aおよび「aが代入項となりうるのと同じ諸関数に対して、代入項になるa以外の変項」から始めて、次にaが可能な代入項となっている関数に至り、さらにそうした関数が可能な代入項となっているような関数に至り、以下同様となる。

※つまり変項「a」→変項「a」を含む関数「φž」→関数「φž」を含む関数「(φ)▪f(φž,x)」……

 

○しかしaを変項としてとる諸関数は一個との不当な全体を形成しており、それらも関数の階層に分割される必要性がある。例えば、f(φž,x)をxとφžという二変項からなる関数だとし、かつφの取りうる値について考えるとすると、

(φ)▪f(φž,x)

となるが、このとき明らかにこの関数が、関数φžという全体を含んでしまっているため、悪循環原理によりこれは棄却されなければならない。

→この問題を回避するためには、φžの可能な値を規定するために何らかの制限が設けられる必要があることになる。つまり「φžの可能な値である諸関数φžは、当該の関数の(φ) f(φž,x)全体への言及を含んではならない」。

→与えられた代入項に対する諸関数の階層区分がここに来て要求されることになる。

※クソ難解なので例を考えてみる。

x=y▪=▪(∀φ)▪φx⊃φy  Df

→「φxがφyを含意する」ことを考える際に、それを既に含んでしまっている「すべてのφの値(∀φ)」への言及は回避する必要がある。

→つまり(∀φ)▪φx⊃φyはφxの可能な値にならない。

 

○与えられた代入項aに対して有意味である関数を、以下では「a関数(a-function)」と呼ぶことにする。

→a関数が有意味であるためには、ここまでの議論から関数全体に言及する可能性(実際、命題によってはありえる)を捨象しておく必要性がある。

→つまりa関数をいくつかの「タイプ」に分割し、各々のタイプがそのタイプ全体に言及してしまう関数を含まないようにすればこのことは達成されるだろう(※いわゆるラッセルの「タイプ理論」)。

 

 

○さて1章で確認したように、普遍量記号∀と存在量記号∃が命題中に登場する場合、その値が暫定的に定項になっていることから、ペアノに倣って「見かけ上の変項(apparent value)」と呼んでいた。

→見かけ上の変項が含まれない場合、命題に「これ」や「あれ」といった一意性を保証する指示句が含まれることになる。なお一部の固有名によっては、命題中の見かけ上の変項は回避できないことがある。

[ex] 命題「ソクラテスは人間である」

→現代の我々にとって、ソクラテスは伝聞でしか知らない存在であり、ゆえに固有名は確定記述に還元される。この場合では「ソクラテス」→「弁証法を実践したアテネの哲学者」など

→「○○である」という確定記述句は一般に「(∃x)φx」という形式になるため、見かけ上の変項が回避できていないことになる。

 

○肝心なことは、見かけ上の変項の事例がどうであれ、「真の変項による命題」が「見かけ上の変項を持つ命題」の源泉であることは明らかである。

→φx(∧)がなければ(∀x)φx(∧)はありえない。還元すれば(∀x)φx(∧)に現れるxの値を、φx(∧)のとる値は持っていない(※「ラーメンはおいしい」と「全てのラーメンはおいしい」における「ラーメン」は、後者が前者を内包している)。

 

○よって「見かけ上の変項」を含む命題からそれを排していくようにどんどん遡行していけば、最終的には「真の変項」しか含まない命題を導出することができる。

[ex] (∀x)φxをφxに、xに(∀y)or(∃y)が含まれるならば、

→(∀y)φy or (∃y)φyをφyに、yに(∀z)or(∃z)が含まれるならば、

→……[以下同様]

→この対象の複合性が有限である以上、必ず終わりがあり、ゆえに必ず最後には「真の変項」しか含まない命題へと帰着するはずである。

→この最終地点の「真の変項」からのみなる関数を、元の「見かけ上の変項」を含む関数の「マトリクス(matrix)」と呼ばれるものであり、マトリクスは「当の関数に対する『真の変項』のいくつかを『見かけ上の変項』に変換することで得られる、また別の関数」のマトリクスにもなっている。

[ex] 「真の変項」のみの関数φ(x,y)から、

(∀y)▪φ(x,y)と(∀x)▪φ(x,y)

さらに、

(∀x,y)▪φ(x,y)

→このうち前者は部分的に「見かけ上の変項」を含んでおり、後者は変項全てが「見かけ上の変項」である。

※上述の「複合性の有限性」に関するラッセルの主張はたぶん謬計に基づいている。オースティンだったかが実際に辞書の定義を遡行する遊びをやっていたらしいが、語の遡行はどうやっても最終的に堂々巡りに至るらしい。だから言ってしまえばこの主張は後期ウィトゲンシュタイン勢の批判をもろに浴びる。

 

○全ての命題はマトリクスに還元できることになり、逆を返せばマトリクスから見かけ上の変項を含む命題を導出することができるため、マトリクスから関数ないしは命題を組み立てていく過程において、もし登場するのであるならば悪循環の誤謬を排していけばよい。

→このために命題ないしは関数に登場する、命題と関数以外の変項を「a、b、c、……x、y、z」などで表記するとして、これを「個体(individual)」と呼ぶこととする。これは分析によっても消失しない(それ以上遡行できない語)である点において、命題の真正な(genuine)構成要素であるといえよう。

 

○そして個体以外を含まないような関数(つまり命題と関数を含まない関数)のことを「第一階の関数(first-order function)」と呼ぶ。

→第一階の関数の表記は「φ!x(∧)」であり、その値の表記は「φ!x」となる。なお、後者の「第一階の関数の値」に関してはφzとxからなる関数であるため、ゆえに値は命題と関数を含むことになる(命題と関数は可能な値である)。

→任意の第一階の関数φ!x(∧)を、以下では「述語(predicate)」と呼ぶ

 

○さらに続けて、第一階の関数と個体しか含まないようなマトリクスを「第二階のマトリクス(second-order matrix)」と呼び、さらにその第二階のマトリクスにおける代入項を見かけ上の変項に転換することによって得られる関数のことを「第二階の関数(second-order function)」と呼ぶことができるだろう。

※この関数の階層化は決定的に重要なので整理

(1)遡行できない階層(第一階層)

【マトリクス matrix】

○真の変項と個体しか含まないような関数ないしは命題のこと。

【第一階の関数 first-order function】 関数φ!x(∧)/値φ!x

○個体と「マトリクスを見かけ上の変項によって表記したもの」によって構成される関数のこと。

→任意の第一階の関数φ!x(∧)を「述語」と呼ぶ。

 

(2)第一階層から組み立てられる階層(第二階層)

【第二階のマトリクス second-order matrix】

○第一階の関数か個体しか含まない関数ないしは命題のこと

【第二階の関数(second-order matrix)】 関数f!(φ(∧)!z)/値f!(φ!ž)

○個体と「第二階のマトリクスを見かけ上の変項によって表記したもの」によって構成される関数のこと。

→任意の第二階の関数f!(φ(∧)!z)は、「第一階の関数」の関数であるため、これを「述語的関数」と呼ぶ。

 

 

○第一階の関数/第二階の関数の定義によって、いまや以下のような関数の階層を自由に扱うことができる。

(1) 第一階の関数の述語的関数

○第二階の関数は「f!(φ(∧)!z)」によって、その値は「f!(φ!ž)」によって表記する。

→第一階の関数と同様に、第二階の関数はその可能な値として、見かけ上の変項を含む(∀x)▪φ!žや(∃x)▪φ!žといった関数を取りうる。こうした第二階の関数は「第一階の関数の述語的関数」(第一階の関数=述語の関数だから)と呼ぶことができる。

 

(2)第一階の関数と個体の両者を代入項にとる第二階の関数

○先述の通り、第二階の関数における代入項は第一階の関数のみならず、個体の場合もある。この両者を含む第二階の関数の値を「f!(φ!ž,x)」と表記することができる。

→①個体xを指定すれば、すぎにφ!žの述語的関数が導出されるが、②f!(φ!ž,x)が見かけ上の変項を含む場合は、xは第二階の関数となる(個体ではなくなる)。

 

 

○上述のことによって第二階のマトリクスを述語関数化した第二階の関数と個体を含む、「第三階のマトリクス」の可能性が示唆される。さらに第三階のマトリクスがあるのであれば、それを述語関数化した「第三階の関数」もあることになり、以下同様に続いていくことになる。

→これらを一般化することによって、ある関数のうちに表れる変項(代入項/見かけ上の変項に関らず)の最高階をn階とした時、この変項が表れている関数は第n+1階に属することになる(※数学的帰納法!!)

 

※ここまでの本章の整理

①関数は自らによってその値の全体を前提化する/可能な代入項の全体を前提とする。

 

②関数に関する代入項は(a)個体 (b)関数 (c)命題の3つのいずれかである。

→ここで以下の2つの場合が問題化する(代入項が命題の場合については後ほど)。

(a)個体が代入項になる場合……変項としての個体がとる値の全体が当該の関数で問題となる

(b)関数が代入項になる場合……変項としての関数がとる値の全体が当該の関数で問題となる。

 →後者の場合、代入項である関数が「見かけ上の変項」になる場合((∀z)φžなど)、代入された関数が代入項に 

含まれるため、不当な全体を構成してしまう(※悪循環発生)。

 

③というわけで、当該の関数がそれに代入される「見かけ上の変項」に含まれないように、あらかじめ当該の諸関数の全体を定義しておく必要が生じる(※悪循環原理)

→悪循環を回避できた「見かけ上の変項」を含む関数こそが、正当な意味での個体の「述語的関数」となる(※これが述語論理学という名前の所以)。

 

④具体的に悪循環を回避するためには、当該の関数(つまり述語的関数)に(1)「代入項の可能な値」と(2)「これら可能な値によって前提化されている諸々の全体」以外を認めないことが要請される。

→そしてこのプロセスこそが「第n階のマトリクス/第n階の関数」の遡行である。

 

○このことは命題についても直接あてはめることができる。

→関数と見かけ上の変項を含まない命題を「要素的命題」と呼ぶことができ、要素的ではなくて関数を含まず、かつ個体以外に見かけ上の変項を含まない命題を「第一階の命題」と呼ぶことができる。その後の処理は関数の場合と同様である。

 

 

 

Ⅳ 還元公理 p.181-190

○ここまでで明らかになっている通り、「全てのaの関数」といった言い回しは有意味ではない(その関数自体が代入項に含まれる)。

→そうではなくて我々が語りうるのは「aの全ての述語的属性」や「aの全ての第二階の関数」などである。

○また命題の真理値は多義的なものであるがゆえに、諸々の階層によってその真理値は異なるが、表面上は少なくとも1つの言明にまとめ上げることができることもすでに見た。

[ex] 「Aの全ての言明は嘘である」

→「Aの言明」を変項xとすると、「Aの全ての言明は偽」は第一階の関数φ!x(∧)

  『Aの全ての言明は偽』を変項とすると、「『Aの全ての言明は偽』は偽」は第二階の関数f!(φ(∧)!z)

 

○還元公理が導入される理由は上述の見かけ上の変項を含む関数や属性の問題に関ってはいるが、一義的には実質的な誤りがないように見える推論の正当化にある。

→このためにまず「形式的同値」について考える。1章の通り定義は以下のようになる。

p≡q▪=▪p⊃q∧q⊃p  Df

 

○さて問題の還元公理は、「いかなる関数φxにも、それと形式的な同値のある述語的関数が存在する」換言すれば、「φxが真のとき真であり、偽であるときは対応して偽になる述語的関数(1つ上階の関数)が存在する」というものである。記号では、

├■(∃ψ)■φx▪≡x▪ψ!x

├■(∃ψ)■φ(x,y)▪≡▪x,y▪ψ!(x,y)

→前者は変項が1つのときで、後者は2つのとき。

[ex] 「ナポレオンは偉大な将軍に必要な性質を持っていた」

→ある対象に対して真である述語関数のことを<述語>と呼ぶと、この命題においては「ナポレオンは偉大な将軍に必要なすべての<述語>を持っていた」となる。

→これは「見かけ上の変項」を含むため、第一階の関数となる。よって「φ!žは偉大な将軍に必要な述語である」が導出される。さらにこれを述語的関数で表すと、

(∀φ)■f(φ!ž)はφ!(ナポレオン)を含意する

→これによってナポレオン自身に関する言及を避けつつ、ナポレオンが有する属性ないしは述語の特定は可能となった。

→仮にその述語関数をφ!žで表記するならば、φ!(ナポレオン)がナポレオンに関する記述となり、その括弧内へ任意の対象を代入することで、φ!(ナポレオン)と同値である言及が可能となる。つまり任意の対象を代入できる述語関数が存在し、その代入が真であるならば、異なる関数と同値であるといえる(これが還元公理)。

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